03 これは神の思し召しに違いない! 前編
最近、菅野が落ち着きすぎてつまらない。
別に友達の不幸を望んでいるわけではけして無いけれど、彼女と高橋の行く末はアタシにとってかなり観察しがいのあるものだった。
それで無くとも最近親友の真知子が彼氏優先で暇な時間を持て余すようになってしまったから、兎に角、アタシは楽しい事を求めていた。
だのに高橋の行動、発言に、本人はけして認めたがらないけど一喜一憂していた菅野が、長期戦を決め込み、果てはその想いを隠そうともしなくなってからは、からかい甲斐も無くて。
部活では発散しきれない感情が、胸の内を燻っていた。
けど、その転機は思わぬ所からやって来た。
3月13日――ホワイトデーを翌日に控えた日。
撒くように配ったチロルチョコのお返しを、それなりに期待出来そうなホワイトデーを前にして、アタシは部活を終えて帰宅した。
「ただいまー」
と何時も通り言って部屋のある二階への階段を上ろうとした所、
「お帰り」
と言いながら笑顔で顔を出した従兄弟に足を止められた。
玄関に靴があったから来ていたのは分かっていた。
十歳上の父方の従兄弟、大樹は、忙しい会社勤めの身でありながら、三日にいっぺんは顔を出す。ウチを我が物顔で闊歩する大樹は、アタシなんかよりよっぽど父親に好かれていると思う。今日もリビングで親父の将棋の相手をしていたらしい。
「アズコ、今日も部活?」
「そうだけど」
小さい梓だから、アズコとあだなした時の名残。幼い頃から変わらない呼び名を呼んでくる大樹に素っ気無く返す。
「ちょっと部屋上がっていい?」
「シャワー浴びたい」
「すぐ終わるから」
どうせ断り切れない、って事は分かっているんだけど、にこにこ笑顔の大樹の顔が癪に障ってしまうから、アタシは何時も無駄な抵抗をする。
結局は引き摺られるような形で、アタシの部屋に連行されたわけだ。
部屋に入るなりアタシをベッドに座らせて、大樹は机の上に乗っていた見慣れない包みを手渡してきた。
「明日仕事で寄れないからね。バレンタインのお返し」
勝手に人の留守に部屋に入って、仕込んでおいたのか。それをさも当然に渡してくれるな、と文句を言ったところで、この男の事だ。「俺とお前の仲だろ」等といって聞く耳持たないのも分かりきっている。
バレンタインと言っても、他の誰とも変わりない。しいていえばチロルチョコをバラエティパック一袋そのままやったくらいだ。
それなのに律儀すぎるお返しをくれる大樹。毎年の事過ぎて驚く事も無い。
「ありがと」
気概無くそれを受け取って、包みも開けないままに枕元に放る。大樹は嫌な顔一つせずに微笑んでいる。
どうせ今年もブランド物のアクセサリーだとか限定物のバックだとかだ。欲しい、と望んだ事もなければ、要らないと突っぱねる事も出来ないのは、その中身が何時だってアタシ好みだからで。
「それから、」
大樹がアタシの横に座ると、ベッドのスプリングがその重みでギシっと鳴った。大樹側の左部分が沈む。
「これも。アズコ、見たいって言ってたろ?」
ポケットから取り出した縦長の、チケットを「ほら」と。条件反射で広げた掌の上に置かれる。
菅野が大絶賛していたから覚えがある、映画のチケット。全米ナンバー1だとかの新作の映画だ。
言われて記憶を探ってみると、確かに見たいとは言った。でもそれは正月に大樹に引っ張り出されて見に行った映画の宣伝で流れていたのを、何とは無しに「見たいかも」といった程度のもので。
「スポンサーがくれてね。枚数あるから、友達にあげてもいいんじゃないかと」
「ふーん」
そんな程度のものだったから、もらってもこれまたあまり感慨が沸かない。
「俺も付き合いで三回程見たけど、面白かったよ」
「あっそ」
「アズコの頼みならもう一回付き合ってもいいよ?」
「遠慮しておく」
チケットをぴらぴらと振りながら、どうしようかなぁと考える。
枚数は十枚はある。指定席では無いけど、期間はまだばっちりあって。友達の顔を何人か思い浮かべながら考える。真知子は――どうせ彼氏と行きたがるだろうし、菜穂と佐久間も然り。日向は――良く分からんが、やれば彼女とでも行くだろう。部活の千佳やミドリと行くのも良いかも。あとは高塚は……あいつは行く相手が居ないか。菅野をもう一度誘うのも……変か。
――ん?
大樹は相変わらず、にこにことアタシを見下ろしている。タレ目がちで温厚そうな顔はそこそこ整っている。キレ者と会社では評判らしい、男。
「何?」
長い付き合いだから分かるが、こいつは中身は温和な印象とは全く別、ただの腹黒だ。羊の皮を被った狼、そこまで肉食じゃないから狐とでもしておこう。
明るいヘーゼルの瞳は含んだ色を持つ。
「何時もアズコが話してる、菅野さんと高橋君にもあげたら?」
「菅野は一度見たらしいけどね」
言われなくとも一応あげるつもりだ、という意味を込めて睨むと瞳が更に細まる。
「違うよ。アズコ言ってただろ? どうせ高橋君はホワイトデーの存在なんて忘れて、菅野にお返しするわけ無いだろうって」
「言ったけど?」
「そういう馬鹿な所が可愛いんだけどね」
言うに事かいて馬鹿とは失礼な、とむっとしたアタシだけれど。
「だから高橋君にさ、ホワイトデーのお返しに映画に誘わせればいいじゃん。せっかくこれだけチケットあるんだから、アズコそれを覗いて楽しめば」
続いた提案に、怒りはすぐに消えた。
「なるほどっ!」
それは確かに、観察し甲斐がありそうだ。
あの二人に置いては、このまま自然に任せていてデートまで行き着けるかも怪しい。高橋のペースに合わせて恋愛していては、卒業までにくっつくかも怪しいものだ。何時かは収まる所に収まるだろうけど――さっさとくっついてくれた方が、絶対観察甲斐があって楽しいと思う。
それをお膳立てして、覗き見。絶対面白い。
明日はホワイトデー、手元にはチケット。
素晴らしい偶然。
否、これは神の思し召しに違いない!
「そうする!」
俄然やる気が出たアタシは、多分その時満面の笑みを浮かべていた。
真正面に見据えた大樹の表情が、まるで自分の事のように嬉しそうに変化する。
「喜んでもらえて何より」
本命のお返しより、オマケの方に大満足しているアタシを、怒りもしない。
ただ小さい頃からそうしているように、両手を広げて待っている。
アタシはため息をつきながらも、無防備になった胸の中に、文句も言わずに抱き締められてやった。
「ありがとね」
そう言って軽く背中を叩いて、今日一番、思いの篭った感謝を述べて。
頭を撫でていく優しい大樹の手を、少しの間、享受した。
――そんなわけで。
翌日、案の定ホワイトデーをすっかり忘れていた高橋に。
「お返し、楽しみにしてろって言ってたのは誰だったかな」
「お前には言ってねぇ!」
学校内の事はアタシの耳には筒抜けになる事を、高橋は知らない。情報網を甘く見るなという奴だ。人が少ない放課後とはいえ、学校の下駄箱で有名人二人が喧嘩してたとなれば人目につかない筈が無い、というのに。
「アンタそれでなくても菅野には色々迷惑かけてたでしょ?」
っていうか何で知ってんだ、と怒鳴っている高橋を無視して言ってやれば、奴は小さく唸ってバツが悪そうな顔をした。
すかさず、目の前にチケットを晒す。
「これ、人からのもらい物なんだけど。アタシ興味ないからアンタに譲るよ。これで菅野誘って、何時もの礼でもしてやったら」
高橋は怪訝な顔でチケットとアタシを見比べていた。
笑い出しそうになるのを堪えて、神妙な顔を作るのは至難の技だった。
「いらないんなら、別にいいけど」
アタシだって一応友人としてそこは気にかけてやったんだよ、と嘯くと、疑いながらも何だかんだいってチケットを受け取る高橋。
「感謝の気持ちは何時か形にして返してくれ」
と、何時ものアタシらしい返答をしておけば、意外に単純な高橋はすぐに納得した。
「あと、チロルのお返しも忘れないで頂戴よね」
「あれにお返し期待するなんておこがましいにも程があんだろっ!」
最後は「くれ」「やらない」の応酬で、完全に高橋はごまかされた。
少し頭を働かせれば、アタシがそこまで親切なわけが無いと分かるだろうに――憐れだな、高橋めっ!!
後はもう、当日を待つのみだった。