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13 異なる国 2



 働け、と言った本人が、暇潰しのように、面白くも無いような顔で本を読んでいる。
 けれどそれに対して、思う所は無い。
 リカルド二世は普段から働き詰めのような人だし、時たまの暇な時間だからといって、俺の相手をしてくれてもそれはそれで気持ちが悪い。
 一緒に居ても無言だし、なのに無駄な緊張感ばかり漂うのだ。
 言い様には腹が立っても、暇を持て余していたのは事実なので、俺は黙ってリカルド二世の言う所の仕事に就いた。
 狼の格好をして、同じ格好をしたクリフを連れて散策する。
 そうして、何かを見たり、誰かの話を聞いたりして、有益な情報を拾う。
 狼の兜は、大きく出っ張った鼻面の下の、牙まで精巧に模した口と、目玉の部分だけに穴が開いている。その視界は余り良いとは言えない。
 けれど今日は結構な吹雪で、視界が開いていた所で大したものは見えないだろう。それどころか、兜のお陰で雪が顔面に飛び掛る事も無く、良好と言ったところだ。
 アントに跨り、城の外で訓練に勤しむ兵士達の掛け声を聞きながら、ゆっくりと道を下った先の街に降り立つ。
 人口五百人程の、街というには規模が小さく、暮らす人々は比較的若い。ゼラヒア大公が王都からやって来た十二年前に近隣から移り住んだ彼等は、元々あった緋眼の民の居住を取り壊し、少ない晴天の間に家屋を急造した。だから家々の外観は切石を積み上げただけの飾り気の無いもので、その変わりとばかりに、内装に力を発揮した。
 それはそれぞれの住処だけでなく、大衆浴場やその他の施設も同じだ。
 兎に角派手な色を好むので、どんなに凝った内装であっても、何というか俺にとっては、落ち着かない空間でしか無いのだが。
 そもそもダガートの国民は、働く事が殆ど無い。
 農作業も畑仕事も、実りの無い雪原にある筈も無く、狩れる動物すら滅多に無い、だからと言って飢えずに済んでいるのは、日々の糧が外から運び込まれるからで。
 そうしてそれ以外の細々とした――例えば料理とか掃除だとか、という物は、奴隷であるサンジャリアンが担っている事が多いのだ。
 奴隷――駆逐される一方のサンジャリアンが、それでも今日まで生き延びているのは、一方で彼等が生まれ続けているからで。サンジャリアンの多くは混血で、もしかしたら、正統なサンジャリアンなんてもう存在しないのかもしれなくて――それでも彼等が額の緋眼を描き続ける限り、そしてその血が流れる限り、ダガートの人間にとっては、サンジャリアンは奴隷であり続ける。
 ルカナートに暮らしていたサンジャリアンはルカナート城の土台に埋まっている(事になっている)か、哀れな躯となって城壁に吊るされている他には、少女が一人。
 働き手を失った民達が、億劫そうに少ない家事や何かをしている現状らしい。
 けれどそれでも、彼等は鍛冶師や兵士の様に、一日の大半をそれに費やす事は無い。
 仕事をこなしても有り余る暇な時間を、趣味や娯楽に興じて過ごすのだ。
 現在、ルカナートでは公共施設の壁に絵を描くのが流行っているらしい。
 そしてそのスポットでは、真昼間の公園のような、長閑さと騒がしさが宿る。井戸端会議の真っ最中な奥様方、走り回る賑やかな子供達――そんな風に、人が集まる。
 街の中に点在する鐘楼は、鐘を鳴らすだけの役割なのに、色とりどりの壁画が描かれている。今もその一つを描いている途中で、その場所には日中、多くの人間が詰めていた。
 円筒の建物の一番下では、螺旋階段の脇に子供達が陣取り人形遊びをしていたり、作業の隙間を縫って少年達が走り回ったり。
 梯子の上で青年が描いているのは、青いアントだろうか。
 階段から身を乗り出した初老の男性が描くのは、何だか良く分からないが、一目を引く鮮やかな色の模様。
 奥では一向に描き進まれない絵の前で、筆を持った若い女性達が話に夢中になっている。
 そんな様子を、椅子に座って眺めるのが俺だ。
 何故こんな事をしているかといえば、実は存外、ここで聞ける会話が一番有意義だったりするのだ。
 殆どダガートの言語なので、相手は聞こえないとでも思っているのか、どこから仕入れてくるのか分からない女性陣の噂話には、王都での醜聞や時事なんかが含まれる。
 それらはけして国外には聞こえてこない類のものだ。
 例えば、春先に国王の後宮で刃傷沙汰があった、とか。近くの町で、土砂崩れがあって誰それが亡くなった、とか。何所何所の輸送路で、輸送車が襲われた、とか。
『そういえば、またテッサの森でジャジャルマ(サンジャリアン)を見たそうよ』
『また? でも前のジャジャルマ狩りも、無駄だったんでしょ?』
『次のジャジャルマ狩りではどうかしらね?』
 壁画を眺めているふりで、近くから漏れてきた甲高い女の声を聞く。
 何気無い様子でそちらに視線をやると、四人程の女性が固まって、輪になっていた。
『テッサのジャジャルマって、七年前に狩りきったって話じゃ無いの?』
『だってあいつ等、家畜みたいにぽろぽろ子供を生むもの。狩っても狩っても湧き出して』
『それに気味も悪いしね。先頃、オンリウム様がジャジャルマを殺してくれて、本当良かったわ。お陰でうちの子、夜泣きしなくなったわよ』
『でもその所為で、仕事が増えたわ。居なくなって清々したけど、私、アントの世話苦手なのよねぇ』
『私は料理の下ごしらえが面倒で』
『やだわ、そんな事もさせてたの? ジャジャルマの触った食材なんて、怖くて触れないわ。病気になるわよ?』
『あんたんとこの爺様、その所為で死んだんじゃないの?』
『あら、それなら、それだけは感謝しなきゃ』
『悪い女ね〜』
 女性達の笑い声が壁に反響して、塔の中に響く。
 彼女達は正午の鐘が鳴れば、家事の為に帰って行くが、それまでの間はこうやって、飽きもせずに話し続けるのだ。
 時々日頃の鬱憤を晴らすかのように旦那の愚痴なんかも言うけれど、その旦那は頭上で壁画を描いていたりする。
 帰宅後には夫婦喧嘩が待っていて、しかしそれさえ、次の日の話題にする。
 もっぱらそれ等の話を聞いて、俺も正午過ぎ、女性陣が子供を連れて退散するのを待って、鐘楼を出る。
 残っていても、壁画に集中する男性陣の会話は拾えそうになかった。

 ルカナート城に戻って、今度はツカサとして、モノス大公妃マリッサ様とお茶会だ。
 やっと出来上がったという手編みの膝掛けを有難く頂戴して、それを掛けて歓談中。
 一緒に菓子を食べていたザクセン国王妃ララ・ベジュさんは、どうやら年頃の娘らしく恋のお話が大好きな模様で、貴族社会には珍しい恋愛結婚をされたマリッサ様のロマンスを、夢見る乙女の表情で聞いていた。
 俺はそういう話はむず痒くて、得意じゃないんだけど。
「羨ましいですわ」
 ララ・ベジュさんが素直な賞賛の声を上げると、マリッサ様も恥ずかしそうに微笑んだ。
「わたくしは――その、少しお年が離れてますでしょ?」
 少し、というには、ララ・ベジュさんとザクセン国王の年は、父親と娘よりも離れている。ララ・ベジュさんは、まだ十七歳で俺より一つ下という事になる。
「嫁ぐまで陛下とお会いした事はございませんでしたの。勿論、ご尊顔は遠くから拝謁して参りましたけれど……」
 そこで少し声を潜めて、内緒話をするように頬に片手を当てた。
「お慕いしておりましたのは、レナード様ですの」
「まあ」
 控えめながら、驚いたようにマリッサ様が声を上げる。
「……レナード様?」
「ザクセン国王陛下の、王子殿下のお一人ですよ」
「うふふ。ですから少し複雑でしたけれど」
 ザクセン国王には、奥様が数人居る。ララ・ベジュさんはその中の一人で、まだ嫁いで一年にもならない。つまり、俺より妃歴は短い事になる。
「国王陛下は、お優しい方。だからわたくし、良かったとは思ってますのよ。ですけれど、マリッサ様のようなロマンスには、憧れる気持ちが大きくて」
 うふふ、と、ララ・ベジュさんは可愛く微笑んだ。
「それに、ツカサ様もとても羨ましいですわ」
「……え、私、ですか?」
「ええ。リカルド二世陛下はとても素敵な方ですもの」
 そう言ってから、勿論ザクセン国王も負けてはないけれど、と付け足して。
「内緒ですけれど、つい、あの美しいお顔には見惚れてしまいますわ」
 内緒どころか、恐らく誰もが気付いているだろうな、と思う。一番最初の晩餐で、彼女の視線が何度もリカルド二世を追っていたのを思い出し、同時にザクセン国王が少し面白く無さそうに鼻を鳴らしていたのも思い出す。
 まあでも、100人居たら99人の女性は陛下に見惚れるだろうから、しょうがない。勿論、見惚れない1人とは、俺の事だ。
 ――訂正。“顔”だけなら、悔しい事に俺だって見惚れてしまう。
「これからツカサ様がお生みになる御子も、きっとお美しいのでしょうね」
 他所事のようにララ・ベジュさんの話を聞いていた俺は、思わず咽せた。
 租借していたお菓子の欠片を、吹いてしまう。明後日の方向を向いていたので、テーブルの上を汚さなくて良かった。
 きっとリカルド二世がこの場に居たら、冷気で凍え死ねると思う、醜態だ。
「っ失礼しました」
 咳き込みながらも短く謝罪して、ナプキンで口を拭う。
 二人は特段嫌な顔をしなかったが、驚いたように瞬きを繰り返した。
「……ええと、その、私も、陛下の御子ならきっとお可愛いと思います、ええ」
 俺が生む予定は全く無いしごめんだが、とは口に出せないので噤んでおく。
「御子のご予定はございませんの?」
「……は!?」
 けれど、ララ・ベジュさんの追及は止まらない。
 マリッサ様のロマンスは聞き終わってしまったし、そのお子様二人は既に成人しているのも周知の事らしいので、矛がこちらに向いても仕方が無いのかもしれないが。
 期待一杯のつぶらな瞳が、俺を真っ直ぐに見つめている。
 とても、話を逸らせる雰囲気じゃない。
 助けを求めるようにマリッサ様に視線を馳せても、彼女は彼女で小娘二人の恋愛模様を、母親のような微笑みで、穏やかに眺めるばかり。
「……そんな予定は、全くありません!」
「……全く、ですの?」
「ええ、これっぽっちも!」
 そうなんですの、と口内で呟くように潜めた声が、何だか残念そうに聞こえるのは何故だ。
 それから、頭に豆電球でも浮かべるように、はっと目を見開いて。
「まだお二人の時間を楽しまれたいのですね!?」
 胸を張らんばかりに、そう言った。
「……」
 チーンと、俺の頭の中で何かが鳴った。
 どうしてそういう解釈になってしまうのでしょうか!!
「そうですわよね、お二人共まだお若いのだし、後継者は居た方が宜しいでしょうけれど、焦る必要も無いですわよね」
 自分達より若い少女に言われるのも何か可笑しい話だが、そういう事にしておいた方が絶対良い、と俺は瞬時に計算した。
「ええ、そうなんです! それに子は授かりものだと言うじゃないですか。天がお定めになった時に、任せます」
「そうですわよね!」
 俺の語尾にかかるように、ララ・ベジュさんが何故か前のめりに言った。言葉だけでなく、身体もテーブルに乗り上げる勢いだ。
「わたくしも、そう思いますの!」
 無邪気さ一杯、それこそ幼い少女のように、笑う。
「わたくし達、良いお友達になれそうですわ! お国に帰られた後も、ぜひまたお会いしたいわ!」
「……」
「マリッサ様も、わたくしとお友達になって下さる? こんな小娘ではお嫌かしら?」
「そんな事はございませんわ。嬉しゅうございます」

 ――もう勢いについていけそうにないので、俺は貝になった。




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