16 どうにかこうにか


求めよ、さらば与えられん」の続きです。





 ダントン伯爵家当主、マクシミリアンは、その日を迎えられた事に心から安堵していた。
 そしてまた、ダントン伯爵家の使用人たちの心も一つ。どうにかこうにか、この日を迎えられたと言う心境だった。

 澄み切った空の下、大勢の人で賑わう伯爵邸の中庭に、純白の衣装を纏った対の男女の笑顔たるや。
 事情を知らなければ、幸せ満載の愛し合う若夫婦と、祝福する参加客――良くある貴族の結婚披露宴なのではあるが。
 集まる参加者の多くがここに至るまでの経緯を知っているのだから、祝辞の言葉は白々しく響く。
 もっとも、マクシミリアンの妻オードリーはその言葉を素直に喜んでいるし、何時までも少女のように無垢な妻の、悪意に鈍感なさまがマクシミリアンにとっての救いだった。
 彼女と、彼女に良く似た性質の次女、マーガレットはただ純粋にこの日を、この盛大な披露宴を喜びと共に過ごしている。
 けれど長女のルシアナは、どうだろう。装いこそ完璧な淑女だし、浮かべる微笑みも会話もどこもかもが淀みなく、祝福される新婦の姉としてその傍に控えている――だからこそ、皆が皆、好奇の視線をチラチラと向けていた。

 誰も彼もが知っている。貴族社会というものは、厳重に鍵を掛けた秘密さえ、どこからともなくまろび出るものなのだ。

 ダントン伯爵家の麗しいルシアナ嬢と、愛らしいマーガレット嬢。マクシミリアンの自慢の娘達は、何所に出しても羨望の的で、何時だって賛美された。
 清廉な天使のような容貌のマーガレットは、儚げな印象と可愛らしさを持ち、黄金色の長い睫毛が縁取る碧眼はいつもどこか潤みを帯びて、多くの人の庇護欲をそそる。小首をかしげてお願いされれば否やは言えない、彼女に嫉妬する令嬢達すら立ち所に魅了された。
 一方でルシアナは、ダントン家の英雄である祖父ルシアンを思わせる燃えるような赤髪と生き生きと輝く新緑の瞳が印象的で、厳めしくもある鋭い瞳は、しかしその陶磁のような白い肌や、小さな唇、女性らしいまろやかな細面の中にあると、神々しさと高潔さをを滲ませて誰もの目を惹き付けた。
 社交に出てまだ日の浅いマーガレットへの賛美の多くはその美貌に起因する事が多かったが、社交界の華と君臨し、ルシアンの再来と揶揄されるルシアナは、デビューして以来話題の多くをかっさらって来た。
 勤勉で真面目な彼女は幼い頃から多くの本を読み、自ら外国語の教師を所望し、とかく多くの時間を学びに費やした。
 貴族の多くはデビュー前に4年間、王立学園に通うのだが、女生徒は勉学の場と言うより未来の伴侶探しや社交が重視される。ルシアナはその王立学園に在籍している4年間、つねに試験で1位を独占した。
 かと言って学園時代の全てを勉学にのみ費やしたと言う事も無く、社交もそつなくこなした。
 一部の女生徒には男性より男性らしい、王子様として崇められもした。
 そして、他国に留学すると言う珍しさも上乗せされた。
 その一方で、彼女はダルトン家の商業にも関わっている。人の好過ぎる父親マクシミリアンと共に商談に彼女が現れると、相手は襟首を正す。マクシミリアンよりよっぽど、彼女の方が手強い商談相手なのだった。
 そして家政では、おっとりとしたオードリーよりてきぱきと指示を出し、的確に差配するルシアナを、使用人達も何時の間にか頼っている、という次第。
 しかし、であった。
『いやまったく、ルシアナ嬢は素晴らしい。これがご子息だったら完璧でしたなぁ』
 会う人間会う人間にことごとく言われる通り、ルシアナは男性であれば良かった。
 女性であるルシアナに求められるのは、淑女の鑑であること。そして男性を立て、いずれは夫を支える影に徹し、健康で将来有望な跡継ぎを産む事。
 そんな風に扱われるルシアナが不憫ではあったが、しかし婿を取って実家で暮らすのだから、実情は他家へ嫁ぐよりよっぽど良いだろうとマクシミリアンは思っていた。

 そしてまた、ルシアナ自身もそう思っている。自分は家を継げないし、多くの功績が自分のものになるまいと、家も仕事も自分が仕切ればよいだけのこと。
 そういうものだから、仕方が無い。

 けれどルシアナは、若い貴族男性にとっては高嶺の花。完璧過ぎると臆され、デビュー後の求婚者は少なかった。
 ルシアナにはなんの心配もいらないと考えていたマクシミリアンの当てが、少し外れた。
 そしてその候補者たちとの顛末に、頭を抱える羽目になった。



「ねえ、マックス見て頂戴。今日のマーガレットは本当に綺麗ねぇ」
隣からおっとりとした声で囁かれ、マクシミリアンは物思いを解いた。
 はっとして見れば、オードリーが自身の腕に指を絡め、うっとりと愛娘を眺めている。よっぽどその表情の方が綺麗である、と愛妻家であるマクシミリアンは思う。
「お前の花嫁姿が思い出されるなあ」
 実際に頭の中では、その姿が鮮明に思い出されている。
「天候にも祝福されて、本当に幸せなこと。ねえ、ルシアナ」
 そしてオードリーは曇りない目で、悪意の無い声で、反対の席に座るルシアナにも囁いた。
 本当に、彼女はそう思っているのだ。
「そうですわね、お母様」
 応えるルシアナはにこりと微笑んでから、扇を開いてその口元を隠す。
 なんてことのない顔、には見える。
 マクシミリアンがルシアナをそっと窺うように、参列者の多くがまた、ルシアナの一挙手一投足に注目する。そんな中で、ルシアナは新婦の姉の仮面を外す事はないだろうと思う。
 だがその心情はどうであろう。

 本日の主役の一人、フランツ・ヴィッフィ――婚姻を結んだ今となってはフランツ・ダントンだが――三月前までは、ルシアナの婚約者であり、この結婚披露宴をルシアナの横で過ごすはずだった男は、ルシアナの存在を歯牙にもかけない。
 ……と言うより、彼女が自分の婚約者だった事など忘れ去っているようだった。
 マーガレットもフランツも(オードリーも)、この醜聞に塗れた結婚披露宴を、祝福に溢れたそれと疑わない。

 過去に、二人、姉の婚約者(と候補)を奪った末、三人目を寝取って結婚した、聖女の皮を被った悪女。穢れを知らない天使が騙された、などと言う好意的な声もあるにはあったが、マーガレットの評判は地に落ちた。
 こうなってはもう、フランツをマーガレットの婿として迎え入れる他無かった。
 元々ヴィッフィ家のお荷物扱いであった四男フランツは実家から絶縁され、爵位も家も金も無い。そんな男に嫁げ、などと愛娘に言う訳もなく、ましてやこれから子供を産もうと言うマーガレットを、今まで以上に大事に扱うのがダントン家であった。
 何もかもが凡庸としたフランツを、婿として見出したルシアナがの最大の過ちである。
 身籠ったからフランツとの結婚を許して――ルシアナに泣きながら懇願した三月前のその日から、決まり切っていた事だった。

 それで全てが解決したとばかりに、何も無かったように、この日を迎えられた三人は、世間慣れしてないにも程がある。

 婚前交渉は暗黙の了解――とは言え、こんなに大っぴらに盛大に披露宴を開くなんて事も、有り得ない事態なのである。
 フランツとルシアナの婚約披露宴だった会場を、「そのままマーガレットとフランツの結婚披露宴にしましょう」とのたまったオードリーもさる事ながら、それをさらに盛大にしたいと提案したマーガレット。
 本来ならば、である。
 婚前に妊娠した新婦は、教会で親族のみとひっそりと式を挙げ、披露宴など開かない。子供が無事に生まれた暁に、何事も無かったことになって、盛大に祝う、と言うのが普通だ。
 婚前交渉は建前上、恥ずべき行いであり、罪深い。
 それを大々的に発表して、教会から邸宅までの道すがら、馬車で新郎新婦をお披露目する――暴挙である。

 ルシアンによってダントン家が有名になって以来、これ程までの失笑を買った事はない。
 それは分かっていても、それをしたのは他でも無いダントン家でマクシミリアンだ。
 貴族社会での立ち位置も、家業も、名誉も。
 何もかもが傾いたところで、結局のところマクシミリアンにとっては「どうにかこうにかなる」こと。

 幸せな家族が揃っている事に満足して、感慨深く涙を拭った。





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