05 お手上げです、きみには敵いません。 後編



 理子の腕が、しっかりと俺の首に絡みついていた。
 ふわり、冷たい髪の毛の感触が顎に辺り、奇妙に火照った身体を急速に醒ましていく気がした。冷静になった頭で考えるのは、玄関先で何をやっているんだろう、って事。
 玄関でのキスは二度目だ、と――回数ではたったの三回目だが、不意打ちで奪った二回目のキスを思い出して、笑えた。
 俺にはどうやら、ロマンの欠片も無いらしい。
 喉で微かに笑みがくぐもった。近くに居た理子には聞こえてしまったのだろう、少し身を離した理子が怪訝そうな顔で俺を見上げている。
 唇についていたリップグロスは全て舐め取ってしまった。今は二人の唾液で湿った唇が、微かな外の明かりで光っている。仄かに開いたそれに誘われるようにして、俺はまた唇を押し付ける。
 吸い寄せられるっていう表現が正しいのだろう。
 考えるよりも早く、俺の舌は理子の口内を荒らす。
 何時までだってそうしていたいけれど、身体に篭った熱は上昇を続け、欲望は頭をもたげ始めている。
 小さな声を漏らす理子を胸に抱きしめながらも、俺は何とか唇を離した。
「……上がれよ」
 促せば理子は素直にブーツを脱ぎ出す。紐の緩いスニーカーの俺と違って、理子のそれはひどく脱ぎ辛そうで、悴んだ指のせいなのか遅々として進まないように見える動きに、舌打ちが漏れそうになる。靴なんてそのままで、部屋に抱えていってしまいたい。
 ――それはがっつき過ぎか。
 理子の動きを目で追っていると、自然に理子の身体のラインを這い出す。思考が怪しくなってきた所で、俺は理子に背を向けた。
「先行って、部屋温めてるから」
 返事を待たずに最奥の自室へ向かって、言った通り暖房を入れる。部屋の中から理子を窺えば、理子は調度片足を脱ぎ終わった所だ。
 俺はダウンを脱ぎながらチェストの一番上の引き出しを開ける。畳んでいれられた下着の中に無造作に手を突っ込めば、布とは違う感触に行き着く。俺はそれを取り出すと、廊下に神経を注ぎつつも買ったままになっていたパッケージを剥がす。
 買ったのは先月で、その時は使う機会があるのだろうか、と疑問にも思ったのだが。
 迷った上で二つ程、小袋を枕の下に隠し、起きた時のままだったベッドを申し訳程度に整えてみる。
 まあ、何ていうか……逸り過ぎていて、滑稽にも感じるけれど。
 とりあえずのセッティングを終えて満足そうに腕を組んだ所に、理子がやって来た。理子も脱いだコートを腕に抱えて、おずおずと室内に入って来た。
 制服以外ではパンツ系のボトムを好む理子のスカート姿というのは、滅多に拝めない。首周りが大きく開いたピンクのニットワンピースには、中央にボタン代わりに黒いリボンが三つ。首からはパールのネックレスをかけていて、何ていうか可愛らしい雰囲気を持っている。
 鎖骨の窪みがくっきりと浮き出て、心なしか紅潮して見えるのは先程の名残なのか。
 物珍しそうに室内に目を走らせる理子を見て、そういえば自分の部屋に招待するのは初めてだったのだと思い出す。家には常に誰も居ないから、俺の家へ来る時はリビングで過ごしていたのだ。夕飯を食った後にテレビを見るか勉強をするかのコースだから、自室より広いリビングの方がよっぽど居心地がいい。
 理子のコートを受け取って俺のダウンと一緒にハンガーで壁にかけると、理子は「ありがとう」と呟いた。
「ん」
俺も短く返すだけ。
 奇妙な緊張感を保ったまま、理子を促してベッドに腰掛ける。
 そのまま気まずそうな理子の横顔を凝視してしまう。
 ――緊張の取り除き方なんて知らない。ただ、「何か飲むか」とか「音楽でもかける?」とか聞いてしまった瞬間に、タイミングを逸する事だけは分かっていた。その後にまた雰囲気を取り戻すスキルなんて俺には無い。
 だから。
「理子」
 感情を押し殺すような自分の声を聞きながら、理子の頬に指を這わす。身体ごと強引にこちらにむければ、身体を支える為の手が俺の太股に乗った。その頃には俺は理子の唇にキスを落としている。
 理子の頬を両手で包み込んで、深く深く、口内を漁る。厚みのある理子の舌を自分のそれと絡ませながら、片頬の手は首筋を伝い下り、もう片方の指先で理子の髪の毛を弄ぶ。どこに触れても、それが理子のものだと思うと、胸の内が歓喜に震える気がした。
 自分のものなのだ。
 甘い唇も、滑らかな肌も、細い指も、形の良い爪も、毛の一本まで全部。
 全部全部、余す所無く自分のものだ。
 今、この身体を味わう権利は自分にしかない。
 潜めたような微かな息遣いと、濡れた音が室内に響きだす。
 キスの角度を変える度身動ぎする理子を意識のどこかで感じながら、俺の手はゆっくりと理子の身体をなぞる。肩に引っかかるワンピースの襟ぐりを撫でながら下ろし、肘まで一気に引きおろす。大した抵抗も無く、伸縮のあるワンピースは理子の上半身を半分程露にする。
 唇を離れた俺の舌は顎を辿り、首筋へと這って行く。
 俺の太股から移動した理子の手は俺の腕へ回り、俺の動きを留めるように力が入る。
「健、」
 何か言いたげに俺の名を呼んだ理子に、俺は首を舐めながら尋ねた。
「何?」
 鎖骨の上に強く吸い付くと、また指先に力が入る。理子の反応を確かめながら、俺はキスを続ける。
「……あの、電気……」
 行為を止めようとはしない。それが嬉しい。だから調子に乗ってしまうのだろう。
「嫌だね」
 部屋の中央にぶら下がった電球は、恥ずかしそうに視線を彷徨わせる理子を、脱ぎかけのワンピースを纏った媚態を、照らす。恐らくそれは女にとっては恥ずかしい事なのだろうけど、男からしたら、明るい方がよりいい。照れた顔も、熱っぽい視線も、服の下に隠れた肌も、全部直に見たい。
「健、」
 非難するように俺の胸を押し返そうとする理子を、押し倒す。理子の身体は簡単にベッドの上に転がり、俺はそれを上から見下ろす形になる。
 俺のベッドに理子がいる。そんな些細な事に興奮してしまう。
 羞恥と混乱に表情を強張らせる理子の顔が真正面にくる。その表情を堪能しながら、俺は皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「……分かったよ」
 それでも、理子が嫌だと言うのなら。行為をとめられるよりよっぽどマシだ。
 懇願するような磁力の強い視線に負けて、俺はいったん理子の上から退いた。それでも全部消してしまったら色々困るので、豆電球だけつけ残す。
「……これで、いい?」
 言ってベッドに乗り上げれば、重みでぎしりとスプリングが軋んだ。
 こくり、頷く理子を確認して、俺は理子の上に馬乗りになる。そうして額に一度キスしてから、着ていた上着を脱いで、理子の上に覆いかぶさった。
 またキスを再開しながら、理子の服も脱がしにかかる。腰を持ち上げると、理子は俺の背中に回していた腕をいったん外した。無意識なのかもしれないが、それでワンピースをすんなり脱がす事が出来る。ワンピースの下は、ブラとタイツ。少し迷ってから、タイツも一気に脱がした。
 紀子がいた時分、洗濯は当番制だったから紀子の下着も干したり畳んだりしていた。だから女の下着は珍しいものでもない。だけれど紀子が好むものとは大分デザインが違って、それは理子自身のイメージとは異なる大変に可愛らしいものだった。レースをあしらったそれが、勝負下着というものなんだろうな、と低迷し始めた脳で考える。
 理子もこの展開を期待してくれていた、と思ってもいいのだろうか。
 露出した肌に下着姿というのも何時までも見ていたい程エロいな、とは思うけれど、やっぱりもっと理子自身を味わいたい。
 視界だけでじわじわと俺を追い詰めていく理子が瞬間憎らしく思えて、胸を隠すように両手を抱えた理子の手を剥がしにかかる。
 息を詰める気配を感じながら、胸の膨らみに吸い付く。くびれた腰から腿へと手を移動させながら、荒い息を理子の胸に吐き出して、柔らかい感触に夢中になっていく。
 理子が俺の指先の動きに反応してびくつく姿、必死に押し殺す声が、どんどん俺を昂ぶらせて、行為を増長させるのだ。
 何を言ったらいいのか分からない俺は、理子の名前を繰り返すだけ。
 じっとりと汗ばんでいく肌。次第に甘さを帯びていく声音。
 耳から脳が蕩けるように、侵されていく。
「――あっん……」
 ブラを外し立ち上がりかけた先端に歯を立てた瞬間の理子の喘ぎに、心が躍る。
 ああ、やばい。やばいぞ、これは。
「は……ぁん……ぁっあ……」
 丹念な愛撫に応える理子。それが嬉しくて、俺は舌と指を駆使する。
 理子の身体に散らしたピンクの花に満足して、俺はゆっくりと理子の下肢に手を這わせた。触れた内側はしっとり、濡れている。
「け、ん……」
 理子の掠れた呟き。
 そこからは俺の理性も焼ききれて、性急過ぎる程だった。
 理子の艶かしい姿態と潤んだ瞳を霞がかった視界に受け止めて、甘い声に誘われて。
 気がつけば理子を激しく突き動かしていた。
 密着した肌と、荒い息遣いと、理子の喘ぎ声。そして俺を包み込む中に、欲望の火は際限なくて。
 溺れる、っていうのはこういう事かと、絶頂を迎える瞬間に思った。

 ――お手上げだ。

 腕の中で小刻みに震える小さな身体を強く抱きしめて、思う。
 付き合いだした当初は、自分にどれだけの熱情があるのか、些か不安だった。
 理子に対する気持ちは確かだったけれど、その重さを量ったら、どうなのだろうと。好きという気持ちがどれ程のものなのか、分からなかった。
 でも今は身体の欲望以上に、理子という人間を求めている自分がいる。
 独占欲、ってのが、自分にも確かにあるのだ。
 理子を誰にも渡したくないという気持ち。
 理子が言ったように――隣にいるだけで、心が満たされる、幸福感。

 胸の中でまどろみかける理子の頭を撫でながら、その温もりを何よりも失いたくない、と。
 ガラにも無くそんな事を思った自分を、はっきりと自覚した。





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