03 そんな腫れた目で笑うんだね


 アタシ、羽田梓の趣味は人間観察。身体を動かす事も大好きだからバスケ部になんて所属しているけれど、実際そこまで打ち込んではいない。バスケ部に入ったのは中学からやっていたからで、別に部活は何でも良かった。ストレス発散出来る運動部であれば。
 どちらかというと高校生活のメインは人間観察。最近注視しているのは、二人。
 高橋健の最初の印象。兎に角メチャクチャ男前。日本人離れした長い手足で、スタイルが良い。同じバスケ部で、しかも期待の新人だというから、これは鑑賞用だと位置づけた。部活での奴は爽やかキャラなのに、他では俺様毒舌キャラというギャップにも、かなぁり魅力を感じた。勿論、惚れただなんだというより、見て楽しむタイプの相手として。
 同じクラスの菅野理子の最初の印象。物静かで文科系の美人。人目から隠れようとしているのがバレバレだけど、何だかんだ言って手入れがしっかりされているからどうしても目立つ。観賞用としてはあまり食指が向かない。これで影でも背負ってくれていれば面白かった。
 高橋の方は、女嫌いという事でも無いのだが、基本寄って来る女に取り付く島無し。別段会話したいわけでは無いので常に眺める対象だった。
 けれど菅野の方は同じクラスだから関わる機会は多い。関わってみると、彼女も意外に変わった性格を持っていた。勝気だし、明け透けだし、下ネタにも参加するし、誰隔てない態度。会話は面白いし、突っ込みは辛辣だし、フォローも抜群。かなり人馴れして物怖じしない。活発かと思えば乙女な一面もあり。料理は美味いし、紅茶に凝っているらしい。毎日違う茶葉で紅茶を入れてるとか、深層のお嬢様みたい。なのに格闘技有段者で、中学時代はソフトボール部。昔の写真を見ると人変わり過ぎ。
 アタシは、この菅野という人間が大好きになった。
 その菅野が美人故のやっかみに合った時、当の本人はひどくあっさりしたもので拍子抜けしたのだが。
 その原因となった高橋が何も知らずにのほほんと、バスケバスケと言っているのを見た時、アタシの中で彼という人間が大切な友人を窮地に立たせた敵という立場に変わった。
 いい気なもんだよな、と。
 無我夢中で部活に打ち込んでいる、今までなら高感度抜群のその姿でさえ腹立たしいものになったものだ。
 その彼がやっと現状に気付いた。
 かと思ったら、またアタシの性癖がむくむくと頭をもたげてしまって。
 少しだけ、違う方向を示唆しただけだったんだ。それこそ含む程度に。
 何かやらかしてくれないかな、と。

 一直線な人間ほど、面白いものは無い。



 それは、誰しもが空腹を満たし、午前中の鬱憤を晴らし、一番長閑に過ぎ行く時間。
 つまりお昼休み。
 アタシは真知子、菜穂、それから菅野と四人でご飯を食べていた。早食い王の菅野が、話てばかりで中々箸の進まない真知子と菜穂を放置して一人さっさと弁当箱を仕舞いこんだ矢先。
 アタシは朝練ではっちゃけ過ぎて、三時間目に男子学生かと思えるが既に早弁をしていた。だからお昼はおやつタイム。ポッキーを齧っていたら、静かに流れるお昼のBGM――クラッシックだったらしい――が、ぶつっと途切れた。

【放送ジャック】

 その声の主に誰しもが茫然と、そこに居るわけでない高橋を探すように、黒板の上のスピーカーに視線を固定していた。
 アタシはもう、笑いを堪えるのに必死だった。
 何の捻りもない。
 でも、グッジョブ、高橋!
 多分学校中で、アタシだけが知っている。その後、高橋が何するか。
 だからアタシが観察するのは、菅野だ。
 彼女は戸惑った目で、皆と同じようにスピーカーを凝視していた。
 切れ長の目を見開いて、繊細な睫毛を微かに震わせて。小さく開いた唇は、綺麗な桃色。横顔は彫刻のようだ。
 声無く、高橋、と呼んだようだった。
 放送室のジャック犯、高橋の凄みのある怒鳴り声に、微かに背後のざわめきが混ざる。気のせいか笑い声がするけど、誰もきっと気付いてないな。
【バスケ部の高橋と菅野の噂は全面否定する】
 ――一ヶ月経過した今頃、そこから話が入るのか。
【だが、俺、高橋が誰と飯食おうが帰ろうが全く誰にも関係ねぇ!】
 ――それはそうだ。当たり前だ。何故きれている。
【俺は俺の友達は自分で選ぶから】
 ――過保護な母親でも居るのか。
 等と一人余裕なアタシは、心中でこっそり突っ込みつつ。
 大きく息を吸い込む気配がスピーカーの奥でする。
【今後下手な口出ししやがったら女でも容赦しねぇからなっ!!】
 はい、素敵な脅し文句を有難う。上出来だ。
 以上、とぶっきら棒な声が告げてまた、ブツリと音声が切れる音。すぐに元の音楽が流れ出すが、それは湧き上がったどよめきに消えてしまった。
 キャーという黄色い声。笑い声も混じる。男子共は何言ってんだと疑問顔。そりゃそうだ。菅野の現状を知っている女子にしか、恐らく通じてない。でもそれで良い。
 友達宣言をここまで堂々としてくれるとは思わなかったから、アタシも感心した事しきり。
「……馬鹿、」
 近くで呟かれた言葉を、アタシは敢えて無視する。顔を合わせて瞬きをしている真知子と菜穂にむけて、わざと
「やるねぇ、高橋君」
 笑いかけてやると、二人はぱっと顔を綻ばせて。
 菜穂の隣で、机に腰かけているような体勢の菅野は、見ない。
 あまりにも突拍子の無いジャック犯に話題は掻っ攫われ、菅野を誰も見ない。
 菅野は
「トイレ」
 と素っ気無く言うと、教室を出て行った。

 そして、アタシは。

「お疲れ、ジャック」
 放送室でこってり絞られた事間違い無しの高橋が、職員室から出てくるのを見越して待ち伏せ済み。
 軽く手を上げてやると、高橋が悪辣な雰囲気を隠しもせず
「てめぇ」
低く唸った。
「計りやがったな」
って今頃気付いても遅いです。
 アタシはにやにや笑顔を隠しもせず、顔に貼り付けたまま。閉じた口が震えて笑い声を立てるのだけは我慢した。
「いや、見事だったよ。見直した」
 ――やっぱり声が震えてしまった。
 高橋は腹立たしそうに鼻を鳴らした後、気付いたように顔を寄越してきた。
「理子は」
「ん? 意図は通じてたよ」
「はぁ?」
「すぐ教室出てっちゃったもん。あれは、泣いてたね」
 感動で。
 顰められた高橋の顔を見ながら、アタシはもう一言だけ付け足した。
「何時かあの子に、目の前で泣いてもらいたいモンだね。アンタもアタシも」
 強気でどこか脆い菅野が、何時か全部曝け出してくれるように。
 舌打ちして去っていく高橋の後姿は、やっぱりどこまでも観賞用だった。



 菅野はその後、放課後まで姿を現さなかった。心配するクラスメートに、
「話題にされるの嫌だから保健室で寝るって」
と嘯くと、大抵納得したようだった。菅野の性格を程よく知っているから、納得してくれたようにも思う。菜穂だけは違っていたけれど。
 放課後、菅野の鞄を持って、菜穂と一緒に保健室へ行った。
 保健医の花藤先生は居なかった。菅野に逃げ場を与えてくれる、ちゃんとした大人だ。濡れタオルだけ渡して席を外すとは抜かりない。
 アタシ達が行った頃には、菅野は既に笑顔だった。化粧は剥げていて、頬にマスカラの黒い筋が残っていて。瞼は赤く腫れていた。
 でも、アタシも菜穂も知らん顔だ。
「よく寝れたかい」
 そう揶揄すれば、
「おかげさまで」
 にっこり笑った綺麗な顔。

 やっぱり菅野は、笑顔が一番似合う。





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