02 カタルシス効果
感情のままに、理子の家に行ってしまった事は後悔している。
自分が知らない所で起こった事で、花藤にどやしつけられて。だから女って面倒臭いって思って、うんざりして。それが何も言ってこない理子への怒りに摩り替わって。
大体一緒に飯食いに行っただけでこんな大事になるなんて思いもしないし。ただ軽い気持ちで、それこそ男友達と飯食うような気持ちだったのだ。
それで部活にも身が入らなくて、部長に怒られた。今まで部活中はそれ以外の事をシャットアウト出来ていただけに、腹が立った。
だから部活帰りに、衝動のまま理子の家に行っちまって。
あいつが体調悪いのなんてお構いなしに、酷い事を言ってしまった自覚はある。とんでもない態度も、だ。
理子の言ってた事は正しかった。最後の最後だけ、意味不明ではあったが。
何で俺が困らせてるんだ? って、それだけは今でも分からん。
でもそのまま居てもそれ以上話してくれる気配もないし、一応見舞いって言った手前、体調を気遣わないわけにもいかない。
「もう、いいじゃん。それは」
なんて理子本人が納得済みと言われてしまえば、応じるしか無かった。
かなり頭に血が上っていたし、ワンクッション置くのが身の為でもあると思った。
結局一日たっても理解出来てねぇんだけど。
翌日の朝練でも、やっぱりどっか気がそぞろになっていて。佐久間に「珍しいねぇ」なんて揶揄されるぐらいだった。
タオルで汗を拭いながら、体育館内に目をやる。隣のコートでも女子部が朝練を終えて片付けに入っている。その中に。
「おい、あんた」
「……何?」
声を掛けた瞬間、とてつもなく嫌な顔をされた。確か以前は、試合の度にキャーキャー黄色い声を上げていた女バスの一年生。俺のファンの中の一人、の筈。
肩に置いた手を、まるで汚いものを取るようにぺいっと外された。
こんな態度をしてくる女は、理子の他に珍しい。
「……あんた、1組だよな?」
「そうだけど」
理子のクラスメイトである事を確認すると、更に眉間の皺が寄った。この嫌われ具合はもしかしなくても、
「あんた、理子と仲良い?」
「……やっとお声が掛かった?」
――やっぱりだ。
今まで散々人をチヤホヤしてきたのにガラリと態度を変えてきた事に驚きはしたが、それはミーハー根性という奴で、友人の敵に回ればこうなるのだろう、と心中で頷く。
どうやら相当理子と仲が良いらしい。ついでに俺の動きを待っていたらしい。
着替えた後で、と言う女に応じて、一度場を離れた。
体育館の裏手にある水飲み場で待っていると、女は大股で歩いてきて、
「で」
羽田と名乗るだけ名乗って、そいつは顎を逸らしてこちらを見てきた。
「菅野の現状、やっと気付いてくれた?」
さっきよりは幾分落ち着いた、険の取れた声に促されて俺は頷く。
「でも、イジメの事とかはどうでも良いって言われたんだけど」
「誰に?」
「理子に」
「……話したの?」
声は更に優しくなる。間違いない。相当友達思いだ、こいつ。理子に似ているタイプだと思う。
「菅野はね、特殊なんだよ。あの子昔から相当異性にモテるけど、同時に同性にはものすっごく嫌われるタイプ。でも性格いいからね、付き合っちゃえば大好きになっちゃう」
臆面無く大好きなんて言うから、こっちが照れてしまう。
「まあ慣れもあるんだろうけど、陰険なイジメも、僻みたっぷりの嫌味も、さらりと流せちゃうんだよね。そういうモンだからしょうがないって。アタシ学校違ったから知らないけど、中学時代はかなり目立つ感じだったらしいよ。何よりあの見た目でしょ? 今の文科系美少女って言うより、明るくて楽しくて美人っていう。部活ではエース、正義感強い姉御肌。格闘技の覚えあり。だからモテたし、男女ともに人望があった。――表向きは」
切欠は何だったか知らないが、一度標的に回った後は学年女子から総スカン、男が宥めれば更に酷い事になって、先輩や後輩まで学校中が敵状態。その凄まじい状態でも、理子自身はどこ吹く風、ではあったらしい。
「まあ、菜穂の言う事だから多分に誇張はあると思うけどね」
と容赦無い事を言ってのける羽田。
「でも菅野の性格なら、しょうがないよ、で確かに流せたと思うよ。だから今もね、それ系の事は全然気にしてない。でも面倒臭いとは思ってると思うね。誰かさんのせいで」
嫌味も忘れないとは、侮れない。ただ理子程好感を持てないのは、敵意をひしひしと感じるからだろうか。
「まあだから、その事については気にしないでよ」
などと、羽田が締めに入りそうだったので、俺は目を剥いた。
せせら笑う女子高生が目の前に一人。
「で、他に何言われたの」
薄い化粧は理子と違ってどこまでもナチュラルの様だ。飾り気の無い、いかにもなスポーツ少女。で、物言いは大分直球。
眉根を寄せれば更に楽しそうに笑われる。
「……何もした覚えないけど、俺に困ってるとか言われた。俺と理子の関係ってのが良く分からんって。俺のが分からん」
羽田という人物には、恐らく直球を返すしかないのだと思い至って、俺は溜息混じりに吐き出した。
例えようの無い疲労感が沸いてきて、脱力してしまう。
「アンタから見て、アンタと菅野って何?」
「はあ?」
「同じ高校の同級生で。親友の恋人のダチ? ま、一緒にお昼食べる程度に仲は良い」
その通りだ、という意味で頷く。
「で、アンタと菅野は結局何。ただの同級生?」
また意味が分からないが、とりあえず頷く。
「ただの同級生って普通さ、挨拶するとか名前知ってるとか、その程度じゃないの。アタシとアンタみたいに」
「回りくどい」
「くどくない。だからさ、お昼一緒したり、一緒に帰ったり、二人でご飯したり、ましてや送ってくなんて。そういう関係を友達って呼ぶんじゃないのかい、普通は」
確かに、そういう状態であれば、同級生というより友達の枠だ。携帯番号もメールアドレスも知らなければ、別段誘い合って遊んだりするわけでも無いが。遊ぶのはけして吝かでない。
「そういう枠組みが必要なら、そうだろ」
「それをさ、菅野は「分からない」なんて言うから問題になってんの。友達だって公言すればいいんだよ、そんなの。それが菅野の厄介なとこ」
一人納得してうんうん頷きだす羽田の言っている事が、大分理解出来ない。だから俺は回りくどいって言ってるんだが。
俺が訝しげに視線をやっていると、だからと羽田が煩わしそうに続けた。
最初から分かりやすく説明してくれれば良いんだ。
つまりは、だ。理子は呼び出しの大抵には殊勝な態度で、当たり障りのない返しをしているという。何様だ、お高くとまってるだというやっかみは、言いたいだけだから流す。でも、何故俺と一緒に帰っただお昼を取るだという話になると、「分からない」と答えるらしい。付き合ってはない。島野と佐久間につられて話したりする。でも、「自分とは顔見知りの同級生」。それは確かに、間違いでは無い。けれど呼び出し相手にとっては、それでは自分達と立場が同じという事になる。同じように顔見知り程度で、同じクラスの奴も居れば同じ中学だった奴も居る。ただ、そういう奴らは、俺と一緒に昼飯を食ったことも一緒に二人で帰ったことも、ましてや送ってもらうことも、無い。それこそ偶然の産物だが。それを「仲の良い友達だ」といわれれば、やっかむけど納得はする。
「……それだけ?」
「それだけだよ。で、基本菅野は呼び出しはどうでもいい。だけど毎回同じように「高橋の何なの?」と聞かれて、自分達は何なのかと自問してテンパってんだよ」
何だかんだと講釈を垂れてくれたが、ようは俺と理子が友達だと宣言すればよいって事だ。宣言するのはおかしいが、それ程大きな問題になっている。なら最初から理子が友達だと言ってれば良かった話だろうに。
そんな単純な事を何故理子がそこまで思い悩むのか。
「で、ここで重要なのが菅野の特殊さだよ。あの子、友達作りかなり下手だから」
「はぁ?」
「菅野はさ、誰とでも仲良くなれるし物怖じしないけど、その代わり友達は少ない。だって大抵男子はあの子に好意持っちゃうし、大抵の女子は敵だから」
「……へぇ」
同じモテるでも俺とはかなり様子が違う。
「ま、仮に男子の友達が出来てもねぇ、それを好きな女が居ればやっかまれちゃうから。男友達って居ないんじゃない? アンタも女の友達ほとんど居ないでしょうが」
確かに。
「男同士だとねぇ、その手のやっかみなんて酷くないんだろうけど。まあそういうわけであの子にとってはさ、友達とそれ以外の境界がはっきりと必要って事」
あっさりとそう言って、羽田は「余計な時間食った」とぼやきながら渡り廊下を走っていった。
昼休み。
最近は体育館に直行していたが、今日はその前に一つやらなければいけない事があった。かなり面倒臭いが、どうにもそうしなければ理子の周りは落ち着かないだろうから。
何でこんな事になったのかは、最早どうでも良い。
起こってしまった事は変えられない。
ただ一つ言える事は、俺は、理子を気に入っている。初めて友達にしても良いと思った女だ。
あいつと話すと面白いし、新鮮だ。
その関係を失くすのも、ましてや他人にどうこう言われるのも、冗談じゃない。
向かう先は放送室。昼は適当な音楽が流れているだけだが、放送当番って奴が駐留している。予め放送当番の友人には言って聞かせてある。
今日の当番は元々その友人では無かったのだが、急遽変更させて。
マイクのスイッチを入れると、その友人もとい悪友はにやにやと笑いを貼り付けた顔を向けてくる。
まったく、何で俺がこんな事。
そう思いながらも、口を開く。
【放送ジャック】
そう言ったら友人が噴出した。
【バスケ部の高橋と菅野の噂は全面否定する。だが、俺、高橋が誰と飯食おうが帰ろうが全く誰にも関係ねぇ! 俺は俺の友達は自分で選ぶから、今後下手な口出ししやがったら女でも容赦しねぇからなっ!!】
背後の友人に蹴りをくれてやってから、一気に話し切る。そして思いっきり凄みを乗せた声で言ってやった。
「以上」とマイクを切った時は、清々しい気持ちだった。