ただ、何時も 4





 部屋が違うというだけで、こんなにも会わなくなるなんて、考えた事が無かった。実家でも、青葉学園でも、帰ればそこに必ず居て、それが自然で当たり前で。
 でも接点なんて、どちらかが拒絶すれば無くなってしまうものだと知って。
 何の予兆もなく唐突に離された手に、戸惑っているのが自分だけなのが悔しい。
 何事も無い風に、何の感慨も無く、離れていってしまった朋樹。
 悔しい。
 悲しい。
 幼い感情が、顔を出す。
 どうして、勝手に、人の話も聞かないで。
 全部自分の蚊帳の外で行われたから、だからこんなに腹が立つ。
 ――ぽっかりと胸に開いた穴は、日が経つにつれ大きくなって、痛い。




「朋樹、いねぇの?」
 俺は、もう何度目か、何日目か知れぬ、朋樹の部屋の来訪中。ドアをノックして名前を呼ぶ声に、失望ばかりが篭っていた。
 何時訪れても、この部屋の住人は居ないらしい。
 朋樹も、同室の不動志之という男も、夜遊びの常連で悪い噂が絶えない。俺と同室だった時から、朋樹は夜の点呼が終わると窓から外へ出て行っていたし、帰ってくるのは朝方か、もしくは学校が既に始まっているような時間だった。それでも一日一回は顔を合わせる時間があった。
 そんな二人だから、何度訪れても捕まらなくて、それでもそれが癪に障って、諦めればいいのに何度も来てしまう。
 不動の元パートナーである大和や、クラスメートの嵐は呆れた様に諦めろと言ってくるけれど、こうなりゃもうヤケだ。
「とーもー?」
 ああ、それにしても。毎日毎日一体何してやがんだ、あの野郎!!
「ちっくしょっ!!」
 今日も留守か、と腹立ち紛れに、力一杯で扉を殴る。
 ――その奥で、何やら盛大な音がした。
 と思うと。
「うっせーぞ、くそがっ!!」
 不機嫌を露にした恐面が、蝶番を軋ませながら顔を出した。




「あのー、朋樹は……」
「ああ? 知らねーよ……暫く見てねぇ」
 寝起きらしい不動は、ぼさぼさの頭をかき混ぜながら、窓枠に腰掛けた。膝の上に右足を乗せ、口に含んだ煙草に火を付けようと躍起になっている仕草。――寮は禁煙とか言う前に、未成年だろうよ――そうは思っても、口には出さない。
 名前は知っていたが、実際は初対面である。その上危ない噂が耐えない不動が、俺ははっきり言って怖かった。朋樹とは仲良くやっているらしく、端から見たら二人は同類らしかったが、俺にとっては朋樹と彼は別次元の生き物だった。俺は朋樹を恐いと思った事は無い。それが家族だからだとしても。
「裕貴っつったけ? 毎日毎日ご苦労なこった」
 やっとで火がついた煙草の煙を満足そうに吐き出しながら、不動は表情を幾分緩めた。
「まあ俺にとっちゃ、迷惑この上無い。安眠妨害も良いとこだぜ、おい」
 もう夕方だ、と思っても声には出さない。
「すんません」
「……似てねぇ兄弟……」
 素直に謝罪すれば、彼は毒気が抜けたと眉根を上げてみせた。
 確かに素行も顔も、似ても似つかない俺と朋樹だ。双子なんて言っても、大概が疑ってかかる。
「良く言われます」
「近くで見ても可愛い顔してんな。俺のタイプじゃねぇけど」
「……はあ」
「騎士が居なくなった姫さん、貞操の危機らしいじゃん?」
「……はあ?」
 いやに饒舌に話す不動は、噂と一致しない。人の話も聞かない、目が合ったら喧嘩になる、んじゃないのか?
 しかも口にする言葉が良く分からない。どういうタイプなんだろうと首を捻る。
 話す合間に吐き出される煙が、部屋に篭って、俺は顔をしかめた。
「純粋無垢で、がむしゃらで、一辺倒ってか? 子供だねぇどうにも」
面白そうに笑ったそれが、どうやら自分を馬鹿にしてるらしいと気付いて、かっと顔に熱がたまるのが分かった。
 今度は声を立てて笑われて、抗議を上げようとした声は、不動の手に顎をつかまれて遮られた。
「ったく、朋樹の気が知れねーな」
 逸らした顔で横目に見下ろしてくる。その視線の冷たさに、ぎくりとした。
 不動は煙草を口に挟んだまま深く息を吸い込むと、俺の顔面に向かって煙を吐き出してきた。
 顔一杯に煙を吐かれ、思わず吸い込んでしまった俺は、その息苦しさに咳き込んでしまう。
「っげほ、っっ」
「自分で手一杯、か」
「っげほげほ――なっ」
 苦くて、何とも言えない臭い。咽て目尻に涙が溜まった。
「離れてぇってんだから、放してやれよなぁ?」
「!?」
「いい加減弟離れしろってんだよ、てめぇ。それともてめぇの執着は、兄弟として以外、か?」
「? 何、言って……?」
 睨む視線の鋭さに、声が裏返った。闇のように光さえ映さないような黒い瞳は、まるで、何もかもを見透かすようだ。
「………ふーん」
「何?」
 訳知り顔で頷く彼に、恐怖以外の嫌悪が生まれた。
「知らないフリ、ね」
――何を言っているんだ?
 不動は面白そうに鼻を鳴らすと、捉えていた俺の顎を弾くように放した。
 そしていぶかしむ俺の視線を真正面から受け止めながら、
「駅前のブルースだ」
 唐突に吐く言葉。
「え?」
「朋樹が良く行く店だよ。そこ以外はしらねぇ」
「え、え?」
「分かったら出てけ」
 素っ気無く言って不動は、煙草を押し潰して布団に潜り込んだ。
 俺は困惑する頭を抱えながら、よろよろと部屋を出て、言われた店へと足を向けた。






■ ■ ■ ■ ■ ■







「ねぇねぇ、朋樹? 聞いてる?」
「ああ、聞いてる聞いてる」
「うそー。また適当に答えて〜」
 おざなりに答えれば、よくつるんでいる仲間の一人、亜由佳が肩にしな垂れかかりながら笑った。気合充分な化粧に服装、男心を擽るような香水の匂いが鼻を掠める。
 吐き気がするのを押さえながら、俺はさり気無さを装って亜由佳の頭を肩から離した。
「あゆ、やめときな。何か知らないけど朋樹、今機嫌悪いよ」
「え〜?」
「こっち来てなって」
 きつめ美人の玲奈はそう言って、亜由佳の手を引いていってくれた。軽く顔の前で手を立てて、サンキュと唇を動かすと、玲奈は肩を竦めて、中断した会話に亜由佳を入れて再開したようだった。
 仲間の中の女で、俺は玲奈が一番気に入っていた。こういうさり気無いフォローもだが、そりが合う。けれど亜由佳のように無駄に女を強調するタイプは、一晩の付き合いであればむしろ大歓迎だが、仲間としてつるむには鼻につく。
 彼女の大きく開いた背中を一瞥してから、俺はため息をついた。
 こうやって五月蝿い音楽に耳を奪われて、強めの酒を飲み下し、馬鹿騒ぎに身を置いていても、考えるのは――裕貴の事ばかりなんて、馬鹿げている。自分から手を離したくせに、頭を占めるのはそればかりだ。
 学校へ行けば裕貴へ告白した者共の噂で引っ切り無し、手を出さなくなった俺の前でもそんな話が飛ぶようになった。殴りたいのを堪えて素知らぬ顔を作るのは、もう疲れた。授業をさぼって逃げるように入り浸っているこの「ブルース」という店で、それでも心を捕らわれたままでは、一日中休まる所がない。
 これでは一緒に居た時の方がまだマシだったんじゃないかなんて考える始末だ。
 ――そんなわけが無いのは分かっているのだが。
 浅ましい自分の考えに苦笑して、俺はまた、酒を煽った。
 ――煽った所で、カウンターから何気なく視線を出入り口へと向けた。
 俄かにざわめいた店内の、どうやら視線を集めているのは酒に酔った若人二人。赤と黒のドレッド頭は、いかつい強面。もう一人はサングラスに髭という体。その二人に囲まれる形で背の低い黒い頭が見える。
「……?」
 否、低いわけでは無い。ちょっと腰が引けた少年と言っても過言でない、あれは。
 Tシャツに黒いパンツといった、この場に似合わない、あれは。
「っ離せっ」
「かっわいーねぇ、僕?」
「離せつってんだろ!!」
「はいはい、いいから」
 気づいてしまえば、その会話が騒がしい店内でも自分の耳に飛び込んでくるのだから笑えてしまう。
 細い手首をドレッドに掴まれて必死に虚勢を張っている、けれど脅え切った顔。
「っ」
「え、とも?」
 サングラスが裕貴の腰に腕を回したのを見て、かっとなった俺は、無意識の内に椅子を蹴倒して、走り出していた――。







 









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2007/05/14