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08 絡まるイト 4



 考えておいて下さい、と。ラシーク王子はそう言った。
 放心した俺の右手を取って、その甲に口付けを落として。何事も無かったように颯爽と翻った背中は、ファティマ姫と同じ様にすぐに小さくなって消えた。
 考えておいて下さい、と。

『あなたがわたしの妻になって下さったら、きっと毎日が楽しいでしょう』

 唐突に、俺の性別を見破って。レディのように扱って。
 一体、何時から気付いていたのか。どこまで、知っているのか。
 そして、何を思って。
 何を、思って。



 どこをどう歩いて自室に戻ったのかは、覚えていない。
 ただ天蓋つきのベッドにダイブした所で、ぶわーと汗が噴出した。
 夢現の浮遊感は、慣れた領域に戻った事で霧散した。
 同時に、ラシーク王子の残した言葉が、何度も何度も繰り返し脳内を巡る。
 あれは、もしかしたら――プ、プロポーズというやつだったのでは無いだろうか。
 愛だの恋だのそんな甘い雰囲気すらなく、好きと告白されたわけでも無い、けれど。
 ルークさんやティアのように、交わす視線に愛情が満ち溢れている類の、それでは無い。見ているこちらが恥ずかしくて居た堪れなくなるような、蕩けるようなやり取り一つ無い。
 だから多分、何かしらの思惑があるにしろ。

「わたしと一緒に、バアルへ行きませんか」
 唐突な遊びの誘いであったら、考える余地もなく頷いていた。ジェルダイン領から戻って以来、俺はグランディア城に籠もりきりで、ほとんど外の世界を知らない。遠乗りに出て見るものといったら緑深い森か、どこまでも広がる棚引く草原くらいのもの。一度反故にした城下町散策は、付き合ってくれる人達が多忙すぎていまだ叶わない。
 退屈、とはけして言わないけれど、どこかに遊びに出られるなら、出かけたい気持ちはある。それが自分の知識にある外国とは全く異なるような、未知の国であれば尚更に、好奇心がむくむくと湧いて来る。
 けれど続いたラシーク王子の言葉は、どうやらそういう事とは違った。
「ティシア王女のサンティを終えれば、ゲオルグ様もじきに領地にお戻りになるでしょう? ブラッド殿もキルクスにお帰りになるのやも知れませんが……お話を聞く限りでは、ブラッド殿は多分……」
 そこでラシーク王子が言葉を濁したおかげで、俺の浮き足立っていた思考が、沈んだ。
 ティアの結婚相手という選択肢が失せた今、俺がキルクス出身のブラッドなんていう設定を背負ったのは、グランディア城に留まる正当な理由になるからだ。どんな職種につくにしろ、つまりはリカルド二世陛下の臣下になる、という事。
 それが近い未来の事か、遠い未来の事かは分からない。ただ、キルクスに帰る、という道は無い。そこに、俺の居場所は無いからだ。
 ほんの小さな希望だけれど、俺は日本に帰る為に、この国の、この場所に留まり続ける。実際に帰る手立てが見つかった時に、それを喜べるかどうか、という事情は置いておいて。
 周りのお膳立てのおかげでブラッドとして暮らしていける事は確かに嬉しいのだが、憂鬱なのはリカルド二世の臣下になる、という事だ。
 元々己の領地で悠々自適に暮らすゲオルグ殿下は、政治的な理由があって、王都に長く留まる事は無いだろう。ゲオルグ殿下の存在は、良くも悪くもリカルド二世の治世に影響を及ぼし過ぎる、らしい。彼が去った後の王城の生活は、彩りに欠ける事と思う。
 そしてティアも、ルークさんと結婚した後には、恐らくジェルダイン領で暮らす事になる筈だ。何故ならジェルダイン領がルークさんの仕事の拠点となるからだ。
 ライドもウィリアムさんも、シリウスさんだってジャスティンさんだって、それぞれの仕事がある。早々俺に構っている暇は無いだろう。
 残された俺は、与えられた役割に務めるだけだ。でもそれは、新しい生活への楽しい一歩にはなり得ないだろう。
 ツカサとしてでは無い、自分を偽る生活の幕開けなのだ。
 最も、ラシーク王子の言動はそれら全てを知っての事では無いだろうが。
「ですから、選択権があるうちに、バアルで暮らすという事も考えて頂けたら」
 ラシーク王子の誘いは、頼る拠点をグランディア王国では無く、バアルにしないかという提案だった。
「わたしは身軽な身分ですし、制約もほとんどない立場です。幸いな事に、娶る相手の身位も問われない、」
 けれどそこからの、様子がおかしかった。
 ラシーク王子も心なしか緊張したような早口になっている。
「あなたも窮屈な思いをせず、あなたらしく暮らして頂けると思うのです」
 噎せ返るような香気が鼻をつき、我知らず眉根が寄ってしまう。突然、存在を主張するようにアレクセス・ローズの香りが漂った。
 温室の空気が循環しているからだろう、さわさわと、白い色が視界の隅に揺れる。
「王子といっても、わたしにリカルド二世に並べるような地位はありません。第十二王子ですから、王位継承の立場にも無いのです。華やかな王宮暮らしも、贅沢も、無縁かもしれません。それでも、」
 それでも、と声を潜めて、ラシーク王子は年相応の、気恥ずかしげな微笑みを浮かべた。
「もし、あなたがよろしければ」
 どうかわたしと一緒に、バアルへ。
 囁く声と同時に、俺の両手がラシーク王子の両手に握りこまれる。長い袖に浮き上がる、細い指の形。感触。
 戸惑いに顔が引き攣って、言葉一つ出なかった。
 対してラシーク王子は、既に何時もの落ち着きを取り戻して。
「あなたがわたしの妻になって下さったら、きっと毎日が楽しいでしょう」
 疑いようも無い、一言を付け足したのだ。
 そっと頭を下げたラシーク王子の顔が、持ち上げられた俺の手の甲に近づく。むき出しの肌に、微かに触れた柔らかな唇。
 ぎょっとして手を引いた瞬間に、束縛は緩められた。だから簡単に、俺の手はラシーク王子の両手から逃れる。
 手に口付けるなんていうのは、紳士がレディにする挨拶だ。けしてブラッドがされるべきではない。
 そんな女性扱いを、何故自分が受けているのか。
 嘲笑うように揺れるアレクセス・ローズのざわめきを聞きながら、俺の思考は停止した。

 そうして回復した思考能力で何度振り返ってみても、結果は覆らない。
 あれがプロポーズでなかったら、一体何なのか、分からない。誰かへのプロポーズの練習だったとしても話の筋に合わないし、ラシーク王子がそういった冗談を口にするとも思えない。
 だけど、結婚相手に俺を選ぶ意味も分からない。
 そもそも何故今、突然?
 言葉通り取ったら、今だからこそ、グランディア以外で暮らす選択肢をくれただけかもしれない。だけど幾ら同情心があったからといって、自分の妻にしてまで援助する程、互いの間に友情があるわけでもない。
 ラシーク王子をティアに置き換えてみて、意に染まぬ相手との結婚を強いられているとか――でも、それならばで俺? まさか俺が異世界人だとは知らないだろうし、だとして王国の平安と幸福が約束されているなんて迷信は、バアルでは通用しない筈だ。
 単純に俺に惚れた――というのも、自慢じゃないが十八年の人生で、女性に惚れられた事はあっても男性に好かれた事は無いので、俄かに信じがたい。第一女性的な要素が俺には無い。
 否、もしかしたら――魅力的な女性に囲まれて生きて来たラシーク王子は、好きなタイプがおかしいのかもしれない。あんなに官能的なファティマ姫が姉だし、そんなファティマ姫に嫌悪を持っているラシーク王子だから、むしろ正反対な俺に魅力を感じる、とか――言ってて虚しくなって来た。
 ああでも、ラシーク王子が気に入っているのはツカサではなくブラッドなのだ。という事はもしかしたら、ブラッドには男を虜にする魅力があるのか?
 ブラッドの武器は女性を魅了する微笑みだとかゲオルグ殿下が言ってたけど、それはラシーク王子にも通用してしまったのかもしれない。大体ブラッドは勉強熱心だし、努力家だし、出自の割りに作法も出来ているし、剣の腕があるとか陛下にも褒められたし。
 何だかんだラシーク王子には、色々感心されていた。
 それが女性と知った瞬間に、恋に!?
 ありえそう!!!
 ありえそう、ありえそう!!?
 …………ありえるか?
「っ知るかー!!」
 とうとう脳内パニックの極致に達して、俺は思わず手近にあった枕を、思いっきり投げつけていた。
 その、投げつけた場所が悪かった。
 飾り棚に置かれていた筒状の花瓶が、マクラに激突されて大きく揺れた。二度、三度左右に傾ぎ、左側に重心を持っていかれたと思った瞬間、それは運悪く、というか当たり前に、棚の上を転げ落ちる。
 あ、と叫ぶ間も無く、ガラス質のそれは床に衝突した瞬間に、粉々に割れてしまう。
 その時のけたたましい大音量に、何時から隣に居たのか、扉を開けてクリフがやって来る。
「何事です!?」
 床に散乱した花瓶のなれの果て。水浸しの枕。それを投げた格好のまま硬直する俺。
 一目瞭然、というやつである。
 クリフの太い眉毛が、ぴくりと動いた。
「…………」
「………」
「……」
「ご、」
 ごめんを言う前に、三十分にも及ぶクリフのお説教が始まってしまった。




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