01 始まりのくちづけ 01


 僕が小学四年生になった春、父親の弟にあたる和成おじさん夫婦に女の赤ちゃんが生まれた。梓、という名前の良く笑う赤ん坊だった。
 生まれた当初、僕は毎日電車に乗って叔父さんの家に遊びに行っていた。目に入れても痛くない、という表現が僕にも分かるほど、叔父さんと一緒に兎に角猫可愛がった。飽きもせずベビーベッドに眠る梓を見つめている僕と叔父さんを、おばさんの千佳さんは呆れたように笑って見ていた。
 何で思いついたのか分からないけれど、僕はその当時、梓の事を「小さい梓だからアズコだ」などと命名して、勝手に呼んでいた。他に梓という人間が知人にいるわけでもないのに、そう言った僕はひどく満足そうだったと、毎年のように和成叔父さんと千佳さんにからかわれる。
 でも当時の僕は、それが特別な呼び名のように思えた。他に呼ぶ人も居なかったし。
 ぷにぷにの柔らかいほっぺたとか、もみじのような手を突っつきながら、意味もなく「アズコ、アズコ」と呼んでいた気がする。その度に梓は、にんまりと笑うように見えた。
 僕は一人っ子で兄弟が居なかったから、梓の事は本当の妹みたいに可愛がった。
 中学に上がった頃、梓は幼稚園に通い出した。僕は千佳さんと一緒に、良く梓を園まで迎えに行ったし、友達と遊ぶより梓を公園につれていく方が楽しかった。
 何時も公園の砂場で泥んこになりながら、梓は良く笑った。
 中学二年生になった時、両親は会社を海外進出させる為に渡米を決意した。当然のように僕を連れて行きたがった両親の前で、僕は見っとも無くも大泣きした。「梓と離れるのが嫌だ」と年に不相応なぐらいの泣きべそをして。その時の写真は両家のアルバムに納められている(母が爆笑しながら撮影した)が、そのアルバムだけは梓の目に届かない所に仕舞い込んだ。
 それで僕は、高校を卒業する歳まで、和成叔父さんの家に居候する事になったのだ。
 毎日家に居て、梓にばかり構って、近所でも評判の仲良し兄妹と言われるくらいで。だから梓はずっと、僕が本当の兄貴だと思っていたし、僕もそれに異存は全くなかったのだけれど。
 それでも小学校に上がれば梓にも梓の交友関係が出来て、学校帰りに友達と遊んだり習い事に通うようになると、僕の相手を嫌がるようになった。――僕が相手をしていた、というより、梓が相手をしていたというのがこの頃、皆が一致して持っていた認識だ。
「大樹ニィ、友達居ないの……?」
 高校に入っても夕方に帰宅するような健全生活を送っていたのは誰の為だと思っているのか、生意気になりだした梓は同情たっぷりに言った。「たまには遊んであげるから、元気出して」と言われた時は怒るより喜んでしまった僕だ。
 梓から離れるのが嫌で、僕は県外の大学も二時間かけて梓の家から通っていた。一年目で両親が帰国して、流石に実家に帰る事にはしたけれど、ほとんど叔父さんの家に入り浸っていたし。
 そんな俺を、両家の親は完全に飽きれていた。
 彼女が居なかったわけではないけれど、彼女をほったらかしで梓を優先してしまうから、大抵女の子の方から別れを切り出される事になったけれど、全然痛くも痒くもなかった。
 その頃から、自分は少しおかしいんじゃないかとは感じていた。
 何より梓を優先するなんて、と。
 つまり、そう。まともに恋愛が出来るのか、という点に置いて。
 でもそんな些細な悩みよりも、梓が流石に僕達の関係に気付いて、「大樹ニィは本当のお兄ちゃんじゃないの?」と涙を目一杯に溜めて呟いた事の方がはるかに重大な痛みだった。
 結局僕の人生は梓で回っているのだと気付いて、梓離れをしなければ駄目なんじゃないかという事を深刻に考え始めれば、恋愛云々の悩みはすぐに宇宙の彼方に飛んでった。きっと梓に彼氏が出来たら、憤死する。そんな断言が出来るほど。
 小学四年にもなろうとする梓が学校の授業で足を挫いたと言われれば毎日車で送迎したし、どこぞの馬の骨が好きな子をいじめる、という概念でスカート捲りなどに精を出していたのを目撃した日には轢き殺してやりたい衝動にかられたものだ。梓に初潮が来た、という日には誰よりも早く赤飯を買って、大学を早退して駆けつけた上、保健体育の授業より詳細に、性衝動云々について語った。
 親馬鹿通り越した過保護振りを心配していたのは、僕だけではなかったみたいだ。
 大学三年生の春、父親が真面目な顔をして言って来たのは
「お前、頭大丈夫か」
というような殴りたいような発言だったけれど。
 僕も、大丈夫じゃないような気がした。でも物心ついた頃からこうだったし、今更どうにかなるものか、という疑問も持っていたのだが。
「お前、事あるごとに、梓が、梓に、梓で、梓と、じゃないか。朝から晩まで梓の事しか考えてないんじゃないか?」
 からかい混じりのそれには
「流石にそんなわけないだろう」
と返したが、実際は言われた通りだった。それを自覚して、愕然とした。
 やばい、やっぱり頭がおかしいかもしれない、と。
「まあ、俺もなぁ。梓が姪っ子じゃなくって自分の娘だったら、と何度も考えたくらいだが」
 子煩悩、という言葉は、僕程ではないにしろ、うちの両親然り、和成叔父さん夫婦然り、当てはまる。アメリカに居た頃は半年毎に帰国する度に、僕以上のお土産を梓に買い漁ってきた両親だし。
「お前の可愛がり方は尋常じゃない。はっきり言って気持ちが悪い」
 もう少しオブラートに包んだ言い方を希望。
「俺はな」
 そこで父親の口振りが一変した。からかいを含みつつであった会話が、一気に重苦しくなるような気配。
 ためにためて、父親は。
「――お前が何時か、幼女誘拐でもしてきそうで怖い」
 やっぱり、殴り殺していいですか。
 ――だから、というわけではけしてない。けしてない、が(大事な事なので何度でも言う)。
 大学を卒業した年、父親の勧めでニューヨーク支社に勤める事にした。一年、という短期間だが、当時付き合っていた彼女とそれを理由に別れて、俺は日本を発った。
 日本を離れると決めた時に後ろ髪を引いてくれたのは、梓だったけれど。
 父親の会社、という事で、かなりの高待遇で、言ってしまえば楽な働き口だった。ニューヨーク支社では色んな人種の人が働いていて、様々な言語が飛び交う会社ではあったが、外国語は大学までに英語は日常会話は完璧だったし、大学でイタリア語とスペイン語を専攻していたおかげで、四ヶ国語は楽に喋れた。だからまあ大学上がりの小僧にしては、父親が社長、という状態を抜きにしても、特別視されていたと思う。
 また、外国人のあっさりとした人間関係や気風は意外に僕に合っていたらしく、僕はそれなりに楽しく、海外生活を謳歌していたのだ。
 それでも。
 梓の居ない生活は、僕の胸に大穴を開けたまま塞がる様子がなかった。
 日本を離れる時に、「毎日電話するから」と僕の渡米を泣いて止めた梓は、一ヶ月もすれば僕の存在を忘れたように、毎日あった電話が2日に一辺、3日に一辺になり、ついには自分から全く連絡をしてこなくなったのは三ヵ月後。母親に「あっさりあんたの居ない生活に慣れたわよ」と告げられた時には、泣きたくなった。そんなのは、ありか、と。
 だからと言って、僕から毎日電話をする気にはなれない。梓離れのいい機会だと思っていたのは確かだ。
 なのに、電話をしない代わりに、母親が寂しくなったら見なさい、と餞別に渡してくれた梓との写真一杯のアルバムを毎夜寝る前に眺めているような有様だった。特に、渡米の関係で見る事の叶わなかった梓の小学校卒業式の写真と、中学校の入学式の写真は、穴が開くくらいに見た。帰国して参加するつもりだった中学校の入学式は、「やめてよ、恥ずかしい」と梓に言われて断念したのだ。
 僕も通っていた中学校の濃紺のセーラー服は、梓に良く似合っている。肩口で揃えた黒髪を風に靡かせて、はにかむ梓。舞い散る桜の花の中、千佳さんと並んだ幾つもの写真を見る度、そこに居たのは自分だった筈なのに、と思う。
 部活はバスケ部に入った。何々ちゃんという友達と仲が良い。そんな事を叔父さん夫婦や母親から聞かされる度、何故それが梓からの報告じゃないんだろう、とため息をつく。
 重症だった。

 一年の渡米生活を一ヶ月早く切り上げたのは、一年を目処にしていた事業計画が完了したからだった。勿論、一国も早く帰国する為に、死ぬ気で働いたからだが、それを父親に報告する義務も無い。
 帰国直後東京の本社ビルで父親からねぎらいを受け、昼食を一緒に、と言われながらも疲れたからと理由に家路についた。勿論、真っ直ぐに家には帰らずに、お土産を車に詰めて和成叔父さんの家へ向かう。
 すでに連絡をしていたからか、千佳さんは嬉しそうに僕を迎え入れてくれた。梓が帰るまでニューヨークでの生活を中心に話題にしつつ、僕は梓の話を聞きたがった。
「大樹ちゃんは、本当に変わらないわねぇ」
と呆れ顔の千佳さんも、変わらない。何時までも僕をちゃん付けで呼ぶ癖も、
「千佳さんも相変らず綺麗で驚いた」
まだ成人もしていないんじゃないかと思える、童顔さも。19歳で梓を生んだ千佳さんは、まだまだ若い。
「口はうまくなったわね」
ところころ笑う。
 そんな会話をしながらも、僕は梓の帰りを今か今かと待ち構え、何度も時刻を確認していた。
 少し遅いんじゃないだろうか、迎えに行こうか、などと思いだした八時過ぎ。部活を終えた梓が、「ただいまぁ」と言いながら帰って来た。
 俺は従順な犬のように――走り寄ったりはしないが、内心ではそれに近い心持ちで、ゆったりした足取りを意識して玄関まで迎えに出る。
「おかえり……」
 でも、途中で足は止まっていた。
 一年振りに見る梓は、記憶の中のそれより成長していた。当たり前の事だが。
 成長期に入った身長は一年の間に十センチも伸び、長い手足が濃紺の制服から覗いていた。髪の毛は若干赤茶けて、胸の辺りまでの長さ。俺の声に驚いて靴を脱ぎかけの動作で固まって、綺麗に整えた細い眉を訝しげに寄せていた。ほんのり、化粧でもしているんだろうか。頬が不自然、という程ではないけれど赤らんでいた。睫も人工的に長い。
 僕の時代の中学一年生より、よっぽど大人びていた。





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