01 言葉にならない想いの代わり


 弟みたいに思っている従兄妹が帰った後すぐ、菜穂からメールが入った。
【大丈夫? まだ辛い?】
【もうなんともないよー】
 デコレーションの絵文字が入っているメッセージに、何の絵文字も入れず素っ気無く返すけど、私はあまり携帯メールというのが得意じゃない。句読点替りに空白入れて、良く羽田に笑われる。
 送ったすぐ後にまた返事が返って来る。最近の女子高生は返事がすっごい速いって、年下の彼女持ちの兄貴がぼやいていたけど、それは確かに言える。息着く暇も無いな、なんて、同じ女子高生の筈の私が思う。
【お見舞い、行こうと思うんだけど】
【いいよ ただの生理痛だし 佐久間君待ってるんでしょ】
 菜穂は佐久間君の部活終わりを待って、最近一緒に帰って来てるらしい。部活で忙しい佐久間君は土日も遊べないとぼやいていたし、貴重なカップルの時間をたかが生理痛の見舞いで潰すのは気が引ける。
【じゃあ、帰って来てから。ちょっと遅くなっちゃうけど】
【行き帰り危ないでしょ それ】
【じゃあ佐久間君と一緒に。駄目?】
 ……生理痛の見舞いに彼氏と来られるのはちょっとヤダなぁ。腹痛でごまかすにしても。後もうすっぴんだし。佐久間君だから笑ったりしないだろうけど。
【いいって 明日は学校行くし 大丈夫だから】
 有難いが、今日はもう雪という見舞いも来た事だし、病人でも無いのだから。そう思って、ちょっと冷たいかなとも思ったけどそう返事すると、菜穂は
【わかったー】
 しょんぼりとした絵文字をつけて来た。それに【アリガト】と送って、携帯を閉じる。

 我が家は両親、兄貴と私の四人家族だが、パパは何時も深夜帰宅の多忙な仕事人で、大学生になった兄貴は春から一人暮らしをしているので、夕飯はママと二人だけ。雪ちゃんと食べたかったのに、と不平を零すママとの会話を早々に切り上げて、私は自室へ帰っていた。
 お気に入りの紅茶とティーセットを持って、買ったばかりのファッション雑誌に目を落とす。私の家での過ごし方は大概こう。あまりテレビとかは見ない。月9とかのドラマにも興味が無いのは、ちょっと女子高生としては逸脱してるかもしれない。映画とか海外ドラマは好きでDVDを借りて見たりはするんだけど。
 九時を回った頃、階下でママに呼ばれた。
 膝で歩いてドアを開けて、「何ー?」と答えると、
「ママこれから、お隣に回覧板渡しに行って来るわー」
と言われた。お隣さんは母子家庭で、お母さんはこれぐらいの時間に帰ってくる。何時も電話してから何かお届けに行ってるんだけど、お隣に行くと一時間くらい帰って来ない。
「わかったー」
 鍵閉めていくからね、と言うママに返事をして部屋に戻ると、今度はチャイムが鳴った。
 玄関でママが応答している。声の感じからパパでは無い。
「こんな時間に誰だろ……」
と他人事と呟いていたら、また階下から呼び出し。
「何よー」
 同じようにして声を荒げたら、「お見舞いよー」って。
「もう、いいって言ったのに……」
 勿論、菜穂だと思って。話の流れとして、考えられなくて。
 階段の上から覗き込んだら――。

 何故、高橋が。

 ママが余所行きの声で、「どうぞ上がって」とか言ってる。いや、上げないでいいから!!
 何故、家に? 家の場所はこの間送ってもらったから知っているだろうけど、一体彼は何をしに来たのか。私の心臓が激しくがなり出す。
「夜分すみません。お邪魔します」
としっかり挨拶して、靴まで揃えて上がり出す高橋。いや、お邪魔するな!
 意外にしっかりした挨拶に母親が「あらー」なんて好感触な声を上げている。きっと後から質問攻めにあうだろうな、と思うと憂鬱。
「お茶出すから」というママに、自分でするから早くお隣へ行けと追い出すと、「はいはい」とニヤニヤしながら出て行った。あ、完全に何か勘違いされた。
 ママを送り出して、高橋が玄関のドアに鍵をかけて。
 茫然としたまま、階段の上で固まっている私を一度も見ないまま、高橋が階段を上がってきた。
 二階の上がり口で、ぶすっとした不機嫌顔の高橋が、
「お前の部屋、そこ?」
 って、開けっ放しのドアを指した。何がなにやら分からないまま、条件反射で頷くと「あっそ」って言った高橋が勝手に部屋に入って来る。
「……って、チョット!!」
「……何だよ」
「何しに来たの、何なの、何のつもり!?」
「何って見舞い」
 慌てて後を追うと、高橋は私の許諾も無しに、今まで私が座っていたクッションの上に腰掛けた。それから机の上に置いたままの雑誌を捲ってる。
 ぶっきら棒な物言いといい、俺様な態度といいとても見舞いに来た人間とは思えない。
 昼間の私を心配してきてくれたというなら、かなり嬉しい話だが。
「見舞いって……だからって何でこんな時間に」
「部活終わってからじゃどんなに急いでもこんな時間なんだよ」
「そりゃ、そうかもだけど……別にわざわざ来てくれなくても。明日でもいいんだし、っていうか電話とかメールとか」
 言ってからお互いの番号もアドレスも知らなかったと思い出す。思った瞬間それを指摘された。
 うっと唸ると、やっと高橋の顔が上がる。
 眉間の縦皺が高橋の機嫌を物語っている。目は全然笑ってない。鋭い視線で、むしろ睨まれて、「何よ」と小さく返す。
 何故こんなにも見られなくちゃいけないんだ――って、いぶかしんだものの、私はすぐに背を向けてしまった。
「何だよ」
 今度は高橋が疑問を口にする。
「っていうか、スッピンなのよ、こっち見ないで!」
「はぁ!?」
 私にとっては最大のコンプレックスだ。この兄貴そっくりの顔が。兄貴を知らない高橋の前ではどうでも良い事だが、まがりなりに年頃の乙女で何時も化粧で顔を作っている身としては――というより好きな相手の前で、スッピンを晒している状態に今更ながら動揺してしまった。
「もうじっくり見たよ、今更」
 全くその通りだ。
「心配しなくても、何時も通りビジンビジン」
「――って、何、そのどうでもいい感、」
「実際お前の顔なんてどうでも良い」
 抗議はあっさりと、低い声に遮られてしまう。それ、好きな男から言われる私の気持ちなんて分からないのだから仕方が無いけど、大概酷い。
 見舞いに来たんじゃなくて、貶しに来たんじゃないだろうか、この人。
 憮然として押し黙ってしまった私を、高橋が手招く。
「お前そんなとこ突っ立ってないで、こっち来て座れよ」
 部屋の主はまごう事なく私なのに、まるで自分がそうとでも言いたげな様子の高橋に、私はもう疲れ切ってしまって。
 だから溜息をついた後、高橋の後のベッドに腰掛けた。高橋が枕の方にいるから、足の方に座る。小さくなって、まるで私が客人みたいに。
 そんな状態だったからか、高橋が保温式のティーポットから紅茶を注いで、マイカップで飲んでいる事になんてちっとも気付かなかった。
「で、腹痛は」
「え? ――ああ、もう大丈夫。おかげ様で」
 って、おかげさまってなんだ。
「そりゃ良かったな」
 高橋が雑誌を捲る音、紅茶を啜る音が交互に響く。パラ、ズズ、パラ。まるでこっちを見もしない。
 居た堪れない私は、胸の前で腕を組みかえる。うん、と小さく頷く。
 もうどうしたら良いのかさっぱり分からない。
「で、何で俺に言わなかったわけ」
「……は?」
 これ、聞かれた意味を理解できなくても問題ないですよね?
 前かがみになった所為か、肩甲骨辺りまでの長さの髪が、後から前に滑ってきた。シャギーを入れた横の髪が頬に添う。
「何が?」
 瞬間、高橋の鋭い視線が突き刺さってきた。眼力があり過ぎる、黒い瞳。そこに今、私が映っている。
「何って、呼び出しの事とか諸々」
「……それ、菜穂が?」
「あ?」
 今度は私が聞かれる番。だけどすぅっと冷え切った心は、負けじと睨み返す事を私に請う。
「菜穂が言ったの?」
「島野は何も言わねぇよ。っていうか、聞いてんのこっちなんすけど?」
「だって! じゃあ、誰が!」
 何故今まで隠してきたと思っているんだ。どうして今、そんな事を言うのか。見舞いとかこつけて、それか、と思った瞬間、またやるせなくなった。
「花藤が、今日、保健室で」
 当事者なのに知らないままでいいわけないって。そう続いた声。
 ああ、花ちゃんが。
 どこにぶつけていいのか分からない怒りに、唇を噛み締める。
「保健室が荷物の避難場所とか。あの日の事、まだ言われてるとか。イジメとか」
「……」
「何で俺に言わない」
組んだ二の腕に爪をつき立てる。
 何故、今。
 高橋に、それを責められなければいけないのか。怒りを孕んだ声で。
 静かに、押し殺した怒気を発した背中を、何故私が、見つめていなければいけないのだろう。
「言って、どうなったっていうの」
「あ?」
「だから、言ってどうにかなるの? 一緒にご飯食べに行ったのは本当じゃん。ただの同級生の分際で、君と!! それ言われたら事実じゃん! 付き合ってるとかホテル行ったなんてデマ、違うって否定出来るけど! 彼女達は一緒にご飯食べた事にすら怒ってるの!」
 吸い込んだ息が切れるまで、一気に吐き出した。
「何で君とお昼食べてたくらいで、何様だとか、お高く止まってなんて言われなきゃいけないのよ!? 理不尽でしょ? 私が高橋と喋るのにもご飯食べるのにも彼女達の許可が必要って、そんなわけないのに!」
 でも。
「それが彼女達の言い分なんだよ」
 じゃあしょうがないじゃん。言ったって聞きゃあしないんだし。
「だから、そんな程度の事は私も気にしてないんだ。君のファンって何なんだって呆れてもね、何でもないの。それこそ告白の呼び出しと大差ないの」
 怒った肩から力を抜くように、私は大きく深呼吸した。高橋が、不機嫌なまままだ見つめてくる。
「あのね、私はね」
 本当の想いは言葉に出来ない。言葉にならない。
「どちらかというと、君に困ってる。この、なんだかわかんない関係に」
 そう言って私は、顔の半分だけ困ったように、器用に笑ってみせた。





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