25 求めよ、さらば与えられん


 私の名前は、マーガレット・ダントン。
 ヴァイヨン王国の、ダントン伯爵家の次女である。
 王国建国以来の伯爵家であり血筋は古いものの、そんな家は数あるので特別な意味は無い。ダントン伯爵家が貴族の中で一目置かれるようになったのは、曾祖父であるルシアンが時の王、エミリオ3世のお命を、悪漢から救ったと言う功績からだ。
 それまではパッとしなかった家名は、そのルシアンが国王に引き立てられお傍に仕え、共に戦場で名を馳せ、加えて類まれなる商才で財を成し――その上私財を投じて慈善活動に勤しみ――などと言う華々しい功績の賜物で、父の代になっても我が家は王家に重用されている。
 父はいかんせんお人好しのきらいがあって商才は無いらしいが、その辺りはルシアンの再来と謳われる姉が補っている――ようなので、我が家は今もって安泰。
 赤髪、緑目の美丈夫であったルシアンと同じ色を持つ、姉の名はルシアナ。4つ年上の彼女は、幼い頃から私の自慢だった。
 彼女を形容するなら、美麗。背に背負う花なら、薔薇。
 しっかり者で勤勉で、優しくて美しく、真面目で穏やか。
 大好きで憧れの、姉なのである。
 一方で私、マーガレットは母譲りの金髪碧眼で姉とは似てもにつかないけれど、愛らしく可憐、などと評してもらっている。
 両親に甘やかされて、何不自由なく、これまでの16年を生きて来た。
 立派なお屋敷に、数多の使用人。美しいドレス、美味しい食事。親しい友人達とのお茶会や、観劇。デビューしたばかりの社交界。
 人生はまさに順風満帆。
 求めれば与えられ、蝶よ花よと可愛がられ、私は私に、なんの不満も感じていない。
 感じては、いないのだ。
 だけど私はいつも、欲しがってしまう。
 欲しくなってしまう。
 手に入れたくなってしまう。
 姉の、その手にあるものを。



 「おねーさま、それがいい」
 お父様が商会の仕事で遠出したお土産に、と買って来てくれたのは、赤いリボンのくまのぬいぐるみと、ピンクのリボンのうさぎのぬいぐるみ。5才の私は跳ねて喜んだが、姉はそれよりも分厚い辞書の方が嬉しそうだった。
 好きな方を、と言われてうさぎを選んだのに、姉の手に渡ったくまの方が良いように思えて、やっぱりそっちが良いと強請った。
 姉は快く譲ってくれた。

 誕生日に切り分けられたケーキは、明らかに私の方が大きくて、苺の艶やかさも各段だったのに、私のそれより一回りは小さい姉のケーキの方が、美味しそうに映って強請った。
 姉は、あーんをして、ケーキを全部私にくれた。

 姉の社交界デビューに姉に誂えれたドレスは、大人っぽい濃紺の刺繍と美しい碧の生地で、姉の色を引き立てる物だった。
 明らかに私には似合わない色形だけれど、どうしても欲しくて強請った。
 姉は、二つ返事で仕立て直してくれた。
 結局、一度も着ていない。


 数え上げればきりがないそれらを、姉は嫌な顔ひとつせず譲ってくれ、それを両親も使用人達ですらも当然の事と言う認識で。
 それなのにどうしてもどうしても、満たされなくて。
 何度も何度も何度も何度も。
 私は繰り返して繰り返して。
 姉の婚約者候補であったフォルダー家の次男も。
 婚約者になったランドール家の次男も。
 私は欲しいと強請って、手に入れた。

 そして、手に入った瞬間全てが、価値の無い物になってしまうのだ。


 ――だけれど。


「お姉様、ごめんなさい」
 零れて止まらない涙をハンカチで押さえながら、私は対面に座る姉に詫びた。
 本当にごめんなさい。心から、思うのである。
 こんな事になってしまってごめんなさい。
 お姉様の大事な人を、愛する人を、好きになってしまってごめんなさい。
 隣に寄り添ってくれるフランツ様の手は、私の空いた左手を包んでくれている。その温もりが、心強い。
 お姉様は、ただ黙って紅茶を一口。カップを取るその指先が、微かに震えているのを見逃さない。
 ああ、ごめんなさいごめんなさい。
 何時も気丈なお姉様の、美しい顔が心無しか蒼い。
「私も、フランツ様が好きなの。愛してるの」
 同席している両親は手を取り合って狼狽えているが、それは毎度の事だ。私と姉を忙しなく行き来す視線は、それでもすでに『結果』を予想して、安堵も含んでいる。
「フランツ様も、私に応えて下さった」
「すまない、ルシアナ」
 フランツ様が隣で、真摯に頭を下げる。
 お姉様は、まだ、黙っている。
 痛々しい沈黙の最中、私は思い出す。
 ジェラルド家の四男・フランツ様と、婚約したいと、お姉様が言い出した日の事を。
 私達には兄弟が居ないので、ダントン伯爵家の後継はお姉様が婿を取る事になっていた。
 お父様が選んだ婚約者候補は、家柄の似合った家の長男以外。お相手とのご都合次第で、とお姉様は婚約者に特段の興味を示した事は無かった。
 出来た姉は、常に、家の為、家族の為、王国の為。
 お父様が商談で騙されそうになればさり気無く助言をし、お母様が家政を取り仕切る手伝いをし、何時も無駄なく、差配する。そう言った事には積極的でも、自分の為に何かを欲した姿を見たのは、フランツ様を求めたのが初めてだったように記憶している。
 婚約の打診にフランツ様はどう思われたかしら、と心配そうに返事を待つお姉様は、お可愛らしかった。
 フランツ様の訪問を今か今かと待ち、さり気無く窓の外を眺めるお姉様は、微笑ましかった。
 フランツ様のお顔を見ると、綻ぶお顔は、何時もの気高さとはまったく違う恋する乙女そのものだった。
 フランツ様からの贈り物の花束は、手ずからドライフラワーにして部屋に飾って、宝石は大事に大事にハンカチで包んで仕舞いこんで、お手紙は、しわしわになるほどに読み返しては、皺を延ばして。
 そんな風に、お姉様は真っ直ぐに、フランツ様を愛していらしたのに。
私は、フランツ様と握り合った左手を、そっと自分の腹部に持って行く。
 ここにはもう、宿ってしまっている。
 大事な大事な、命の種が。
 ダントン家の跡取りにも成り得るかもしれない、命が。
 お姉様は一瞬強く目を閉じると、か細く息を吐き出した。
「……分かりました」
 まるで感情の伴わない、固い声だった。
 それでもお姉様は、笑ってくれた。
「体を大事にね、マーガレット。おめでとうございます、フランツ様」
 続いた言葉は、敬愛するお姉様の、最大の祝辞だった。




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