ただ、何時も 3





 朋樹が別室に移ってからというもの、俺の平穏な生活は崩れた。
 貞操の危機だった。
 というのも、それからというものの俺は、告白ラッシュに見舞われたからだった。告白といっても、されるのは女からではなく男からなので、ちっとも嬉しい事なんて無い。
 最も男子校に通っているのだし、女の子と出逢う機会が寮暮らしの自分にある筈も無い。
 それに、ある程度覚悟した事のある状況だった。
 男子校に入学する際、「女顔である自分は狙われる」という認識は持っていた。男子校っていうのにはそういう感情を持つ者が派生する――と、青学を卒業した従兄弟に聞いていたのだ。最悪、と顔を顰めた自分だったが、腕っ節に覚えがあったのでそんなに危機感は持っていなかった。
 今だって危機感は無いのだけれど、一日に何度も呼び出されるのでは、面倒で仕方が無い。
 そうやって昼休みの呼び出しに疲れ切った顔で教室へ戻ると、俺の席に集まって昼食を取っていた友人、左滝 嵐(さたき あらし)がにやにやと嫌な笑みを浮かべて声をかけてきた。
「お疲れ」
 何とも楽しそうな、からかいを含んだ声である。
 その隣で机に突っ伏して眠っていたらしい大和は、その大きな声に胡乱な瞳を開いて、こちらは同情たっぷりに。
「お疲れ……」
 何故か便乗されて、大和自身も幾つかの呼び出しに見舞われている最中である。その言葉には実感も篭っていた。
「んー」
 何時も一緒につるんでいた俺や大和に取り残される形の嵐だったが、彼は意にも介さず、ただただこの状況を楽しんでいた。
「ほんと、疲れる……。入学してから大分経つのに、何で今頃……それも大量に、やめてくれ……」
 誰に言うでもなく嘆息する。
 入学したての頃は、予想していた呼び出しが全くなかったので、肩透かしを食らった気分で居たのに。
 朋樹には自意識過剰と笑われたけど――あれ? そういえば、男前で慣らした朋樹にも、予想していたその攻撃は無かったような?
 そんな風に首を傾げたところで、嵐は馬鹿にするように笑った。
「何、お前。知らないの?」
「は?」
「だって、お前――お前の弟に睨みきかされて、恐ろしくて誰がお前にちょっかいかけられるよ?」
「……は?」
 心底分からないと、俺が目一杯顔を歪めると、嵐は一瞬思考して、マジ? と半笑いで聞いてきた。
「だから、何だよ」
「いやいやいやいや、マジで言ってんの? お前!?」
「だから、何って!」
「……うわぁ、鈍いにも程があるよ……お前」
 頭を抱えられて、そこまで呆れられると、凄く腹が立った。
「だーかーらー」
「お前に手を出そうなんてしたら、朋樹の野郎にぼこられんだっつの!」
「……はい?」
「有名な話だよ。三年の白根さんとか、二年の原田先輩とかさ! A組の室田も、斉藤も。それからうちの田所とかさ」
「……どういう事?」
 詳しく聞いてみると、嵐はよくもまあそこまで……という程、情報通の腕の見せ所だ、とぺらぺらぺらぺら話してくれた。
 まず三年の白根さん。彼は男殺しと有名で、学園の生徒を喰っては捨てているらしい。俺に手を出そうとして狙っていたらしい彼が、まず最初の朋樹の獲物だった。彼は体育倉庫に呼び出したはずの俺にではなく朋樹の手によって、三週間の入院生活を送る羽目になったそうな。っていうか、俺はそんな呼び出し知らないし。
 次に二年の原田先輩。腕っ節自慢の二年のボス。彼もまた朋樹とやらかして、二人して一週間の停学になっていた。
 室田と斉藤は、そう言えば最初の頃、俺に何かと話しかけて遊びに誘ってきた。それが突然、しつこくしていた時期が嘘のように、廊下ですれ違っても目さえ合わせなくなって――俺自身あまり得意なタイプの奴らじゃなかったから、放っておいたのだけど。
 うちのクラスの田所なんかは、全然クラスに顔を出していないから分からない。
「どいつもこいつも、裕貴の事スキだって噂が立ったり、見てて分かる奴だったり。ちょっとでも裕貴いいななんて口に出してみろ。朋樹の鉄槌に沈む羽目になるんだ。――それがほら、お前らの別室の件で、命知らずの福地が告ったろ? それに朋樹が手出ししないから、あれよあれよとこうなった」
「ついでに、俺もとばっちり」
 大和に手を出そうにも、俺へと誤解されれば朋樹の手にかかってしまうかもしれないという不安が、二人から恋を遠ざけていたのに。
「過保護な弟ちゃんも兄離れですかねぇ♪」
 楽しそうに、波瀾だなと笑う嵐が憎らしくもあるが、それより強い怒りが俺の中を渦巻いた。
「なっ……んだよ、それ!!」
 俺の知らない、暴露された事実。
「そんなん、俺知らねーよ!」
 俺は机を蹴倒す勢いで立ち上がると、ドアに向かっていった。
「勝手な事しやがって!」
「おい、どこ行くんだよ?」
「朋のとこに決まってんだろ!?」
 背後の呼び声に怒鳴り返して、俺は荒々しく空けたドアを力いっぱい閉じた。


******


「……なんだ、あいつ……。あんな怒る事か?」
 残された嵐は、呆れ顔を見っとも無く晒しながら、暫く裕貴の消えたドアを見つめていた。
 振り返って同意を求めた時、大和は我関せずと既に寝に入っていて、目だけで嵐を見るとため息をついた。
「にぶい奴……」
「え。何って?」
 しかし問いには答えず、大和は瞳を閉じると強引に会話を終了させた。


******


「朋樹いる!?」
 階上のG組の扉を勢い良く開け放して、俺はすぐ近くに居た眼鏡青年に、噛み付く勢いで話しかけた。
 眼鏡は口に運びかけていた卵焼きを見事に取り落とすと、ぽかんと俺を見上げた。
 そんなちょっとの時間にさえ焦れてしまって、俺は思わず舌打ちしてしまう。
「居るの、居ないの!?」
「い、いません!! 朝から見てません!」
 やっぱり、またサボリかあの野郎。
「邪魔したなっ!!」
 怒りそのままに無遠慮に扉を閉めると、俄かにざわめいたG組で、「てめ、何話しかけられてんだよっ」とか「眼鏡のくせにっ」とか「やめろよ〜」なんていう眼鏡の情けない声が響いていたが、何のこっちゃ、俺は朋樹が学校でサボル場所を徹底的に探し回ってやる気で屋上へと向かっていた。


******


「何だってんだよ、馬鹿やろ〜!!!」
 深夜の寮で、俺は負け犬よろしく月に向かって遠吠えを上げた。
 大和が諌めるように、ベッドに潜り込んだ状態で言う。
「五月蝿い」
 仏頂面の彼は、追い掛け回された放課後に辟易しているようだ。バイト先にまでやって来てくれたので繁盛したが、指名される給仕なんて嫌だとぼやいて、疲れ切った顔で床についていた。
「……御免」
 俺は素直に謝って、窓を閉めた。
 そんな俺の様子を目で追いながら、大和は欠伸をした後、煩わしそうに体を起こした。
「見つかんなかったわけ、朋樹」
「……うん」
 何となく、大和のベッドの脇で正座してしまう俺。
「朋樹はサボリの常習だし、学校来る方が稀じゃん」
「気付かなかったんだよ」
「間抜け」
 反論出来なくて、俺は押し黙ってしまう。
「だいたい何? 何でそんなに朋樹を気にしてるわけ?」
「だって、あいつ……最近わけわかんねーんだもん」
「そんなもんだろ、思春期なんだよ。そろそろ兄弟離れしても良い年なんだしさ」
 だろ?と小首を傾げて同意を求めてくる大和に、俺は頷く事が出来ない。
 違う。
 だってそうじゃない。
 俺と朋樹は双子で、そんじょそこらの兄弟なんかとは全然違うんだ。二人で一つ。二人で一人、それが自然なんだ。兄弟離れとかそんなんじゃない。
「むかむか、するんだよ」
 朋樹は俺の一部で、何時だって一緒に居ないと――ただ何時も、そこに居てくれないと――息苦しい。胸が圧迫される。
「それじゃ、裕貴が弟離れ出来てないだけじゃん?」
「だから、そういうんじゃ無いよ。双子ってのはもっと、縁が深いもんでさ。あいつが何かしてても、思ってても、そういうのが自然に分かっちゃう不思議なもんなんだよ。俺何時もそうやって朋樹の事分かってたのに……何もわかんない今なんて、気持ち悪い」
「でも、朋樹と裕貴は全くの別モンだろ? そりゃ考え方だって行動だって、これからどんどん別れていく」
「だから、俺達ってそういうんじゃないんだよ!!」
 焦れたように言ってから、はっとした。じゃあどういうんだ?
 そんな俺の心の問いを、大和が聞いてくる。
「じゃあとういうの」
「……それは……」
「お前のそれって、何ていうか知ってる……?」
「――え?」
ふあ、と欠伸を噛み殺して、大和が半眼を向けてくる。俺は戸惑いに薄笑いを浮かべて。
「何?」
 戸惑い露に問い返す。 
 けれど大和は布団に潜り込んで、「何でも無い」なんて、もうこの話は打ち切りだとでも言いたげに、頭まで布団を被ってしまった。
「おい、大和――」
「おやすみ」
 今度こそ終わりだ、と、大和は寝息を立てだした。

「……何、だよ……」
 俺は分けが分からず、そのまま小一時間正座したままだった。


 








back  novel  next
2007/02/06