03 ひねくれ者のおまえのことなんて、 後編



 クリスマスイブの日に、彼氏持ちの自分が一人ぽつんと家にいる。惨めなんだか、そうじゃないんだかは分からない。会えなくても別にいい、と応えたのは自分だったし、本音でもあった。でもテレビはクリスマスムード一色。ニュースの最後にイルミネーションが綺麗な町並みが移ったり、ケンタッキーのCMがひたすら流れたり。
 ママはパパの勤める会社で臨時雇いという形で勤めだした。だから今日も二人して仕事。超多忙な共働き夫婦、そんな生活をとても楽しんでいる奇妙な二人。
 CMにつられて買ってみたケンタッキーチキンと、お昼の残り物で夕食をとった私は、部屋着で寛いでいた。
 時間にして、八時。
 家のチャイムが鳴って、首を捻りながらもインターホンで応える。
「あたし」
 そんな一言で分かるわけないでしょう、と思ったけれど、その声で羽田だと分かってしまった。彼氏とデート、なんて聞いたのは数日前。彼氏いたのかよ、と真知子と一緒に突っ込んだけど、しらーとした顔で流されてしまった。
 そんな羽田の突然の訪問に驚きながらも玄関に急ぐと、ドアを開けた瞬間羽田はにんまり笑顔で「よ」と手を上げた。
 首周りと袖周りにファーのついたお洒落なコートに、ロングのサテンの赤いスカート。そして黒いピンヒール。化粧は品良く、纏め髪は複雑に結われ、一見どこかのセレブかお嬢様かと目を疑ったが、それよりも驚いたのは玄関の前に横付けされた車と、運転席のドアの前に立っている長身の男性だった。見るからにエリートなスーツ姿の男性の後ろ、止まっているのは。
 見て分かるエンブレム。計算されたフィルムを晒した高級感たっぷりの、輝かしいシルバーの車体。メルセデス・ベンツ。それ以外の細かい仕様は分からない。一介の女子高生が早々お目にかかる代物じゃないのは確かだった。
 犇く住宅街に似合わない、品格。
「高橋に、会いにいくよ」
 呆然と口を開けた私に羽田が言うのはそれだけ。
「まずは着替え」
 そう言って私の身体を玄関の中に押し返そうとする。目があった男性が会釈して、「梓」と落ち着いた低い声が羽田を呼んだ。振り返った羽田を見て、にこり、草食動物のような長閑な笑顔を浮かべる。
「十五分ぐらい、流してくるよ」
「よろしく」
 親しみやすい柔らかい声に応える羽田は素っ気無い。
 ぱたりとドアを閉じた後に、車が走り出す静かな排気音がした。ほっとする。あんな車が家の前に止まっていたなんて近所の目が痛い。ママの耳にでも届いたら何を言われるか分からない。
 9センチはあろうかというヒールのパンプスを脱いで、羽田は私の背中を押したまま二階へ上がっていく。
「クリスマスに一人で家って、ほんと頑固だよね。アンタ。バスケ部のクリスマス会に参加ぐらいしなさいよ」
「……部外者だし、」
「誰も気にしないから。っていうか、イブに彼氏と会わないって……ほんと頑固」
 二回も言わなくていい。憮然としたままの私を放置して、部屋につくなり無遠慮にクローゼットを漁りだす。途中で邪魔だと気付いたのか、サテン地の黒い手袋とコートを脱ぎ捨てると、細いストラップで繋がれた真紅のドレスが現れた。胸元にドレープの寄った、シックだけれど品の良いドレスだ。
 それを着こなす彼女が、自分の知っている羽田と一致しない。
 クローゼットを物色しながら、勝手に幾つかの服を床に投げている。
「……何その格好」
 やっとこさ言えた言葉は、乾いてかさかさ。
「あいつの会社のパーティー出てきたから」
 あっさり言われても、中々咀嚼しきれない。
「……あの、あれ、彼氏、だよね……?」
「そうだよ」
「何者?」
「何者って」
 呆れた声を吐き出して、クローゼットを閉めて振り返る羽田が、それ着て、と床に投げ出した服を指差す。その指も綺麗なネイルが施されている。
「だって、ベンツだし。そのドレスだし。あの人年上だし。彼氏居るのはこの間聞いたけど、あんな人だとは聞いてないし!!」
「聞かれてないから」
 大体彼氏居るなんて素振り一度も見せた事がないくせに。健程ではないにしろ、常に興味ないという感じ。一年生のエロ餓鬼のモーションを「不足してない」なんて断っているのも、断り文句だとばかり思ってた。
 いいから早く着替えてよ、となんて事ない顔の羽田。
「じゃあ、聞いたら答えてくれるわけ!?」
 でも、これは引き下がれない。睨むような調子になる私を見つめて、羽田がため息をつく。
「着替えて、化粧、あと十分で出来る?」
「え?」
「出来るなら、その間説明する」
 そして私に着替えと化粧を再度促してきた羽田が、ベッドに腰掛けて手袋を嵌めなおす。
 私は言われた通り、わけもわからないまま用意を始めた。それが健に会うために、という事をすっかり忘れて、羽田の話に聞き入ってしまった。
 羽田梓の彼氏は、十歳上の従兄弟。海外に四つの支社を持つ大会社の社長子息で、自身も海外事業部の部長という身分を持ち、再来年にはアメリカ支社の支社長に就任する予定の、エリート。兄弟のように育ったその彼氏さんとの付き合いは、恐らく二年目。付き合いだした頃が曖昧だから、恐らくらしい。まあそんな金持ちの彼氏だから、パーティーなんて日常茶飯事の事で、羽田も婚約者として何度も参加してる模様。
 婚約者。なんて突飛な言葉だろうと思ってしまう。
 だからベンツもドレスも、羽田には珍しいものではない。
 更に驚いたのは、再来年支社長としてアメリカに赴任する彼について、羽田もアメリカの大学に通うらしい。結婚、というオマケ付きで。
 淡々と紡ぐ羽田の真意は測れない。結婚? と訝しげに反復すれば、やっとで羽田が口元に笑みを浮かべた。
「そう。もうずっと一緒に居過ぎてさ、近くにいないなんて考えられないんだよね」
 だから結婚。そんな心境に落ち着けるまでに、一体何があったのか考える。考えても分からないけれど、これが自分と同い年の考え至った結論だと思うと、不思議だった。
 アメリカ――遠くて近い、場所。けれど言語も違えば生活観だって、違う。羽田にしてみれば、その婚約者の彼氏しか頼るもののない場所。そういう場所についていって、結婚して奥さんになる覚悟が、羽田にはあるのだ。近くに居ないなんて考えられない、と簡単に言いながら、瞳には揺るがない覚悟が見える。
 私は調度化粧も終えて、用意されていたコートを羽織った所だった。
 言い切ったと沈黙した羽田の携帯が着信を告げ、ディスプレイを確認した羽田が立ち上がる。
「さて、じゃあ時間だから行きますか」
なんて。ぽかんとしたままの私の背をまた押し出しながら、部屋の電気を消して、台所でガスの元栓を締めて、玄関に鍵をかける。
 玄関前ではベンツの後部座席を開けて待っていた彼氏に会釈をされ、羽田と一緒に乗り込む。
 あまりの緊張感に、初めてのベンツの感触は良く分からなかった。覚えているのは、左ハンドルにしきりに感動した事だけ。
 何を話していたのかも分からず、あっという間にバスケ部がクリスマス会を催しているという会場に連れて行かれ、店の前で待つように言われ、羽田が両手にビニール袋を持って店内に入って行くのを見送っていた。ベンツが似合うお嬢様が、コンビニのビニール袋を抱えている様は異常だったけれど、突っ込む気力はなくて。彼氏さんが荷物を持とうとしていたけど、「ついてくるな」と羽田に一蹴されて肩を竦めて残った。
 残された彼氏さんと、私。気まずい。
 でも私の隣に並んだ彼氏さんはにこり、笑顔を浮かべて。
「何時も梓がありがとう」
 そんな事を言われてしまう。まるで友達の母親に「何時も仲良くしてくれてありがとうね」と言われたみたいな感覚だけれど、隣から漂うムスクの匂いに一気に空気が変わってしまう。まさに別世界の住人である羽田の彼氏さん。
 懐を探って、名刺を渡された。
「梓が迷惑かけたら、遠慮なく言って」
 白地に、品の良い並びの文字。英文字の会社の綴りの下に、海外事業部部長、羽田大樹とある。そして、会社の電話番号と携帯番号。卒業証書をもらうみたいに、かちこちになりながら両手で受け取り、畏まって頭を下げると頭上からは忍び笑い。
 洗練された大人の物腰、というより、セレブの気品。
 居心地の悪さにそわそわしている私を笑っているのに、その笑いには馬鹿にする所が無い。こちらがちっとも嫌な気分にならない、優しい微笑み。
「菅野さん」
 これからも、梓と仲良くしてやってね。
 ――ああこの人は、もう羽田の家族なんだ。そんな風に思った。
 はい、と頷けただろうか。店内のドアがガラリ、と開いた音に大樹さんが顔を上げ、ついで私も振り返った。
 怪訝な顔をした羽田が私の手元の名刺を見つけ、顔を歪めた。
「高校生に名刺渡すなっての」
 不機嫌に私の掌から名刺を浚って、くしゃり、と容赦なく拳で握り潰す。あ、と声を上げた私の横で、丸めた名刺を大樹さんに投げ渡す羽田。そのままベンツの助手席に滑り込む。
「酷いなぁ」
と、嫌な顔一つせず笑いながら、大樹さんも名刺をさらにくしゃりと丸めてポケットに突っ込んだ。大樹さんは情けない笑い顔を意図して浮かべて、「それじゃあね」と言いながら、運転席に向かっていく。
 呆気に取られたままの私の背後から、もう一度トビラが開く音がした。
「理子?」
 疑うような声。車の排気音。窓がすーっと開いて、羽田が手を振る。
「じゃあね、二人とも。アタシからのプレゼント、ありがたく受け取って」
 ひらり、サテンの手袋が踊る。それを合図に走り出した車を目で追って、視界に健の後頭部が映る。健は完全に車の去った方向に身体を向けていた。
 青信号の交差点を走り抜けるシルバーの車体。
 取り残された私達には事の次第が分からないまま。
 健はただ外に出てきた、というよりは、コートを着込み、マフラーをしっかりと巻きつけ、まさに帰ろうとしているようにも見えた。
「もう、終わったの?」
 聞けば、
「いや、羽田が……」
 そこで振り返った健と目が合う。一瞬目を見開いて、私の存在を上から下まで確認するように視線を動かして。
「理子が、外に居るっていうから……」
 何で居るのだ、と目を瞬かせる健に曖昧に笑いながら答える。
「いや、何か……羽田が迎えに来て……」
 よく分からない内に、と素直に続けた。こんな予定は無かったんだけど、って、戸惑いながらの私。
 健は健で、困ったような何とも難しい顔。
「あれ、羽田の彼氏……?」
「そう、らしい」
「…………何者?」
 逡巡するように目線を落としてから、健が言う。
 それがまるで私の再現のようで、噴出してしまった。
「――ねぇ?」

 とんだサプライズプレゼントだ。





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