04 ぱらぱら、と降る。
我がバスケットボール部は順調に試合に勝ち進んでいるらしい。
――らしい、というのは、相も変わらず私は彼らの試合を見に言っていないからだ。
11月も後半になり、そろそろ制服のスカートから覗く足が限界だ。一応お洒落に気を使っている身としては、スカートの下にジャージを履くなんて言語道断。羽田なんかは上までブラウス代わりにスウェットで、上下セットのユニクロスウェットをジャケットとスカートの下に着ているけれど。私はブラウスの上にミルクティ色のニットカーディガン、足は紺のハイソックスと、寒さを我慢してこの姿。
教室では一台の暖房が稼動しているけど、窓際の私の席は外からの冷気が窓越しでも感じられて、寒い。ひざ掛けを用意して、長い授業をやり過ごす。
視線だけは、窓の外の高い空を見上げている。室内でも、吐き出す息は白い。
件のバスケット部は今日も、試合だ。
新人戦予選大会。来年の本大会を目指して、レギュラーである高橋と佐久間君は忙しい。
高橋の放送ジャック以来私の周囲も落ち着き、私と高橋は友達という間柄で付き合うようになってはいたが、携帯番号とメールアドレスを交換したぐらいでそれ以外の進展は何も無い。一緒のお昼も、大会の為に練習に精を出す二人とは別。当然学校以外で遊ぶという事も無い。時々下らない内容や、試合に勝った負けたというメールはくるけど。
大抵授業中に行われる試合だから見に行く事は出来ないんだけど、学校が終わるなり試合場に駆け込む生徒やサボッて見に行く生徒もいるみたいだ。休みの日に差し入れついでに見学に行ったり、という人もいる。
私は、行った事が無い。菜穂や羽田に誘われても、頑なに首を振る。
行かない事に理由は無い。でも、いく理由も見つからない。
菜穂と羽田には私の気持ちはどうやらバレていて、それが見に行く理由だろうと言われるけれど。
元々バスケットボールという球技に興味が無いから、ルールを知らない。断り文句はそれ。
だけど実はバスケット雑誌を買って予習済みで、家の私室には深夜にやっているNBAを録画したDVDがあったりもする。それも、高橋の好きらしいチームのもので。
だから人並以上にバスケットには詳しくなっていたけれど、敢えて私は知らない振りだ。
だってそれぐらいの距離を取っておかないと、私は友達として高橋に接する事が難しいから。
授業に身が入らないのは、寒いからで。
けして高橋が試合に出たか、とか。シュートを何本入れただろう、とか。試合に勝ったのか負けたのか、なんて、そんな事が気になったわけではない……筈だ。
お昼休みに真知子に、
「菜穂も理子も今日ぼーっとし過ぎだから」
と話を聞いていなかった事を呆れ顔で指摘されたのも。ただ、寒かったから、の筈。
午後の授業終了後、残すところホームルームのみ。
切っていた携帯の電源を入れると、メールの着信を告げる画面が表示されて、バイブレーターと共に七色の着信ランプが鳴動し出した。二通のメールのうち、一通は羽田。
【試合勝ったよ】
とう簡潔なメッセージの下には、チアガールが腰とボンボンを持った腕を振っているイラストがついていた。
同じバスケットボール部に所属する羽田は、女子部の応援要員として試合場に行っており、毎回試合の結果をメールしてきてくれる。どうやら女子男子共に買ったらしい。
もう一通は、ママからだ。
【帰りにお醤油買って来て】
買い物要請だった。駅から家までの距離の間にスーパーがあるからと言って、家からニ、三分の距離である。不精せずに自分で行けば良いのに、とは思っても、
【了解】
と返した。
羽田のメールには返事をしない。毎回【おめでとう】としか返してなかったから、しばらく前に羽田から報告だから返事しなくて良いよとお許しが出たのだ。大体自分が出ているわけでもないからめでたくもなんとも、なんてしかめっ面をしながら。まあ、毎度とんでも無い喜びメールを送ってくるから、勝利自体は大分喜んでいるらしいけれど、素直でない友人に頷くだけにとどめた。
そんなわけでホームルームを無事に終えると、私はすぐに学校を出て家路についた。
冬の空は暮れるのが早い。少しおしゃべりにでも興じて帰れば、家に着く頃には太陽が沈んでしまう。冬だからこそ人並も少ない。家に帰る道は、そうなると変態さんの出没率も高くなってしまうので、必然的、冬場は帰宅も早くなる。
それに、今日は。
ママのスーパーへの出動要請だけが理由で無く、自然と歩く足は速い。
真上の空は、厚い灰色の雲に覆われて、今にも泣き出しそうだ。運悪く置き傘すら忘れて(前回使用して家に置いたままだった)いる私は、せめて駅までは降ってくれるなと祈りながら小走りで駅まで急いだ。駅までの近道にコンビニがあれば寄っていくだろうが、田舎だから駅前にしかコンビニがないのだ。
あともう少し、という所で、タイミングが悪く空から雨粒が落ちてきた。
細かい雨がぱらぱらと降ってくる。土砂降りにはなりそうには無い。
駆け足になっていた足が、その時、ふと止まった。
前方から、見慣れた一団がやってくる。
白地に、右肩の二の腕辺りに腕章みたいに紺と赤色があって、胸元にでかでかと学校名が英字でプリントされた、バスケット部のジャージだった。ビニール傘や黒とか紺のこうもり傘をさした人もいれば、雨なんか気にせず談笑している人もいる。一様に顔色が明るいのは、試合にかった所為なのだろう。
大柄な人が多いその一団は大体三十人ぐらい。部員全員が揃って学校に帰る所なのだろう。試合後でも練習をしているのは聞いている。恐ろしい体力だと思う。
その中から、私は高橋の姿をすぐに見つけてしまった。透明のビニール傘をちょっと前の方に傾けて、俯くようにしているが、角度から笑っている口元は見える。開いた襟の間に黒いカシミアのマフラーをしていて。その隣は、頭一つ分高い佐久間君だ。
背丈も体格も割りとあると思っていたけど、武骨な集団の中では小柄に見える。
なんて、そんな事を静かに観察している間にも雨は降り続いている。
彼らの先頭とすれ違って、私ははっとして歩き出した。
目があった相手にはとりあえず会釈をして、視線を前方に戻す。
私は道路側でなく内側を歩いていて、高橋と佐久間君は道路側。間に二人ぐらい人がいるから、何も言わず、そ知らぬ顔で通り過ぎる。
「――理子サン?」
通り過ぎてから、呼ばれた。
背後で「誰?」とか「同高じゃん」とか呟く人。一部の足並みが止まるのが分かる。ぴしゃぴしゃと足元で跳ねる水音が変わる。
私はゆっくりと振り返って。
「傘ないの?」
声を掛けてきたのは、呼び方から分かっていたけど佐久間君だった。集団から外れて来た佐久間君の少し後から、高橋がひょい、と顔を出す。一団の先頭はそのまま歩いていってしまったけど、後続はほとんど、十人ぐらいが止まっていた。興味深々にこちらを見て、誰かがまた「誰?」と言って。ひそひそ声が続く。「佐久間の彼女?」とか。「菅野さんじゃん」「あのジャックの子?」「じゃあタケの彼女か」「付き合っては無いんだろ」「っていうか綺麗な子じゃんね」とか。全部聞こえてるんだけれど。
私は曖昧に微笑んで、佐久間君の問いに答えた。
「傘、忘れちゃって」
佐久間君は私の頭上に傘をずらして、濡れないようにしてくれている。しかし、それだと
「大丈夫、それじゃ佐久間君濡れちゃうでしょ」
「オレは大丈夫だよ。体鍛えてるし」
「尚更、今大事な大会中でしょ。万が一があったら困るから」
「でも、女の子は体冷やしちゃ駄目だよ」
――なんて。優し過ぎる。こんな言葉がすらりと言えちゃう辺り、周りの男子達とは違うんだよなぁなんて考える。
だけど私は、そんな佐久間君には悪いけど、その後ろに神経を奪われてしまっていた。集団から抜け出そうとする高橋を、チームメイトがからかっている。「付き合ってるんでしょ、本当は」とか、「いいなぁ可愛い彼女」「彼女じゃないなら紹介しろよ」とか。うん、だから聞こえてるんだけど。
居心地が悪いから早々にこの場から消えたいんだけど、目の前の佐久間君を無視できなくて。何より、高橋と一言くらい言葉を交わしたいなんて思ってしまって。
高橋が何を言ったのかは分からなかったけど、彼が手首を降ってチームメイトを追い払う素振りをみせたら、集団はまだ何かを言いながらも歩き出してくれて、それでほっと息を吐く。
高橋が、遅れて佐久間君に並んで、佐久間君と二人で傘に入るようにしたからそれにもほっとした。
「羽田から、試合勝ったって聞いたよ。おめでとう」
ぱらぱら。雨が、降っている。頭上の傘を叩いて、その斜面を滑って落ちていく音がする。
「もう駅近いから、気にしないで。それじゃ、この後も練習頑張ってね」
二人が何か言う前に、佐久間君が傾けてくれる傘の柄の部分を押し返しながら、私は笑った。
そうして踵を返そうとしたんだけど、佐久間君が「はい」と言いながら傘を手渡して来て。
「オレ、タケのに入れてもらうから。理子サンそれあげる」
「え、いいよ。男の子二人でその傘は、ちょっと小さいでしょ? 私、駅前のコンビニで買って帰るし」
「もったいないじゃん」
再度の拒否を遮ったのは、高橋だった。その時には佐久間君も傘から手を離していて、私は落ちそうになった傘を慌てて握り直す。
「じゃあ、勝利を祝ってくれたお礼だとでも思って」
なんて、佐久間君が言う。
「それ、意味ないじゃん」
たかだか【おめでとう】のお礼にしては高くつく。でもそんな理由をくれる佐久間君がおかしくて、やっぱり申し訳なくて、私は困ったように笑って。
「じゃあ、もらう。ありがとう」
のほほんと笑う佐久間君の横で、高橋が何時も通り鋭い瞳で見つめてくる。
やっぱり男二人に傘は小さいようで二人の外側の肩が濡れていたけど、二人の好意に気付かない振りをして。後は少しでも早く帰ってもらおうと、
「本当におめでとうね」
そう言って手を振ることにした。
「ありがと」
「じゃあな」
私は駅へ、二人は学校へと足を進める。もう駅は目の前に見えている。
水滴の乗った肩や髪、スカートを片手で払いながら歩く。羽織ったコートの襟の間から飛び出ているマフラーの先っぽを顎に寄せてみたのは、にやけた口元を隠すためだ。
予期せず高橋に会えた事が、嬉しかった。