ただ、何時も 2





 次の日、朋樹は部屋を移った。
 寮には三棟があり、俺はそのまま一棟二階部屋、朋樹は三棟一階になった。
 話に寄ると朋樹は随分前から部屋替えの申請を行っていたという。件の三棟にも相室となっていた二人の不仲が問題になっている一室があって、丁度良くその四人でペア交換が行われたのだ。
 朋樹の相手となったのは、不動とか何とかいう名前で、結構有名な奴だ。といっても悪名轟くというか
――兎にも角にも型破りな奴で、けど朋樹とはたまにつるんでいる。
 俺の方の相手は、不津大和といって、こちらも色々問題児として扱われている。まあ何ていうか、悪い奴では無いのだ。彼は俺のクラスメートなので良く知っているが、歯に衣着せない、本人は無意識な口調が、その男前を助長させている態度が気に食わない輩が多いというか……。
 どちらに非があった
――という話で無くて単に気が合わなかったという事だ。
「じゃ、これからよろしく」
 大和は小さな旅行鞄だけを持って、素っ気無く手を上げた。
「ああ、よろしく……?」
 寝起きにそんな話を聞かされて、俺はまだ覚めぬ頭を傾げながら大和を迎え入れた。
「?」
「泣きっ面?」
「は?」
 朋樹のだったベッドに腰を下ろしながら、大和は俺を見つめている。俺が問いの意味を理解出来ないでいると、大和は馬鹿にするようなため息を漏らす。
「目、腫れてるから」
「……っ!!」
「お前んとこ、仲悪いんだっけ?」
 まだ何も言って無いのに!!?
「この時期に部屋移動って……俺んとこみたいに問題無けりゃ、必要ないだろ」
 だから何も言ってないのに!?
「つか弟、前から申請出してたって聞いたし」
 つーか人の心よんでんの!!?
「いや、顔に出てるし」
「!!」
 俺の心の呟きに、大和は的確に返答を繰り返し、最後にはあっさりとその種明かしをしてみせた。
 
――朋樹もそんな事、良く言ってたっけ……そんな事を思って苦笑する。
 そんなに朋樹は俺の事が嫌いなんだと、実感するのは辛い。
「まあ、俺には関係ないけど……お前が考えてるような事は無いと思うけど」
「え?」
「俺の見解的には」
「え? どういう事??」
 大和の言葉が心底理解出来ずに、俺がまた首を傾げると大和は「別に」と言って、ベットに横になった。
 何かひっかかりを感じたけれどそれを考えると、何かが――どうしても怖くて。朋樹の意志を考察するのが、とても怖くて。たった一つの真実から目を逸らして、ただ先伸ばすだけだと分かっていても――俺は、無理矢理に疑問を頭から追い出した。

 そうして、新しい生活は始まった………。





「よお」
「おう」
 ムスっとした寝起きの顔で、奴
――不動 志之(ふどうしの)は俺を部屋へと誘った。パジャマ代わりのスエットは不動の寝相の悪さを物語るようで、片方の肩を露出させている。頭と腹をそれぞれの手で掻きながら、そして右足の指で左ふくらはぎを掻きながらの不動に失笑しながら、俺は新しく自室となる部屋を見渡した。
 
――質素だ。
 見事に何も無い。
 前人は律儀というか、机の上には塵一つ無い程に磨かれていて、ベッドの上には俺の布団が畳まれている。それはまあ、当たり前なので良しとするが、不動のスペースまでも生活感が無い。
 机の上に勉強道具等が置いてある様子も無く、使われた形跡の無いそれには埃の類が貯まっており、椅子には無造作に脱ぎっぱなしの制服がかかっている。後はタンスの上にピアスやら香水やらの類が置いてあるだけだ。
 唯一温もりを感じられたのは、ベッドの二段目の、今まさに不動が寝ていた形跡の感じられる布団だけだった。
「綺麗にしてる、のか?」
 俺はどっちつかずの感想を述べて首を捻った。
「あ?何か言った?」
「いや、別に」
 眉間に皺を寄せて、不動はベッドの脇からタバコを取り出した。
「言っとくけど、俺の生活に文句言うんじゃねーぞ」
不動が煙草に火をつける様子を何とは無しに見つめていると、不動は剣呑な瞳で睨んだ後、鼻で笑った。
「ま、おめぇも言えた義理じゃないわな」
 ごもっとも。
「俺にも一本」
 不動の言葉を立証するように煙草を強請ると、不動は舌打ちしながらも煙草ケースを差し出した。軽く振ると一本が飛び出すタイプの物で、俺はその一本を口で受け取る。不動がすかさずライターの火を近づけて、そこでやっと、彼らしい意地の悪い笑顔を見せた。
「ま、巧くやろーぜ?」
「ああ、よろしく」
 息のかかる程の至近距離で目配せしあい、拳をつき合わせて、紫煙を吐く。
 ああ、楽でいい。
 不動とはクラスが隣同士だが、ある一定の時期まで、お互いに存在しか知らなかった。不動が学校に顔を出すのは稀であったし、俺は俺でサボリがちだった。幸か不幸か両親のすこぶる良い頭を遺伝した俺にとって高校過程の勉学は簡単なものだったし、授業に出ない程度で落ちるような成績は持っていない。
 不動の方は
――コイツは金に物言わせて文句を言わせない。理事会の一員に祖父を持つ不動は、その祖父に猫可愛がられているので、教員らも見て見ぬふりだ。
 まあこの青葉学園の普通科にはそういう奴ばかりでゴロゴロしているし、基本的に成績や出席日数は関係無い。
 高校卒業資格の取得の為だけに、籍を置いているというのが無難だろうか。
 それから、未来にそれぞれ家を継ぐ者同士の牽制やら交流やらの場
――
 だから寮の部屋で煙草を吸おうが、文句を言う奴は居ない。不動の場合は相室の奴が文句を言っていたみたいだが。
 そんな不動と俺だからして学校で顔を合わせる機会は一度も無かったのだが、寮を抜け出した深夜のクラブ。退屈凌ぎだったのに踊り狂う雌犬達のナンパに耐え切れなくって、街の中を徘徊していた俺は、不良同士の喧嘩に遭遇した。
 酔っ払いと野次馬に囲まれていたのでちょろっと見ていたら、どうやら状況が五対一らしかった。その場に他に三人ほどが顔を腫らして転がっていたが、それがどちらに組するかは判別出来なかった。
 良くある事なのでそのまま通り過ぎようとしたのだが、そこで聞き覚えのある単語を聞いてしまって、足が止まった。
「青学の坊ちゃんが、調子こくんじゃねー」
 それは一人を囲む五人の内から吐かれた。
 青学とは青葉学園の略名だ。一般人と呼ぶのもあれだが、一般的な普通高からは坊ちゃんと呼ばれるのは青葉学園の普通科生徒であれば常で、俺自身そんな売り言葉で喧嘩を買った事がある。
 大概が相手の負け惜しみなのだが、五人も仲間が居る状態で負け惜しみが飛び出る状況に興味を持って、喧嘩の様子を眺めていた。
 学園の生徒らしい男は、パーカーにだぼついたジーンズ、そしてサングラスをかけていて、学園の生徒らしくは無くほとんどそこらへんに居る不良少年に見えた。髪の色が派手な赤色で、耳にはそれぞれピアスがぶらさがっている。唇にも、その時は銀が光っていた。
 結果はそいつの圧勝で、返り血を浴びて嘲笑する姿が目に焼きついた。
 ギャラリーがそそくさと退場する中、俺はそいつ
――不動に、声をかけられた。
「てめー、どっかで見た事があんな?」
 勝利に酔うように、不動は声を震わせて笑った。
「何つったかな
――青学だろ?………見た面だ………そう、」
一度言葉を遮り、ポケットから煙草を取り出すと血に濡れた指で煙草に手をかけた。ライターの火が漆黒に瞬いた後、紫煙が空へと伸びる。
「双子の片割れ、だ」
 正体を見破られて、俺もそこで得心が言った。
「不動」
 名前は知っていたのだ。大層な問題児でそれなりにコネがあって、何より理事会に関係する名前なのだから。それに鮮やかな赤に染まった不動の髪を、後から見た事があった。
――青学の普通科生はあくまでも名門子息達であって、将来を担うお堅い思想の持ち主が多数だ。例外はあるものの、不動程俗世の生徒らしい存在は無かった。
 俺が正解を言い当てると、不動は満足そうに笑った。今はもう見慣れた、彼特有の意地の悪い笑み。
 
――それからの付き合いだ。
 窓の溝に煙草を擦り付けながら、ふと、不動はまた底意地の悪そうな笑みを浮かべた。
 じっと見られて居心地が悪くなりながら、俺は、素っ気無く言う。
「……何?」
「……我慢の限界ってか?」
「……は?」
一瞬言われてる意味が分からなくて固まった俺に、不動は更に笑みを深める。
 何だろうな、コイツ。不気味だ。
 しかしそんな感想は、不動が新たに紡いだ言葉に簡単に吹き飛ばされた。
「弟?いや兄貴?
――まあ、何だっていいけどよ。今時つっても流石に近親相姦で男同士はねぇよな」
「!?」
 思考が、一瞬で固まった。
 そんな俺にお構いなしで、不動は言う。言い続ける。
「人の事情に首突っ込む気はねぇから、まあそこは勝手にやってくれよ。ただしいくら溜まっても俺に手は出すなよ?」
 
――何言ってんだ、コイツ。
「ま、そん時は返り討ちだけどよ。あ、相談とかものんねーから。ガラじゃねえし。そこらへんはギブアンドテイクの精神でよろしく」
 
――いやいや、チョット待て。
「まあでもねぇ、お前の片割れ見た事あっけど、ありゃー確かにそこらの女より可愛ーし。血迷う奴も多そうだ。
――俺の趣味ではねぇけど」
だから、
「チョット待て!!」
「あ?」
 思いの他大声になった驚きはこの際置いといて、俺は頭を抱えながらよろめいた。
「ちょ……順序追わせろ」
「ああん?追うも何も……ああ、おめぇ、そっか。言われた事はなかったわ」
 そう。そうだ。俺は断じて、一度たりと、口にのぼせた事は無い。酔った席だろうと何だろうと、否、何時だって
――そんな素振りは見せた事は無い!!
 それなのに、では
――何故コイツは俺の性癖……裕貴に対してだけの例外だが、その想いを知っているというのか。
 その答えを、不動は何の迷いも無く放つ。
「お前気づかねー?ま、もっとも普通に女が好きな連中はよ、そういう趣味を持つ奴なんて知ってはいても実感は伴ってねぇからな。同じ性癖の奴は、見てりゃわかんだよ。ああ、アイツがそうだってな」
――は!?」
 ちょっと待って。やっぱり待て。またさらに今、何つったこの馬鹿。
「理解力たんねーぞ、お前」
 不動はうんざりしたように言って、二本目の煙草に手をつける。
「だからよ、俺は女より男が食指な人なの。女には一切魅力感じねーっていやあわかるか?ここ選んだも男子校な上、後腐れねーのわかってっからだしよ」
「…………煙草」
「あ?……ああ、まあ、落ち着け」
 落ち着かない手で煙草を受け取って、口に含む。吸う。吐く。
 ああ、もうこれ精神安定剤だなホント。
 吸う。吐く。
「落ち着いたか?」
――ああ」
 そういや驚く事も無い事だ。ここはそういう学校だって分かってた。クラスに分かってるだけでもニ、三人は学校内でカップルになってやがるし、ただ
――不動がまさかそうだとは考えなかっただけで。むしろ信じられるか、これを。
 けれど不動はそういう嘘はけして言わない。だから真実なのだろう。
 それで、何かが変わるわけじゃない。
「ま、そういうわけで
――上手くやろうぜ?」
 不動がにやりと笑ってまた拳を突き出すので、俺もため息を付きながら、拳を当てた。
 上手くやるのは俺達の同室関係に対してなのか、それとも裕貴との今後なのか
――そんな事を疑問に思いながら俺は、とりあえず疲れたので寝たいと思った。




 







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2007