不機な横顔 2






 大和のじいさんが亡くなったのは、二年に進級してすぐだった。新しいクラスでまだクラスメートに馴染んでもない頃、オレは大和に付き合って一週間休んだ。休み明けの教室では何やら派閥が出来上がっていて、力関係が作られてた。オレや大和は元々理事の孫って事でその力関係のピラミッドからも、学校の中でも、浮いた存在だったから、どの派閥に馴染む事無く、友人なんて数える程度だった。
 その上で一週間も休んだものだから、完全に孤立してた。
 オレは三年連中や高等部の夜遊び仲間が居たが、大和は特殊な性格が災いして、あまり誰彼と一緒――という所は無かった。左滝嵐というクラスの中心人物が何やら大和を気に入って何かとちょっかいを出していたようだが、対する大和は彼を鬱陶しげに追い払っていて。ただでさえ大好きだった祖父が死んで沈んでいる所へ、恐らく慰めも入っているのだろうが、左滝のまとわりつき方は見ているこちらが冷や冷やするぐらい鈍感なものだった。日毎大和が纏う空気が刺々しいものに変わっていくのに、左滝はちっとも気にしていない風だった。
 しかし左滝の金魚のフン達が黙っていよう筈も無く、幾度かの衝突の内、当事者を無視した諍いが目立つようになった。
 大和は勿論、それを煩わしいとしか感じていなかったのだろう。陰湿な苛めも陰口も、十のうち一回を万倍にして返すのが大和だ。けれどそれが更に、相手をいきり立たせたのは間違い無い。
 オレが睨みを効かせればしばらく黙るのは分っていたけど、そんな事しても大和は感謝の一つもしないのも分りきっていたし、逆に余計な事をしたと思われるのが関の山だったから、大和が気にしない間はオレも傍観者を気取ってた。やり過ぎな相手には、大和の知らない部分で制裁を加えたのは言うまでもないが。
 兎にも角にも大和の蓄積されたストレスは、大和の眉間の皺を深めるに至り、その表情が周りを巻き込んで悪辣にするものだから、時間が経てば経つ程大和は敬遠されていった。
 大和はストレス発散を、何故か睡眠欲で補い出した。
 不器用な幼馴染が、じいさんの死を少しでも忘れられるならそれでもいいかもしれない、なんざ――何をしていいか分らねぇオレの逃げでしか無かったが。

 14の誕生日を迎えた、その年の暮れ。

 悲劇ってのは何で、立て続けに起こるものなんだろうな。
 飛行機事故で大和の両親が逝って、留学していた10歳上の兄・海和さんが帰国すると、葬式やら海和さんの社長就任式やらと慌しい日々が訪れた。
 オレが両親に会う数と同じくらい、大和のそれも少なかった。年に数回夕食を一緒して、後はテレビ電話だけの遣り取りだ。時々プレゼントだ何だと物を贈ってくる位の繋がりで、死んだっていっても余り実感は沸かなかっただろう。どちらかというと直後の悲壮さは、じいさんの時のが凄まじかった。
 通夜も告別式も大和は一滴の涙も見せなかった。海和さんの方が号泣してて、喪主として見っとも無いなんて、残った婆ちゃんは気丈に叱ってた。
 葬式は一緒に出たものの、オレはその後は大和と別れて普通に学校に通ってた。
 大和の方は、大人の汚い事情なんてものを目の辺りにしちまったらしい。
 寮に帰って来てからの大和を情緒不安定にさせたのは、どっちかっていうとその生々しい大人の事情ってやつだったんだと思う。
 海和さんにはまだ社長は早いだとか、未成年の大和を何処で引き取るんだとか、遺産の分け前だとか、そんな話を親戚や会社の幹部連中は、大和の両親の死を形式上で悲しんだだけで話し出したというのだから、それを目の前で見聞きした大和や海和さんの心中は容易に想像出来るもんだ。大和に莫大な遺産が相続されると分るや、親戚連中は掌返した様に大和に群がり媚びたらしい。海和さんはほとんどの遺産を放棄して、会社の相続と大和の親権をもぎ取って、親戚連中とは強引に縁を切ったって事だけ、後から聞いた。若い海和さんの後見にはウチの親父や祖父らがついて、一応の折り合いはついたって話だけど。
「大人って汚い」
 帰って来るなりそう吐き捨てた大和の鳶色の目は、酷く荒んでいた。まるで何度と無い荒波を越えて帰還したぜ、とでも言うようだった。
 その後も大和はけして涙を見せたり、泣き叫ぶなんてしなかったけど、更に自分の殻に篭るように外界の音を遮断し出した。
 大人への嫌悪感か、先公への態度も頑なになった。
 オレの前で癇癪起こして、暴れる事もあった。
 多分自分の中にある感情をどうにも出来なくて苦しんで、もがいている内に、爆発させてしまうんだろう。そんな自分に自己嫌悪して、それでもどうにも出来ない感情に板挟まれて、延々とそれを繰り返しているような。
 何時もは波立たない感情がぶれるからなのか、更に睡眠を欲するようになって、一日の大半を寝て過ごすようになった大和は、見ていて痛々しいくらいだった。
 そんな大和に何をしてやったらいいのか、オレはさっぱり思いつかなかった。
 その夜の大和は、暴れるでも泣き叫ぶでもない。まして眠るでも無く、眉間に皺を称えてベッドの上で蹲っていた。体育座りをした膝の上に顎を乗せて、対面の壁を凝視して。時々何か言いかけては唇を噛むような事ばかりを繰り返していた。何度か眠ろうとして横になるものの落ち着かな気にシーツの上を泳いで、また同じ体育座りの姿勢に戻ったりして。
 そんな大和の様子を、オレは何気ない調子で窺っていた。
 暗い部屋の中、煌々とした明りを放つパソコンのディスプレイには、何とはなしに開いているネットの画面が文字の羅列を表示していて。ヘッドホンをかけて音楽でも聴いているようにみせて、オレは何時も通りパソコンに向かっている。夜遊びをしない夜は大概、オレはそんな風にして、眠る大和の為に暗くした部屋でネットをしてた。
 けれど今日の大和は何時もと様子が違って、同じ部屋で息しているのが苦しくもなった。
 あまりの居た堪れなさに
「どうしてやったらいい」
途方に暮れたオレがそう聞いたら、大和は一瞬何を言われたのか分らないと言いたげに小首を傾げ、恐らく困惑した表情を浮かべていたオレに、瞬間的に機嫌を悪くした。
「誰が何してくれって頼んだ!?」
と怒鳴った大和が、枕を投げつけて来た。無駄にプライドが高いのはオレも大和も同じだから、同情した言葉に激昂したのは分った。
「何も望んじゃないから、放っておいてくれ!」
 分ってはいたが、心配すら無用と言われているようで、流石のオレもかっちんとくる。
「そんなら、心配させるような面してんじゃねー! シャンとしろ!!」
 思わず感情のままに怒鳴り返してしまった。投げつけられた枕を投げ返すと、枕は大和の横顔にクリーンヒットして。
「っ!?」
 避けると踏んでた俺は目を見張る。枕はぽとりと音を立ててベッドの上に落ち、俯いた大和が視界に戻る。
「………」
「……おい?」
 先程までの勢いは何処吹く風、沈黙した大和に焦る。何時もなら――ここ最近も含めて、昔から、お互い激したら中々溜飲を下げる事が出来ない性格だ。だからしばらくは怒鳴り合うのが常だった。お互い口八丁に長けているから、何時だって暴言の嵐だ。折り合いなんざ着く事も無く、どっちかが先に言い負ける事も無い。ただそうしている間に馬鹿げた言い合いに飽きて、どちらかが「もうやめよう」と言って終れる。それが直接終わりを告げる言葉である事もあるし、冗談や笑い話にして終わらせる事もある。
 でもこの夜は、ひどく中途半端に喧嘩が途切れた。
 それに困惑したオレは見っとも無く慌てふためいて、一向に動かない大和に走り寄った。
「おい、どうした? いてぇワケじゃねえだろ?」
 当たり所が悪かろうが、所詮枕だ。そこまで痛い筈が無いと踏みながらも、大和が黙っちまった理由が他に思い浮かばないから、そんな事を聞いた。
 大和はふるり、と頭を振って顔を上げた。
「俺、どんな顔してる……?」
「え?」
「自分じゃ分んない。普通にしてるつもりだ。出来てるつもりだ。……何時も通りだろ?」
 押し黙ったオレに、大和は言う。
「笑ってない、泣いてもない。でもそんなん何時も通りだろ? お前に心配かけさせる顔なんて、してない」
 それは自分自身に言い聞かせるような言葉。けれど大和の顔は、笑うのに失敗したかのように不恰好だ。皮肉気に歪む唇も、歪んだ眉根も、二重の双眸も、どこか泣きそうに震えている。なのに無理して笑顔を作ろうとするから、どこまでも不恰好だ。
 ベッドに上がって目線を合わせると、大和は唇を噛んで俯く。
 オレの前でも取り繕おうとする大和を目にして、オレの心はかつてない程騒いだ。
「泣けよ」
 大和の顎を取って、無理やりに顔を上に向けさせると、大和の瞳は驚愕に揺れる。嘘をつけない大和の変わりに、何時もこの瞳は感情を素直に表す。
「お前一度も泣いてないんじゃねーの?」
 もしかしたら人の目を隠れて泣いたのかもしれない。オレが居ない所で泣いたのかもしれない。大和はそういう奴だ。
 それでも、
「溜め込んでんじゃねーよ。吐き出しちまえ」
 陰で泣いて、泣くだけで、癒える傷ばかりじゃない。独りで越える夜が、逆に苦痛を呼ぶ事もある。
 右手で大和の頭の裏を取って引き寄せると、大和は大した抵抗もせず胸の中に収まった。
「今更、オレに何の遠慮だ?」
 両手を背中に回して、抱きしめる。肩の上に乗った大和の瞳から、じんわりと涙が広がった。
 年のわりにでっけぇ体が、背中を丸めて震えている。項から髪の毛が落ちて、パソコンの光を反射するように白く光った。
 滑らかな肌に、無意識に手を這わす。撫でているようで、どこかでその感触を楽しんでいる自分がいた。悲しんでいる大和を前に、不謹慎だと頭の片隅で善良なオレが批難する。
 大和は両手をだらりと横に垂らして、頭だけをオレの肩に埋めて。倒れ込んだ姿勢のままで静かに慟哭する。
 肩から染みていく涙に、まるで大和の心が溶け出しているかのようで。
 どんな言葉なら、大和に届くのか――脳をフル稼働してみても、オレには思いつけない。出来るなら優しい言葉をかけてやりたいけど、そんな事言った事なんざ無い。傷つけるのだけが十八番だ。
 だから成す術も無く、大和の頭を撫でていたのかもしれない。
 勿論、どっかに不穏な感情があったのは否めない。
 それでもオレは、大和だけは他と違った意味で大切だった。
 何時もなら、誰かなら、身体の下で啼かせるだけで十分だ。寧ろ鳴かせたい。けれどオレに関係の無い事で泣かれて、頼られて、寄りかかられるのは御免だ。そんなの面倒でしかない。睦む相手がそんな事をしようものなら、蹴り倒してすぐさまその場を後にするだろう。
 泣きやむまで傍にいてやりたい、とか。
 涙を拭ってやりたい、なんて。
 とてもじゃないけど思わない。
 けど大和が相手なら。全部、全部、共有してやりたい。分け合いたい。それこそ先が見えなくったって、一緒に堕ちて行くのさえ吝かじゃない。
 そう思えるのが、そう思う感情が、何なのかはきっともう知っていた。ただ答えを渋っていただけで――未来の暗雲を想像して、竦んだだけで。
 肩口で控えめに嗚咽する大和が、何よりも大事だと思った。
「大和……」
 だからオレは、震える大和を抱きしめた。
 そうしたら今までただ体を預けていた大和が、反応した。オレの背中に腕を回して、爪を立てる勢いで抱きついてきた。――しがみ付くってのが正しいんだろう。ただそこにあった温もりに縋りついて来た、そんな感じだった。
 耳元で、大和の熱い吐息が、啜り泣きと共に響く。
「大和」
 どんな言葉をかけていいかなんざ、わからない。だからオレは、目一杯優しい声を作って、大和の名を呼んだ。
 少しでも大和の悲しみが癒えればいい。少しでも、大和の苦しみが消えればいい。一時でも、健やかな時間を過ごしてほしい。心安らかに、眠りについてほしい。
 そんな願いを込めて、大和の頭を撫で続ける。
 さらりと項を流れた髪の隙間に、唇を寄せる。あやす様に背や、髪を撫でながら、頬に、額に、唇を落とす。
 子供の様に素直に、大和が頬を摺り寄せてくる。
「し、の……」
 掠れた声で、名前を呼ばれた。不覚にもオレの方が泣きたくなるような、焦燥感に満ちた声音だった。
 少しだけ身体を離すと、大和が濡れた瞳を持ち上げる。
 オレは吸い寄せられるように、薄く開いた大和の唇を奪った。

 大和の赤く濡れた唇からは、塩の香りがした。

 大和は、抵抗らしい抵抗はしなかった。むしろオレに応えるように、甘く喘いだ。
 息継ぎの合間に、オレの名を呼ぶ。

 愛しい、と。
 そう、思ったんだ。

 触れる度に、キスを交わす度に、大和の強張った身体が解けていくのが分る。
 それが、嬉しかった。
 嬉しかったから、常にない程丹念に愛撫した。
 ただ挿れて、突いて、所詮自分の欲望だけを追った行為とは違って、どうやったら大和が喜ぶか、探りながらしたセックスは――今までで一番、オレ自身も満たされるもので。
 大和は、何度も何度もオレの名を呼びながら達した。思いの丈を吐露するかわりかのように、射精した。
 そうして疲れて眠りに落ちる時、小さく微笑んだ。
 ――何時振りだったか、もう思い出せない程懐かしい柔らかな笑い方。
 暫くして俺の腕を枕にした大和は、規則的な寝息を立てた。その眉間に、もう縦線は入らない。

 愛しい、と。
 そう、思えたんだ。

 パソコンのディスプレイの明りが、白み出した空の光と同化していく。
 それを感じながらオレは、大和の寝顔を見つめ続けた。
 そんな風に穏やかな気持ちになったのは、初めてだった。誰かの寝顔をずっと見ていたいなんて、ずっと傍にいたいなんて、そう思えたのは初めてだった。



 ――14の冬、オレは欠けたピースを見つけた筈だった――。




 



 PHOTO BY 05 free photo






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2008/12/15