06 だって外、寒いじゃん 前編


 梅雨はわけも無く気が滅入る。
 泣き続ける雨に、自分の気持ちまでシンクロするようだ。朝も夜も憂鬱。早く夏になればいいのに。
 何度目か分からないため息をつきながら、窓を叩く雨粒を見つめる。その向こうは暗い。
 授業の予習を、と机の上に教科書を開いていても、一向に手につかない。
 こんなにも気分が沈んでいるのは、何も雨の所為だけでは無い。
 夕食を食べ終わり勉強すると自室に篭もったものの、頭はずっと同じ事を考えている。
 高橋健。片思いの相手の事ばかり、考えてしまっている。
 嫌味ばかりで腹の立つ言動が多い彼の事を、何故こんなにも好きになってしまったのだろう。顔は確かに整っているし、時々笑うと可愛い。バスケをしている時は魅力全開だ。だけどそんなのは所詮外見だけの事で、美形というものに家族で慣れている私にとってはそこまで心惹かれる要素では無かった。
 人は性格だ、などと言い切れない程度に、有る程度の外見を恋人に求めてしまう自分は居る。
 だけど高橋は違うのだ。
 何故か気になる。何故か目が追ってしまう。そう自覚してから急速に膨らんだ想いに、何度も泣いた。面倒な相手だと、何でこんな人をと思う事が多くて、それは胸をときめかすより多いくらいで、それなのに捨てきれない気持ち。好きだ好きだと心が叫び、彼の側に居たいと訴える。
 長期戦を決めて、恋愛に興味を持たない彼をどうやってこちらに向かそうかと悩んだ。それでいい、と思ったのは自分だった。
 なのに、今。彼の側に居ることすら、こんなにも難しい。
 二年に進級して、クラスは今年も別で。でもお昼は相変わらず皆で仲良く取る変わらない状況に、耐えられないと悲鳴を上げる心。自分はなんて我慢弱いのだろう。
 他愛も無い軽口が寂しい。高橋と視線が合う度、切ない。チャイムが鳴って駆けて行く背中を見ると、胸が窮屈になる。何度その背を呼び止めようと口を開いた事か。
 側に居るのがこんなにも苦しい。ただ、友達として側に居る事が、今は辛い。

 ため息は我知らず口をつく。

 クラスメートが高橋の話題を私に振ってきたのは、今日の事だった。
 授業間の休憩時間、隣の席に座る女の子。
「高橋君って、話しかけやすくなったよね」
 唐突な事では無かった。その数分前に今年のバスケ部は期待できる、という話をしていた所だったから。
「最近女子の間でも評判良いんだよ」
 元々モテてたけど、と彼女は言う。
「前はさ、近寄りがたかったし。何か女子と話してるのってあんま見た事なかったんだよね。それにバスケ部の見学とか行くとさ、「五月蝿い」って怒鳴られるし。遠巻きにモテるって感じだったじゃない?」
「確かにね」
という相槌は羽田。
 顔はいいけど愛想無い。冷たい。すぐ睨む、が高橋の今までの印象。それは仲の良い私達に対してもそうだ。
「でも、なんか、刺々しい感じが無くなった。昨日かな、部活いくとこだったみたいで「頑張ってね」って声かけたら笑顔見せてくれたんだよ。私今まで高橋君苦手だったけど好感度上がっちゃった!」
 邪気の無い笑顔を真っ直ぐに見られなかった。
「それって絶対、理子ちゃんの影響だと思うんだ!」
 なんて、言われても。
「……そうかな」
 微妙にしか笑えない。
『女にも気のいい奴が居るの分かったから、まあ、頭ごなしに避けるってのもな』
 高橋の言葉。一応は理子たちのお陰だな、と笑った高橋。
 そんなの嬉しくない。なんて、私の我儘だろうか。
「絶対そうだよ! 去年の放送ジャックにもびっくりしたけど、本当二人って仲良いんだね!!」
 あんな風に友達思いの所もポイント高いよねって、興奮した様子の彼女。
 そんなの嬉しくない。
「なんで二人、付き合ってないの?」
 他意は無いのだろう言葉が痛かった。

 ありとあらゆる会話から、耳を塞ぎたくなる。
 高橋と付き合っているのか、と――彼女だけじゃない。告白してくる男子達も、高橋ファンの女子達も、私に寄って来る子達は皆言う。羽田や菜穂といる時しか、それから解放されない。
 学校が苦痛だと思ったのは初めてだった。中学時代、全校生徒から腫れ物のように扱われていた時も、そんな風に感じた事は無かった。
 恋は人を弱くする、って何かの漫画で読んだ気がする。
 ――違うかな。自分がこんなにも弱いなんて、知らなかった。

 もう一度ため息を吐いて、教科書を閉じた。席を立ち、ベッドに寝転がる。
 白い天井が目に映る。そこに、高橋が浮かぶ。
 今はただ、胸が痛い。

 机の上で、携帯が鳴動した。今の気持ちに似つかわしくない明るい音色は、電話の着信音だった。
 起き上がる気になれなくて無視したのだけど、一度切れたあとすぐに鳴り出した。億劫な身体を起き上がらせて、サブディスプレイも確認しないで電話に出た。
「……もしもし?」
 どうせ菜穂か羽田だろう。相談にでも乗ってもらおうか、なんてけして出来もしないのに弱気な気持ちで言葉を発した。プライドの高い自分が恋愛相談なんて出来っこないのは分かってた。せめて気の置ける友人と話て気分を浮上させようと考えた、のに。
『おう、理子?』
 ――なんと、相手は高橋だった。
「……何?」
 背後がガヤガヤと五月蝿いのは外にでも居る所為なのだろう。微かに足音が響いているから部活帰りだろうか。
『悪ぃ、寝てた?』
「……いや……なんで?」
『声が暗いから』
 即答で言われた。そんな機微なんて気付かないでほしい。こちらの気持ちに気付かないくらい鈍感なくせにって腹が立つ。
「……ただの勉強疲れ、かな」
 でも癇癪は起こせない。何時だって高橋との会話は喧嘩腰で、それを後悔するのは自分だった。ぐっと堪えて、してもいない勉強のせいにする。
『相変わらずマジメだな。帰っても勉強ですか』
 揶揄するような言葉。
 ほっといて、と呟く。
『お前、明日の休み家に居る?』
「……居るよ」
『はは、暇人め』
「喧嘩売ってるんですか?」
 何なんだ、君は。思わず眉間に皺を湛えてしまう。
『ちげーよ。あのさ、この間のNBAの試合』
「え?」
『6月13日の深夜にやってたやつ』
「ああ……」
『あれ、撮った?』
 最初はバスケの勉強の為、というより、高橋が好きだというNBAの選手に興味があって録画した。何時か高橋との会話に役立たせようとおもったものだ。だけどそれから何度か高橋の試合を見たりしている内に以外に奥が深いらしいバスケットという競技にはまり出した。元々運動が好きだったのもある。一度昼間に家で見てたら、兄貴に貸してほしいと言われたのもあって、それからはもう習慣だった。
 それが高橋に露見したのは最近だ。NBAの話題が出た時に思わず会話に乗ってしまって、録画している事までバレた。
「撮った」
『マジで!?』
 気色に滲んだ声が受話器越しに聞こえる。大きな声に、思わず携帯を耳から離す。
『それ、ダビングさせてくんねぇ!?』
「……いいよ。DVDで良いんでしょ? 月曜に持っていくよ」
『いやすぐ見てぇんだ。で、明日取り行く』
 何、その決定事項みたいな言い方。取り入っていいですか、だろう。
『9時とかでいい?』
「……まさかとは思うけど、朝の?」
『そう。すぐ欲しいんだもん』
 だもん、って何可愛い子ぶってんのよ。キモイんですけど!!!!
『駄目?』
 あぁあ、何ですかその甘い声! こういう時に無駄に美声を披露してくれなくて良いんですけど!!
 駄目って駄目って、駄目とか言えるわけないでしょう、畜生!
「……分かった」
 苦しいとか辛いとか切ないとか思っても、結局の所私に高橋を拒絶する事なんて出来るわけがなかった。一緒に居ると胸が締め付けられるのは分かっているのに、でも一瞬感じる幸福感が何にも勝ると知ってしまっている。
『さっすが理子! お前の事だし、絶対その時間何時も起きてるだろ? 年寄りは本当朝早いよな』
「だから、喧嘩売ってんの?」
 何かダビングしてあげる気失せてきた、って声音を落として言えば、
『うそうそ、冗談!』
なんて調子の良い言葉が返って来る。
『そんじゃ明日よろしく。勉強頑張れな』
 もう少し電話していたい私の心なんて当然知る筈もない高橋は、あっさりと電話を切った。
 私の返事も待たないせっかちな男。
 そんな男が、私をもう一度机に向かわせるから、厄介だ。

 ずるい。
 本当に、ずるいよ、君。





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