02 あんな表情、知らない


 ――あたしは、鈍感な方だと思う。


「ねぇ、高橋君って好きな人とか居るの?」
 大好きな佐久間君と付き合い始めて丁度一ヶ月。何時もは部活で一緒に帰る事は少ないんだけど、今日は一ヶ月記念日だから、佐久間君が終わるのを待って。遅くなってしまうけど一緒に夕飯を食べる約束をしていた。
 手を繋いで会話をしていた途中、話が切れた時に思い切って聞いてみた。
 そうしたら怪訝そうな顔で、
「タケ? 何で?」
 佐久間君の親友の高橋健君。タカハシケンを略してタケと呼んでいるらしい。ケンでいいのに、変なの。
「んー何となく」
 聞いてみただけ、と笑いかけると、納得がいかないのか佐久間君は少し眉間を歪めた。
 何だろう。何かちょっと不機嫌になってしまった彼の、握った手がぎゅっと強まる。
「……どうしたの?」
 絡まった指が骨に当って少し痛い。だけどそれを言うのは憚られて、違う事を口にした。
「……菜穂、さ……」
 歯切れの悪い返答。高い位置にある顔を下から見上げていると、顔を逸らしたのか顎しか見えなくなってしまった。ちょっと寂しい。
「なぁに?」
 猫撫で声を意識して、佐久間君の手を引っ張る。
「……タケが気になるの?」
 瞬間、言われた意味が理解出来なくて、あたしはきょとんと目を見開いてしまった。
 ――気になる? それは勿論、だから聞いたのだ。高橋君に好きな人がいるのかどうか。
「えと……」
「タケが、好きとか言わないよね?」
 言い淀んだあたしに、痺れを切らしたのか視線が真っ直ぐにあたしに向いて。語調を強めて聞いてきた佐久間君。笑みを浮かべてるのに、目は全然笑ってない。
「そんなわけ、無いじゃん!!」
 やっと質問の意味を理解して、あたしは憤慨しながら怒鳴った。
 ああ、これヤキモチなのか。って、納得して。
「あのねぇ、理子ちゃんが……」
「理子サンが?」
 何だか気恥ずかしくなって、意味も無く繋いだ手を振った。
 まだ訝しげな佐久間君が、親友の理子ちゃんの名前を出した事で興味を引かれたらしい。
 あたしも負けないけど、何だか佐久間君は理子ちゃんを変な意味で崇拝しているみたいだ。菅野サンから理子サンと呼ぶようになったのはあたしが理子ちゃん理子ちゃん言っていたからだと思うんだけど、なんで同級生なのにサン付けって聞いたら、「恐れ多い」なんて返答が返って来た。高橋君って変わってるねってあたしは良く彼に言うんだけど、佐久間君本人も変わってると思う。
 だけどその憧れが『恋』じゃないっていうのは顔を見れば分かるから、あたしはヤキモチを焼いたりしない。だって理子ちゃんはあたしにとっても、そういう存在だから。
「で、理子サンが?」
 なんてちょっと物思いに耽っていたら、先を促された。ああ、って頷いてから話を続ける。
「まだ本人には聞いてないんだけど、多分高橋君が好きなんだと思うんだよねぇ」
「……」
 何か反応をもらえると思ったのに無言だった。おや、と思って顔を上げる。夕日に染まった佐久間君は、不思議な顔をしてた。
「なぁに?」
 丁度赤信号に当って、ゆっくりと歩みを止める。のんびりと答えを求めると、
「無くない?」
佐久間君の返答は猜疑に満ちていた。
 だって本人何も言ってないんだろ、って。明らかにあたしの言葉を信じてないみたい。
 あたしは、鈍感だって認める。
 佐久間君はいわゆるあたしの家のお隣さんで。小さい時からの知り合い。昔は新ちゃんって下の名前を呼んでいたんだけど、中学からなんとうちと隣家の間で学区が別だった所為で、別の学校になってしまって。ちょっと疎遠になっている間に呼び方が佐久間君に変化した。その後ずっと呼び方を変えられないでいるあたしとは対照的に、佐久間君は昔から変わらず。
 そんな佐久間君は、あたし以上にあたしの性格を知っているように思う。
 だから、鈍感だって思われても仕方ない。
 ――でも、その顔は嫌だなぁ。
 全然信用されてないのが丸分かり。というより、オレが気付かないんだから菜穂だって無理、っていう顔。
「理子ちゃん歴はあたしの方が長いんだからねっ!」
 頬を膨らませて、信号が青に変わるなり強引に佐久間君の手を引っ張って歩き出す。
「理子サンの事はオレだって分かるよ」
 何故か対抗してくる佐久間君。でもこれ、何時もの事。
「大体、タケってほら、口悪いじゃん? 理子サン何時も迷惑そうにしてるじゃん。ほら、今日だって」
 勝ち誇ったように笑う顔は子供みたいだ。身長だけぐんぐん伸びて男っぽくなっても、そういう無邪気さは昔と変わらない。変わらない事にほっとするのと同時、ああ好きだななんて再実感する。
 って、今は佐久間君にぽおっとなってる場合じゃない。
 彼の言う今日というのは、あたしと佐久間君、それから理子ちゃん高橋君の四人で食べるお昼の事。理子ちゃんはまだ二人に慣れないらしくどこかぎこちない。人見知りっていう事ではないんだけど、友達という枠にまだ二人は入ってないらしいのだ。その二人が理子ちゃんの事を理子サンと理子なんて呼びつけた事ですっごく迷惑そうな顔をした理子ちゃん。
 その態度の事を、佐久間君は指摘している。
「でも、あたしも言ったじゃない。理子ちゃんの恋する乙女の目!!」
「オレ、そんなん見た事ないよ」
「一緒に居る時はそんな事ないんだよ。でも時々誰か探してるなって分かる。そういう時、視線の先に高橋君が居る」
「……菜穂が気付くなら、オレだって」
 まだ対抗したいらしい佐久間君が、隣でぼそぼそ言っている。
 あたしだってびっくりしてるのだ。
 だって何時ものあたしなら、多分理子ちゃん本人が話してくれるまで気付かないに決まってる。言われて、「そうなの!?全然気付かなかった!!」って台詞の方がしっくりくる。
 でも、気付いちゃったから。
 偶然でも何でも、分かっちゃったから。
 高橋君を見る時の、切ない目線。何時もは美人っていう形容が似合う理子ちゃんが、すっごくすっごく、可愛く見えた。見開いた目が潤んだように輝いて。
「ああ、恋してるんだなって分かっちゃったんだよ」
 しんみりした口調であたしが言うと、佐久間君も声音を合わせて項垂れた。
 あたしも佐久間君も何だかちょっと――がっかりって言ったら変かな。でもショックを受けたというか、何かそんな感じで。
 お互いの親友がくっつくなんて事になれば、お互い嬉しい。ダブルデートだってしたい。
 だけど。
 うん。
 本音を言えば。
「理子サンがタケを、ねぇ……」
 佐久間君と理子ちゃん自身、しっかり話すようになったのはあたし達が付き合ってからなんだけど。中学校から理子ちゃんと一緒になったあたしは、理子ちゃん神話を時々佐久間君に話して聞かせていたせいもあって、昔からずっと知っているような気になっている。
 だから、何だか。
「理子ちゃんが恋するって、何か寂しい……」
 自分は彼氏を作っているのに、何て発言だと心中で思うと笑えた。
「あんなカオ、するなんて知らなかったよ」





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