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08 絡まるイト 5



 ラシーク王子を良く知る、とある少年は語る。
 少年と王子の出会いは、グランディア城内での事。当時父親が宰相であった少年にとって、グランディア城内は遊び場も当然だった。
 どこぞの王様がいらしているから大人しくしていろ、と侍従長に再三言われながらも、齢五つであった少年は意にも介さず、何時も通りに遊び歩いた。
 その日とある王様は、国王陛下と愛娘の婚約を正式なものとしようと来国しており、それには件の愛娘と四人の息子のおまけがあった。
 彼らが父親と連れ立つ姿を、少年はたまたま見掛けたのだという。
 少年は父親と連れ立つその集団の中の、美しい愛娘とやらにはちっとも興味が無かったが、自分と年がそう変らないと思われる、息子の一人に興味を持った。というのも、当時のグランディア城には少年の遊び相手になるような同年代の子供は、居なかったのである。勉学や剣術に夢中になる年上の子供達に、少年は飽き飽きしていた。
 けれど数週間の滞在の間、少年が彼らに近づこうとすれば、すぐに侍従長が飛んできて仲を引き裂く。年上の侍従長――当時は世話役であり遊び相手でしかなかったが、彼はその爬虫類のような顔に似合った蛇のようなしつこさで、少年が幾度彼を罠に嵌めても、最後には這ってでも現れて、少年と異国の王子達との接触を阻んだ。
 あまりにも腹が立ったので、少年は悪戯の罪を侍従長に被せてみた。当然すぐに少年の仕業だと知れ反省しなさいと物置に詰め込まれたものの、それが幸を奏して、少年は侍従長を引き離す事に成功した。
 少年曰く、物置程度のカギを開けるのは簡単だったらしい。
 そうして物置を抜け出した少年は、王様達の滞在の最終日であったその日、運良く書物庫へ向かう王様の息子の一人を見つけるのである。
 それがラシーク王子だった。
 並んだ書棚で少年がラシーク王子に追いついた時、ラシーク王子の手には、分厚い書物が広げられていた。それが子供の好むような絵本で無い事は、重厚な装丁から知れた。細かい文字がページをびっしりと埋め、しかもそれが事もあろうにグランディアの文字とは異なった。ミミズがのたうち回る様な――今であればそれがそういう書体の文書だと分かるが――ちっとも面白そうでは無かった。
 少年の中から高揚感は吹き飛び、変りに嫌悪が浮かんだ。仲良くなれそうだ、と思った年の近い異国の王子は、自身の長兄や次兄のような本の虫なのだ。
 つまらない奴。
 幼い少年はそう思い、更に王子が自分を無視している状況に憤慨した。
 ラシーク王子は書棚を背に床に座り込んでおり、少年はそれを立ったまま覗き込んでいたので、王子にもその手の上の本にも、黒々とした影が落ちていたのだ。それに気付かない程、本にのめり込んでいるとも思えなかった。
 こんな扱いは、初めてのことである。少年は更にいきり立った。
 思いつくまま罵詈雑言を吐き散らし、王子を散々罵った。高い天井に反響したその言葉の数々は、騎士見習いのとある青年が良く口にする下品なものが多かった。
 つまり何の脈絡が無くても、あまりにも聞き心地の悪いものだった。
 けれどそれでも、ラシーク王子は少年を無視した。パラ、とページを捲る音が、酷く少年の耳についた。
 こんな扱いは初めてである。両親も、兄姉も、国で一番偉いという国王も、また有能なその臣下達も、誰もが少年を迎合してきたのである。言うなれば、少年は己の狭い世界での、王だった。
 屈辱よりもどうしようもない悲しさに、少年は泣いた。泣いた。大泣きした。
 流れ出した涙が池となって、書物庫を水浸しにしてもおかしくない程に泣いた。憚る事なく泣いた。
 それでもラシーク王子は暫く少年を無視したが、やがて――やがて。恐らくただ、少年の存在が煩わしかったのだろう。
 本から顔を上げ、にこりと微笑み。その独特の色味の瞳を真っ直ぐ少年に向けて、至極丁寧に、明るく。
 当時の少年には理解出来ない小難しい言葉を繰って、淀みない微笑みを浮かべて、意味は通じなくても、恐ろしく毒を含んだ言葉で、少年を凍りつかせた。
 少年はその時の恐怖だけは、一生忘れないだろうという。

「彼は、誰よりも敵に回しちゃいけない人だと思った」

 その日異国の一団が帰国したと告げられるまで、少年は布団にくるまって震えていた、らしい。
 そうしてその後、王子が度々グランディア城に滞在するようになっても。ラングルバードの学院で、寮の同室にぶち込まれた時代も。姉姫がグランディアの国王に嫁いだ日も、また、出戻った日も。
 少年はラシーク王子が笑顔で毒を吐く度に、内心で酷くびくついた、とか。

 そして少年は、ラングルバードの学院生活を語る。
 退屈に塗れた普遍的な生活の中、何故か共に犯した、悪行の数々を。
 人が問題児を語る時、それはきっと少年と同じ様な人物になるだろう。勉強嫌い、集団行動嫌い、規則破り、遅刻早退自主休学エトセトラ。
 少年はその時代の、一番の問題児だった。それを象徴するように、彼を厳しく躾ける役目の、彼を24時間見張る役目の、従者が人の三倍多かった。名のある貴族の子息が多く通う学院であったから、誰もが世話役なり護衛役なる従者を二、三名従えていたものの、少年のそれは十人も居たのだ。
 しかしそれでも少年の悪行は留まる事を知らなかった。
 それに対してラシーク王子は一人の護衛が居るだけで、勉強熱心で品行方正、教師の覚えも目出度く、優秀だった。
 正反対な評価を受ける二人だったが、自国の関係性そのままに、二人の仲は親密だった。
 何故かは誰にも理解出来ない。ただ、波長が合ったのだろうと少年は言う。
 初めこそラシーク王子に怯えていた少年も、付き合い方を学べば、彼が信頼に値する、友人足りえる人物だと知れたのだそうだ。
 問題行為の全ての元凶は少年だったが、ラシーク王子は間々、少年の暴挙に付き合った。
 少年のする事といえば大抵暇つぶしで、それが誰かに対する悪戯であったり、授業や学院を抜け出して遊び呆けたり、という、少年に言わせると可愛いものが殆どだったが、その内、ラシーク王子は自分が興味のある事にはとことん付き合ったという。
 例えば少年が研究と称して、施設の大きな壁にうんたらという最近習ったらしい顔料で絵を描いた場合、それは何時まで雨風に耐えて残るのだろう――というような下らないとしか言えない発想を、ラシーク王子は優等生の顔で顔料を大量に借り出して来た。
 少年にとっては何となく思いついた暇つぶしであったけれど、ラシーク王子にとっては純粋な興味から成せる事だった。ラシーク王子はより結果が分かり易い絵図を数日掛かりで完成させ、見咎められずに書き終えられる時間帯を調べてまで、後押しした、というような。
 そういう事を何度か繰り返し、二人は親友になった。
 そうして最近では、余りの退屈加減に辟易した少年が
「僕達もそろそろ一人旅を経験しても良い頃だと思うんだ! 何時まで一人で生活出来るか、やってみた方が良いよね」
と取ってつけたような理由で学院を出奔する事に決めた時、ラシーク王子は、本当にただ一人(この場合二人旅だが)を何時まで続けられるかという事を考えた上で、それを引き伸ばす為に計画を立て、立場の弱い友人まで巻き込んで、更には綿密に旅程を考慮して、旅立った。
 曰く、

「やると決めた事は、それがどんなに大変でも、長い時間がかかろうとも、無駄でも、意味が無くても、後々面倒な事になったとしても――完璧にやらなきゃ気がすまないんだ」

 とある少年は、ラシーク王子とのエピソードの数々を披露してくれた後、小首を傾げた。
「それで、何でそんな事を聞くんだい?」



 ラシーク王子を客観的に見た、とある侍女は言う。
 彼女がラシーク王子を近くで拝見したのは、その姉姫と国王陛下の結婚式だった。
 その日彼女は侍女としてでは無く、国王陛下の臣下の娘として参列していた。バアル王国の参列者の中に、自身の仕える幼姫程の王子がいたのだという。
 その時の事を振り返って
「どことなく憂えた表情をなさっていました」
と言ったが、要はつまらなさそうだったという事だ。
「勉強熱心な方なので、きっと前夜も遅くまで本など読んでいらしたのでしょう」
とか何とか言い加えていたが、隠れて欠伸を五回はしていたらしい。
 侍女である彼女は、その夜の晩餐会にも、やはり臣下の娘として参加していた。幼姫の就寝時間が迫っていた為、ほんの少しの時間だ。
 そんな中、仕来り通りに幼姫とラシーク王子が挨拶を交わす。それを見て、程良く酔って上機嫌なバアル国王は、冗談とも本気ともつかぬ提案をした。
 曰く、
「ラシーク王子と王女殿下の婚約を仄めかすお話でした」
 亡くなられた母君のように美しくなるだろう、と褒められて頬を染める王女殿下が愛らしかった、と一端話を脱線させてから、彼女は少し悔しそうに唇を噛んだ。
 ラシーク王子は照れたように顔を俯けながら、父王の酔った末の戯言を詫びてから、それでもばっさりと未定の縁談話を断わった。王女殿下を褒め称え、己を貶めて不釣合いを訴えながらも、それはもう、ばっさりと。
 その後幾度かラシーク王子と王女殿下は、侍女の前で言葉を交わしもしたし、ダンスを踊りもしたし、共に食事もした。
 それでもラシーク王子は、一定の距離感を持って王女殿下に接し続けた。
 何時も変らぬ優しげな微笑みを浮かべ、冴え冴えとした黄金の瞳に、何の感情も乗せないまま。

「ラシーク王子は素晴らしい方です。どのような時も微笑みを湛え、相手が王女殿下でも、私のような下々の者にも、隔たりなく接して下さるのです」

 そう言う侍女の言葉には、とてつもない非難が籠もっていたように思う。

 とある侍女は、そんな風にラシーク王子を客観視した後、訝しげに尋ねた。
「それで、どうしてその様な事を聞かれるのです」




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