08 しょっぱいけど甘い


 三日は予定通り、菜穂と買い物に行って、デパートで大量に洋服を買い込んだ。
 四日から六日までパパが休みを取って、祖父母の田舎へ家族四人で遊びに行った。雪の一家や親戚が集まって、年下の従兄妹の世話をしたり、年上の従兄妹にスノーボードに連れて行ってもらった。
 七日は中学時代の友達とカラオケやボーリングをして遊んだ。
 その間、高橋とは勿論会っていない。遊ぶ予定なんてある筈も無く、あけおめメール以降メールの遣り取りもしていなかった。
 別段、話す内容も無いのだ。
 それでも、私の頭の中は、気付けば高橋で一杯になる。一日に見た高橋の姿は、嫌でも頭の中を巡る。
 彼女がいたって、別に。気になんて、しない。私は確かに高橋に、ちょっとばかり好意を持っていたけど、友達で全然構わない。
 あんな面倒な男、すぐに忘れられる。
 ――筈なのに。
 物にも人にもあまり執着を持たないのは、今までの経験からだ。人なんて裏表も激しい、すぐに態度が変わる。勿論そんな人ばかりでは無いと分かっているものの、一番の親友である菜穂に対しても、そういった猜疑は拭えないでいる。例えば高校を卒業して途端疎遠になってしまっても、そんなものなのだと納得出来てしまうだろう。
 手の内から零れてしまった場合は、もう仕方が無いと諦めてしまう。それまでの間、大切に扱っていられれば良い。人も、物も、気持ちさえ。
 だけど高橋への気持ちは、奴に彼女が居るのであれば、私の手の中から零れたも当然。だから縁が無かったのだと捨ててしまえばよい筈の感情だった。
 こんなの、私の大嫌いな少女漫画と一緒だ。
 失恋一つを引き摺って、長い事悶々としているなんてナンセンス。甘酸っぱい、ほろ苦いなんてそんな表現は嘘臭いと今まで思って来た。すれ違いなんて時間の無駄、知りたい事は聞けば良いし言いたい事は言えば良い。そうしていれば独りよがりな「浮気されてるかも」とかそんな心配要素もすぐに解決するじゃないかと、一人部屋で泣いちゃうような恋愛漫画を読むたび思った。
 高橋と私は別に付き合っているわけでも、もしかしたらお互い好きかも、なんて気配ちっとも無い。だから高橋に彼女が居たところで私が彼の預かり知らぬ所で勝手に失恋したようなものだ。
 あの一瞬、ありえないくらい胸が痛かった。あの光景を思い出す度、胸が疼く。寂しいし、悲しいような何とも嫌な気分になる。それから「興味無い」って嘘じゃん、とか、そんな事に苛立ってみたりしても、それはもう、仕方が無い事だ。
 どうしようもない。
 彼女から高橋を奪う程の情熱も無いのだ。
 それでもいいから好きでいる、なんて意味の無い事したくない。
 ――ないのに。
 答えは出ている筈なのに、頭の中は堂々巡り。
 何時までも暗い気持ちを抱えまま、何の収拾もつかない内に冬休みは終わってしまった。



 始業前の教室は、まだ冬休みの空気が抜け切らない。冬の寒さも何のその、元気に騒がしい男の群はまるで小学生の集団だ。
 席に着くなり私の元にやって来た真知子も、どうやらそれに漏れないらしい。
「アロハー」
 なんて気の抜ける挨拶と共に手を上げる彼女は、
「黒っ!!」
思わず叫んでしまう程だった。冬にまったく似つかわしくない、焦げた肌。夏場は美白だ何だと焼けないように日焼け止めを塗りたくっていたのに。
 家族旅行でハワイに旅立っていた真知子が、太陽のような眩しい笑顔を向けてきた。
「楽しかったよ、ハワイー」
 おもむろに机に乗せて来たのは、英語の包装紙に包まれた長方形の箱。チョコレートと書いてある、定番の土産物のようだ。
「これマカダミアナッツ。後で皆で食べようね」
 ちゃっかり自分も食べるらしい。
「あと、じゃんっ!!」
 そう言って続いたのは、透明のビーズの先にハイビスカスのアクセサリーがついたストラップだった。数は三つ、花の色が黄色、赤、青だ。
「皆でお揃いのストラップ、着けようと思って。マチはピンクなのだ」
 既に大量のストラップが着いた自身の携帯を見せ付けてくる。携帯よりストラップの方が絶対重い筈だ。
「早い者勝ちだから、好きなの取って」
 促されて、「ありがと」と返しながら、私は青いストラップを貰う事にした。利用性のみ重視した私の携帯には当然のようにストラップなんて代物は着いていなかったのだけれど、貰ったものは有難く思う。真知子の前で携帯に取り付けると、嬉しそうに笑ってくれるので、自分の趣味じゃないなとは思いながらも外そうなんて気にはならなかった。
「理子はそれ選ぶと思った。マチの見立てだと、梓が赤で菜穂は黄色にすると思うんだぁ」
 私もそう思う、という意味で頷く。
「あのね、もっと花が大きいタイプとか、派手メなのとかも一杯あったの。でも理子と梓はさ、こういうのの方がイイだろうなって思って」
 窺うような視線にもう一度頷く。
「ん、良く分かってるね。じゃなきゃとてもじゃ無いけど着けなかったよ、私。真知子の見立てに感謝」
 お土産を貰う方とは思えない上からの態度にも、真知子は満足そうに笑ってくれる。真知子とはあまり共通点の無い私だけれど、真知子がこういう風に気遣い屋で感じが良いからこそ、友人として仲良く出来ている。
「ありがとね」
 携帯をかざして見せると、青いハイビスカスは優雅に揺れた。
 その後登校して来た羽田と菜穂は、真知子を見るなり同じようにその肌の黒さに驚嘆していた。

 始業式を終え、授業は無いので短いホームルームの後はそのまま帰宅となった。関東大会で敗退した女子バスケットボール部は部活が無いらしいので、四人で寄り道でもするか、と連れ立って学校を出る事になった。
 何時も通りの筈だった。
 ところが、校門辺りの様子が何だかおかしい。
 それに目敏く気付いたのは、羽田だった。
「誰あれ」
 と彼女が言うので一斉に視線を向けた先。
 ちろちろと、下校者達の視線をくらいながらも別段気にした風も無く、フェンスを背にして佇んでいるのは。
 何時か見た、白いダッフルコート。髪の毛は巻き髪でも金髪でも無く、落ち着いた茶毛の腰までのストレートだったけれど。細身の黒いパンツと、高い背を更に際立たせるパンプス。小さな顔に大きなサングラス。
 まるでモデルの様な、綺麗な立ち姿の女性は、あの日見た彼女。
 高橋の、彼女。
「あれ?」
 羽田の言葉に立ち止まってしまっていた四人組の視線に気付いたのか、真知子が素っ頓狂に声を上げたからか、女性の横顔がこちら側に向いて動いた。
 鼻筋の通った、整った顔。
 サングラスを外すと、大きな瞳が驚いた様に見開かれていた。
「真知ちゃん?」
「やっぱり、紀子先輩!!」
 予想外のハスキーボイスだったけれど、セクシーな印象を抱かせる女性に、真知子がキャーと叫んで走り寄るのを残された私達は茫然と見つめてしまった。
 二人はお互いに指を絡ませて、(どうやら)先輩後輩の再会を祝している。
「真知ちゃん、ここの学校だったの? ケンの奴、教えてくれなかったけど!」
「えー、だってマチ、高橋と全然仲良くないですもん。あいつ、私が同中だったのすら知らないんじゃないかな?」
 っていうか、真知子が高橋と同じ中学校だったなんて私も知らない。
 ケン、と高橋を呼び捨てにする女性。タケ、という男子が呼ぶ愛称じゃなく。
 同年代では無い、年上美人。私みたいに見た目や印象だけで大人っぽいって言われるのとは違う、洗練された雰囲気がにじみ出ている。
「あれ、でも先輩、どうしてここに? それに、先輩の学校も今日始業式じゃないんですか?」
 だけど真知子の口振りでは、どうやら高校生ではあるみたいだ。兄貴が大学生だから良く分かるのだけれど、大学生の冬休みはもう少し長い。
「あ、学校二学期でやめたの」
「えぇ!? 何でですか!!」
 私達を無視して、高橋の彼女と真知子は会話を続けていく。
 私は兎に角、もうこの場を離れたい。口角を上げて鮮やかに微笑む綺麗な顔を、心とは裏腹に注視してしまうから。見れば見る程、もう誉める所しか出て来ない彼女を見ていると、沈んでしまうから。また、もやっとした嫌な感情が沸いて来てしまうから。
 せっかく、再開した学校生活に再浮上してきた所だったのに。
「うん、結婚する事になって」
 俯きかけた私の顔は、途端固まった。
 
 あれ、何か今。

「今、三ヶ月」
 はにかんだ彼女が、愛おしそうにコートの上から腹を撫でた。膨らみも何も感じられない、細いお腹を、両手で大事そうに抱えた後、真知子に向かってピースを向ける、綺麗な笑顔。
「えぇー!!?」
 真知子の大絶叫に、私も心中で同意した。

 妊娠シテ、結婚。
三ヶ月。
妊娠。
結婚。
――結婚?

 思わずしゃがみ込んで、頭を抱えそうになった。
 理解が追いつかない。
 当然そんな私を無視して、女性は話続ける。
「だからね、学校辞めたの」
「おめでとうございますー!!」
「ありがと」
 大興奮している真知子。目を見開いて顔を見合わせる菜穂と羽田。どうしようもなく固まっている私。周囲は通り様何だろうと視線を向けてくるけれど、それだけ。
 はにかむ女性。
 私の脳内はパニック。
 高橋の彼女が妊娠。結婚。
「でね、私ケンに用があるんだけど。携帯忘れて来ちゃって、ここで待ってたんだけど……」
「でも、高橋部活じゃあ……」
「だよね!? だからもう少し人が居なくなったら、体育館行っちゃおうかと思ってたんだけど、それは流石に……ねぇ?」
 女性が顔の前で手を合わせる。
「真知ちゃん、代わりに携帯で電話してもらうとか出来る?」
「あ、はい!」
 勿論、と請合う真知子が携帯を出してから、あ、と顔を顰めた。
「ってマチ、高橋の番号知らないです……あ、理子!」
 その顔が、ぐるり、と。
 突然呼ばれて、背筋が伸びた。真知子と一緒に彼女の目まで向けられて一気に緊張してしまう。
 吸引力の強い黒い瞳が見開かれる。
「理子ちゃん!?」
 今度は、きゃーと叫びながらその女性が駆け寄って来た。
 妊婦が走るとか――!
 何てこっちが心配にになって、思考はもうめちゃめちゃ。抱きつかれて更に意味が分からなくなってしまった。
「ケンから聞いてるー!」
 細い腕が私の首に絡まる。
「理子ちゃんに会えるなんて感激ー! アイツの口から出た女の子の名前なんて本当久し振りなんだもん」
 言動が良く分からない。意味が分からない。
 この人何。
 私は彼女に抱きつかれたまま、呆気に取られる真知子に引き攣った顔を向けた。
 誰かこの状態を説明してくれないだろうか。
 隣に居た羽田と菜穂は既に避難済みだ。さり気無く真知子の傍らで様子を窺っている。
「ね、彼女なに?」
 声を潜めているが私に聞こえているという事は当然女性にも聞こえている筈だ。聞いた羽田も動揺しているという事だろうか。
 その声に覚醒してくれたらしい彼女は、はっとした顔になって、私から手を離してくれた。
「ごめんなさい、ちょっと興奮しちゃって」
 取り繕うように髪を耳にかける仕草。それから、こほんと咳払いを一つした。
「私、高橋紀子って言います。高橋健の一個上の姉です」
 にっこりと笑って、軽く頭を下げる高橋の彼女――では無く。
「ケンが何時もお世話になってます」

 ――高橋の、お姉さん。

 家の鍵を忘れてしまったらしい紀子さんは、どうやら高橋に鍵を借りたいらしく。事情を聞いて高橋に電話を掛けると、すぐ行くという返事があって。走ってやって来た高橋は息も切れ切れ。相当急いで来たらしい奴は紀子さんに悪態をついた後、気まずそうに私達に「サンキュな」と声を掛けて踵を返した。
 何故か私に興味津々の紀子さんと、紀子さんに話を聞きたいという真知子や羽田の申し出があって、どうしてか五人となった私達は近くの喫茶店でまったりしようという事になって。
 真知子と菜穂が紀子さんの結婚話に興味津々になっているのを、羽田と並んで追いながら、私はようやく事態を掴んだ。

 つまり、そう。

 高橋の彼女、というのは、私の勘違いで。
 早とちりで。
 そう思い至ると、猛烈に羞恥心が沸いて出る。
 あれ程、少女漫画の独りよがりな思考回路を小馬鹿にしておきながら、自分自身がそのドツボに嵌っていたというわけなのだ。
 顔から火が出る恥かしさだ。穴があったら入りたいとはこの事だ。
 しかも一緒に居たのが姉だとか妹だとかっていう展開、少女漫画に良くある。
 それこそ本人に聞くなりして居れば、呆気なく解決したのでは無いだろうか。
 否、聞いた所で嘘ついているんじゃないかなんて邪推するのもありがちだけれど。
 ああ、もう兎に角。
 認めるしか無い。
 私が高橋に持っているのは、間違いなく恋心だ。

 しょっぱいけど、甘い。

 そんな、恋心なのだ。





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