不機な横顔 3







 何かが劇的に変わる、なんて、オレの勝手な思い込みだったのか。
 初めて身体を交わした日から、オレが期待していた変化なんて、オレ達の間には無かった。甘い蜜月が待ってる、なんて痛い妄想は流石にしなかったけれど、それでも幼馴染の関係に何がしかの変化を期待していたオレは、明くる朝大打撃を受ける事になった。
 大和は、毛程の変化も無かった。
 何時も通り昼過ぎに起き出して、身体がだるいと不機嫌そうだった。オレがコンビニで買ってきた握り飯を遅い昼食にした後また布団に潜りこみ、それから次の日の朝まで起きなかった。落ち着かない様子で大和が起きてくるのを待っていたオレは、その次の日もちっとも代わり映えしない大和の態度に苛立った。
 あの夜が夢だったんじゃないか、なんて不安になる始末だった。
 けれどオレから関係を請うなんてプライドが許さないと、オレはオレで頑なになっていた。自分から追うなんて真っ平御免だ――そうやって、冷静な振りをして、大和の様子を窺うことだけは忘れずに見た目には何時も通りのオレを演じた。
 ――変わった事は、一つだけあった。
 度々大和が身体を求めてくるようになった。誘い文句は無い。ただオレに寄り添って、唇を請うから――そのまま流れでオレは大和の肌を弄って、大和が「もう無理だ」と弱音を吐くまで責めた。大和が失神するようにして眠りにつくまで、オレは何度でも何度でも大和を追い詰めた。官能を帯びて震える睫毛、唇を零れる甘い声、イッた瞬間仰け反る首筋、そんな些細な事にオレの身体は熱くなって、快感の波は幾度と無く押し寄せた。もう出すもんもねぇってくらい疲労するまで、止めたいとは思わなかった。
 朝になれば大和の態度は冷たすぎる程だったが、それでも満たされるモンが確かにあったと思う。
 ただ、オレは馬鹿じゃねぇから、気付いちまった。
 大和のソレが純粋にオレへの恋情から来るようなモンじゃなくて、ただ単に、現実から逃れる為に利用されてるんだって事に。
 身体を酷使して深い眠りにつけば、何もかも忘れていられる。泣き喚く自分を誤魔化す言い訳に、オレの下で喘いでいれば良い。吐露できない心を、ストレスを、発散させる為だけの行為――オレがそういう結論に至るのに、そう長い時間はかからなかった。
 大和が求めてくる時は大抵、ヤツがちっとも睡眠に逃げ込めない時だけだったのだ。
 その瞬間、オレの中で高揚していた気持ちが一気に萎んだ。
 愕然とした。
 大和が求めているのはオレの言葉でも心でもない、中身じゃない。身体だけだ。オレがどんなに大和を心配しようが、愛しく思おうが、大切だと抱きしめようが、そんな感情には目も向けてくれない。ただの精神安定剤扱いだ。
 オレじゃなくても、誰でも、その時心落ち着ける要因になれば、抱く相手は構わないんじゃねぇか――そんな風に思っちまえば、虚しさだけが降り積もった。どんなに身体を重ねようと、無意味な行為にしか思えなかった。満たされない所か、逆に空虚が広がった気がした。
 大和の身体は綺麗だし、吸い付くような肌の質感は何度味わっても最高だった。敏感な反応も、すぐに覚えた舌技で応酬するキスも、中の感触も、何度だってオレを猛らせるに十分だった。それなのに、ただ、綺麗なだけの人形を抱いているような感覚がふいに襲ってくる。体は素直に反応しているのに、頭のどっかが冷え切って、大和の顔を見下ろして嘲笑しているオレを心の奥に自覚した。惨めで、不愉快で、苛立たしくて、それなのに相反するように「もっと」と渇望する本能、それがどうにも我慢が出来なくなっていた。
 そうやって、オレも余裕を失っていった。
 何時もなら流せるような、何時もなら終わらせられるような、そんな些細な罵り合いが増えて、折り合いがつかなくなって、ずるずると引き摺って。顔を合わせれば皮肉の応酬、それなのに夜になれば情事に耽って。
 そんな日々にオレも大概疲れ切って、その内大和を放置する癖がついた。
 夜遊びに出て昼夜反対の生活をしていたら、基本規則正しい大和とは生活そのものが合わなくなって――オレは、気持ちが楽な方楽な方って、簡単でお手頃な人間関係へ逃げ出した。
 一晩限りの付き合いに安息を見出すなんて可笑しな話だ。
 でも大和を見ていると自分の無力感とか、苛立ちとかが勝って、大和を逆に傷つけちまう気がした。
 大和がオレに甘えてるんだとか、オレにしか本音を吐けないんだ、なんて考えがちっとも浮かばなかった所が、大和を想ってる振りして自分しか見てなかったオレの、餓鬼だった証拠だろうな。



 そんな風にすれ違いの生活を送るようになって二ヶ月が経過した頃、夜遊びから帰った俺を、珍しく大和が起きて待っていた。何時もだったら間違い無く布団に入っているような、朝方に近い時間だ。
 玄関は当然の如く鍵が掛かっているから、二階の部屋、その窓に面した木を伝って部屋に入る。何時も通りだ。
「おかえり」
 長閑とも言える、静かな声が言った。
 オレは窓を閉めた姿勢でびくり、と肩を揺らした。気配が薄すぎたのもあったし、まさか起きてるなんて思ってなかったからびびった。
「っおう……!」
 振り返って見る大和の表情は何時も通りの無気力さで、それに何故だか安堵する。
「起きてるなんて珍しいじゃねぇの」
 動揺を隠すように皮肉笑いを浮かべて、窓を閉めながら室内に入る。暗い部屋の中、月明かりだけがオレと大和を照らしていた。
 ――仄白く浮かぶ輪郭が、得も知れない程綺麗だ。頭の隅に浮かんだ馬鹿みたいな思考に頭を振ると、大和は不思議そうに瞬いた。
「なんか今日は寝る気分にならなくって」
「眠れねーのか」
「寝なかったんだよ」
 穏やかな、起伏に乏しい口調。何時も通りのそれなのに、酷い違和感が残る。
「ふーん」
 オレは意味も無くドギマギして、平静を装いながらも全神経を大和に向けていた。脱いだ靴を無造作にベッドの下に投げ込むオレに、大和の視線が突き刺さってくる。
 大和の言葉も視線の意図もちっとも分からなくて戸惑いだけがやってくる。
 大和と居て落ち着かないなんて気分は初めての事で。
「何かすっげぇ変、てめぇがこんな時間に起きてるなんてよ」
「そう?」
「何処まで成長するつもりなんだよ、ってのがオレの感想なんだけどな?」
「馬鹿じゃない? 寝てるだけで成長しないよ。遺伝」
「お前んとこ、別に長身家系じゃねぇだろーが」
「志之のとこは、皆でっかいのにね」
「嫌味かよ」
 緊張を隠そうとして無駄話を振ったら、意外な事に大和も乗って来た。こいつがこんなに饒舌になるなんてのも、ここ最近では珍しい事だ。半年も前だったら当たり前の日常、普段交わされていた取り止めの無い会話なのに。
 まるで何事もなかった、なんて錯覚しちまいそうだ。
 それでもお互いの間に流れる奇妙な緊張感を、オレ同様大和も感じてるようだった。微妙な距離は、どうやっても縮まらない気がする。越えていくステップを何段も抜かして近付いちまったから、今更その階段を順序良く上ろうとしたって遅い。通り過ぎちまった過程を補おうにも、オレも大和も不器用過ぎる。
 もう、元には戻らない。
 親友とも恋人とも違う。身体から入っちまった関係は、歪に過ぎる。
「志之は良くもまあそこまでってくらい起きてるよな。……三時間とかで寝た気になるの?」
「別に、お前程睡眠を重要視してねぇから。かといって寝ないでいられるわけじゃねぇけど……まあ、足りてるよ普通に。オレの場合、寝てるより遊んでる方が有意義ってだけで」
 背後から投げ掛けられる言葉に応えながら、オレは急いで寝間着のスウェットに着替える。
 不自然な会話を打ち切るには、寝ちまうに限るんじゃないだろうか。
 そんな風に思っているのに、大和は淡々と言葉を繋ぐ。
「遊ぶって何すんの」
「お前もやっと興味持ち出した?」
「いや、別に。ただ何をそこまで遊ぶんだろうなってちょっとした疑問」
「酒と煙草が入れば、大抵の事は楽しいぜ。箸が転んだって笑えるぐらいにな」
「意味無くない?」
「意味なんてねぇよ。結局遊びなんてそんなもんだろ」
「良く分かんない」
「オレとお前の会話にだって意味があった事あるか? あれだって遊びの一環つか、暇潰しみたいなもんだろ?」
「そういうもんかな」
「そういうもんだろ」
 オレがいそいそと布団に潜り込んでも、大和は相変わらずソファに凭れながら。唯一変わった事と言えば視線がオレの方じゃなくて、天井を見上げていることくらいだ。
「オレ、寝っけど」
「寝れば?」
「……お前は寝ねぇの」
「だから、寝る気分じゃないって言っただろ」
 ――オレを待ってたわけじゃないだろうな、とは思っていたが、わざわざ仏頂面で低く言わなくてもいいだろう。
「あっそ」
 むかっとしてオレも素っ気無く答えて、上掛けを頭まで引っ張って、寝に入った。
 大和程簡単に眠っちまえるわけじゃないが、連日の夜遊びに流石にすぐに睡魔が襲ってきた。
 
 静かな空間でうとうととし出した時、大和が独り言のように呟く。
「俺達って、何なんだろうな」
 そんなのオレが知るわけねーだろ、そう言葉を返したのか思っただけなのか、オレは意味の分からん大和の態度を恐ろしくも感じながら、そのまま深い闇の中に落ちていった――。





 



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2009/04/02