07 この空は、この気持ちと繋がっている


 年越しは、ママと二人。居間のテレビから聞こえるカウントダウンを、蕎麦を茹でながら聞いていた。
 近くにお寺とか神社が無いから、何時も年越しはこう。パパはこんな日も仕事だ。
 背後から除夜の鐘が響いている。
「あけましておめでとうー」
 炬燵でまどろむママが叫んだ。
 調度出来上がった蕎麦を持って居間に入りながら、私も
「明けましておめでとうございます」
 と返した。
 蕎麦を啜りながら、暫く無言でテレビを眺めていたら携帯が何度か着信した。
 あけおめメールというやつだ。
 新年になると大量に送られるメールに携帯会社は規制をかけているらしいけど、お構いなく届く。菜穂に羽田に真知子、中学の頃の友達からも来ている。
 皆すごく凝ったデコレーションメールだ。デズニーキャラだったり、動く文字だったり、兎に角色鮮やかで可愛らしい。こういうのもサイトからダウンロードが出来るらしいけど、私は至ってシンプルに。一応何時もと違う所としては、デコ絵文字をふんだんに使って返信した。
 結構な時間を有して、途中からは同胞メールで返してしまった。
 そうやって何度かメールの遣り取りをしている間に深夜二時を回る。
 ……高橋にメールを送るかは、随分迷った末。
 年明けてすぐにメールを送るなんて、私のキャラじゃない。既にメールをくれた佐久間君と違って高橋は新年メールなんてくれる奴じゃないし、送ったとしてもすぐに返信してくれる気もしない。だけど、乙女の心理としては、やっぱり特別な相手は他と区別したい。
 本文も素っ気無くなり過ぎないように、とか。可愛くなり過ぎない様に、とか。悩みに悩んだ末、それとなくデコレーションして。でも意識されないように佐久間君と同胞にして。
 ――なんて事を考えた結果の返信は、予想通りすぐには来なかった。
 雪と一緒に初詣に神社へ行く予定がお昼頃にあったから、起きたのが八時。高橋から返事が来たのが、家を出る直前の十一時だった。
 菜穂から何時ものメンバー(最近で言う所の)で一緒に行かないかという誘いもあったのだけれど、羽田と高塚君は祖父母の家へ行っていて近場に居ないし、真知子は海外で年越しというリッチさだし、日向君は彼女とデート。高橋も高橋で予定があるという事で、カップルに混じるのも気が引けた。菜穂とは三日に遊ぶ予定もあったし、毎年神社へ詣でるのは雪と一緒だったから、今年も雪と二人で行く事にした。
 どうせ界隈で神社と行ったら三駅先の所と大概決まっていたから、運が良ければ会えるだろう。
 毎年恒例となった着物を母親に着せてもらい、雪が来るなり家を出た。
 こんな時にしか着る機会の無い着物は、もう四年目だというのに、雪は私の着物姿を見る度「綺麗ー」と、言いながら口元を緩める。
 本人に言うと傷付くだろうから言わないけれど、そう言う雪も可愛い。くりくりしたアーモンド型の瞳を縁取る睫毛は、髪の毛と同じ栗色で、全体的に色素が薄いからどうしても女性的な面が目立ってしまう。高校生になって骨格がしっかりし始めたからか薄着だとそこまででは無いのだけれど、冬場はそんな体格も隠れてしまい、ボーイッシュな女の子にしか見えない。
 一度雪に着物を着せてみたいものだ、と秘かに思っているのは内緒だ。
 兎に角もラフな服装の雪と連れ立って神社へ向かったものの、例年に漏れず神社への道のりは人、人、人。満員電車に揺られる事十分、着いた先に出店なんかが暖簾を連ねているから、更に混雑していた。
 とてもじゃないが待ち合わせも無く友人と鉢合わせるなんて難しいような状態だった。
「理子ちゃん、お昼食べた?」
「まだー。朝食べたっきり。どうせ今年も屋台で買うだろうと思って」
 雪もでしょ? と聞くと、形のいい頭がこくりと頷く。
「何食べる?」
「イカ焼き!」
 お参りの前に早くも料理に目を引かれていた私は、当然と答えて雪を促した。器用に人波を避けていく私の後を、文句も無く追ってくる雪。
 隣の屋台で牛筋肉を買った雪と並んで、ゆっくりと流れに身を任せる。
「理子ちゃん一口」
「ん」
 その合間に雪が差し出してきた肉とクロスするようにイカ焼きを差し出し、お互い相手の手から串の先っぽを咥え取る。
「おいし」
 歩きながらの所為かぶれた雪の手元。頬についたタレを舌先で舐め取る。
 普段から早食い王と言われる私は噛み切りにくい筈のイカ焼きも早々と食し終え、まだ隣で串焼きを頬張っている雪を尻目に次の獲物を物色し始める。
 たこ焼き、広島焼き、ジャガバターに焼きソバ、がっつり食べれる物ばかりに目が行く。
 小学生の頃は両親に連れられて来ていたけど、兄貴の影響かその頃は射的等にばかりに夢中になっていた。
 子供達の群がるそれらの屋台を懐かしむように見つめていたら、ふいに隣から雪の姿が消えていた。
「あれ?」
 と振り向くと、五メートルばかり後ろに、反対方向へと連れ去られるように後歩きしていく雪が見えた。どうにかして人垣から抜けようともがいている素振りを見せるが、まったく意味が無い。
 困ったように柳眉を寄せている顔が遠ざかる。
 私は慌てて反転して、雪へと近付いていく。
 これぐらいの人波を泳げないようでは、雪は都会になんて絶対行けないと思う。
 何時までも弟のように目の離せない存在、それが私の中の雪だ。昔よりよっぽどしっかりして、自己主張も出来ないような性格と姿をしていても、立派に生徒会長なんてものも勤め上げたのも知りながら、どうしても昔の印象というのは拭えない。
「何してんのよ」
 呆れ顔になりながらも苦笑して、雪の肩をぐいと引っ張ると、彼はほっとしたように大袈裟に顔を緩めた。
「ごめんね」
 なんておっとりと言われてしまうと、文句も叱責も出て来ない。少しは男らしくならないといざというとき好きな女の子も守れないぞ、等と思いながらも、しょうがないなぁで許してしまう。
「ほら、手」
 でもそんな頼りなさが、可愛い所だ。小さい頃は何時だって私の背に隠れているような泣き虫だった彼が思い出されて、私は雪の右手を取って。
「はぐれないようにね」
なんてお姉さんぶった言い方をしながら、雪の手を左手で握りこんだ。
 雪はその手をはにかみながら握り返してくる。
 これは高校生男児の反応としてどうなのだろう、と心中で小首を捻りながらも、私達はやっとお参りをするべく境内へ向かう事にした。

”ご縁があるように”などという理由では無いけれど、結局何時もの習慣で五円玉をお賽銭箱に投げ入れ、手を打って離れる。
 ふう、と一息入れて着物は相変わらず窮屈だなと思いながら、続いておみくじ売り場へ歩いて行く。
 雪は小吉。
「可も無く不可も無く。恋愛運、現状維持」
 律儀に内容を教えてくれる雪は、早速枝におみくじを巻きつけている。
 私は吉。こちらも微妙だ。大吉でないのなら、いっそ大凶とかの方が清々しくて良いと思うんだけれど。
 これと言って特徴の無い内容のそれを、雪に倣って枝に巻く事にする。
 元々占いとかおみくじとかそういったものに興味が無い。どんな結果になっても「あっそ」程度のものだけれど、どうしても正月という空気におみくじを引かなくちゃという気分が生まれるもので。
 対して雪はおみくじの結果に納得がいかないのか、表情を曇らせていた。
「何気にしてんの」
「だって……」
 一仕事終えたとばかりにまた屋台の波に流されようとしていた私は、一向に歩き出そうとしない雪を返り見た。
 明るい色の瞳が、今は翳りを見せて下を向いている。
 拗ねているようにも見えるし、落ち込んでいるようにも見える。軽く突き出た唇が幼い。
「いちいち落ち込まないの、たかが御神籤……っていう言い方はアレだけどさ。そんなものに左右されてないで。これから1年自分にいい方向に持ってこうとしないでどうすんの」
 慰める為に頭の上に手を置いた。柔らかい猫っ毛が気持ち良くて、がしがしと撫で回してしまう。
 それを振り払うでもなく享受している雪は、物分りの良い軒先の猫のようだ。
 ちろりと上向いた瞳が、まだ納得していないと告げてはいるものの。
「そんな雪には、お姉さんが何か奢ってあげよう!」
 いちいち反応が素直に可愛くて、思わず私の口元も綻んだ。
「え?」
「何でも一つ買ってあげる。ね?」
「……えぇ?」
「ほら、そしたら年始からいい事一つ出来上がり」
 途端に、雪が噴出した。
 完全な子供扱いにも嫌な顔一つしない。弾けるように笑い出す雪が、「はぁい」と甘ったるく返事をした。
「じゃ、ほら。行こう」
 機嫌が直ったなら、早速屋台だ。再び雪の手を握った。

「理子ちゃんって、本当前向きだよね……」
 たこ焼きを頬張っている私の隣で、左手にフランクフルトを握った雪が唐突に言い出した。ちなみにそのフランクフルトも私用だ。
「能天気って事?」
 言われた言葉に私は眉間を歪める。というのも、兄貴に散々「能天気」と言われて育った過去があるからだ。容姿以外の事で直接的に褒めたり貶されるという事はあまり経験が無い。
「違うよー。能天気っていうのは考え足らずな感じだけど、理子ちゃんのはこう、一本芯が入っていて。ちゃんと裏づけのある、信念がある言葉なんだよね」
「そう?」
 うんうん頷いている雪を横目で見る。
「理子ちゃんって昔からそうだよ。何言うでもそこにある意志がブレないから、言われた方は太刀打ち出来ずに納得するか、勝てないのに反発しちゃう」
「別に勝負してないけど」
「あはは。でも、どの言葉も常に前を向いているから、僕もそれにつられて。さっきも、おみくじにすっごい沈んだんだけど、今は気にならないし。リンゴ飴も奢ってもらえたし」
 たかが五百円のリンゴ飴なんか、高校生にもなれば自分で買えてしまう安いものなのだけれど。ありがとう、とにこりと微笑む雪がとても嬉しそうなので、何だか背中がむず痒くなってしまう。
 手が空いていたら多分背中を掻き毟っただろうが、残念な事に両手は塞がっている。
 引き攣った私の顔に気付かないのか、雪はにこにこと笑ったまま。
「あ、僕トイレ」
 等と言って、私を引きずり出した。

 長い行列になった神社のトイレの近くで雪を待ちながら、私は小さく溜息をついた。
 食べ過ぎたせいもあるが、着物の帯に腹を圧迫されて苦しい。
 階段の一番上、邪魔にならないよう端の方に腰を掛けてみる。屋台の方向と反対になっているから、こちら側を通る人はあまり居ず、同じように人待ちの人間くらいしか近くに居ない。階段を椅子にして購入した食べ物を食べるにしても、トイレから近いのでそういう人もあまり居ない。
 ふ、ともう一度、小さく息を吐き出した。
 白い吐息が目の前で霧散していく。
 雪や、菜穂、という奴らは、どうにも私を買い被りすぎのように思う。二人にとってはいずれもイジメから自分を守ってくれた救世主というイメージが根強く、何をするでも言うでも、正しいのが当たり前、強いのは当然と受け止められてしまう。苦悩する事が無い、とまで神がかりな崇拝は受けていないと思うが、いずれにせよ全部自分の中で解決できてしまうと思われている。
 二人はなんとも簡単にハードルを上げてくれる。
 雪の前では泣く姿だって何度も見せているのに。雪の前でだけは、弱音だって吐くのに。
 ああ、でもそもそも。それだって本当に自分の中で嚥下出来ない時だけで、中々人に頼らない姿が強いと見えてしまうのだろうか。
 色んな面で強がってしまうから、そう見えてしまうのだろうか。
 他意も無く、純粋に褒めてくれた雪の言葉を、こんな風に穿って考えてしまうのは、何故なのだろう。
 人の言葉を素直に受け止められないのは、私の悪い癖だ。
 いい意味で言われれば芯が通っているらしい私の意見なんて、実は頑なに自分の意見を曲げられないからこそで。心の中では何時だって気持ちはぐらついているんだ。
 それこそ、見上げれば高く広がるこの空のように。曇ったり晴れたり忙しいというのに。
 ああ、そういえば。人の気持ちと空って本当に似ている。突然の浮き沈みと一緒、切欠も無く思える程、簡単に変わる。
 今だって、この空は。
 まるで私の気持ちと繋がっているようだ。
 家を出た頃は雲一つ無い青空だったのに、今は薄っすらと雲が広がって、時々太陽の光を遮断する。
 知らず吐き出した白い息が、また大気に溶けた。

 それから出店をもう一巡して、私達は帰路に着いた。
 一度沈んだ心も単純なもので、美味しい食事を舌で味わっている内に天空の空と一緒に澄み出した。
 取りとめの無い悩みさえ馬鹿らしいなと思えて、そうすると単純な自分の思考が、兄貴の言っているように能天気としか思えなくて釈然としなかったけれど。
 結局、まあいいかで落ち着いた所を見ると完全には否定できない。
 人の気持ちなんてそんなものだ。

 雪と共に取り留めの無い会話をしながら、ホームで電車を待っていた時だった。
 この目は、本当に。
 どうして見つけようと思った友人には出会えもしなかったのに。無意識でもそいつだけは見止めてしまうのだろう。
 吐き慣れない下駄に親指と人差し指の間は擦れてきていたし、棒のようになって歩き疲れた足の方にほとんどの意識は集中していたのに。
 向かいのホームで同じように電車を待つそいつの姿だけは、自然に見つける事が出来てしまう。
 電車を待つ人の群の中。けして目立つ服装なんてしてない。ネイビーのジーンズに黒いダウンコート。ポケットに両手を突っ込み、並びの先頭に立っているのは高橋だった。
 私はと言えば列の中頃。完全に人の中に埋もれているから、高橋からは見えないだろうと思う。
 それなのにささっと髪型をチェックしてしまうのが何とも馬鹿らしい。
 声なんて掛けようもない。目なんて合う筈も無い。
 高橋の方は、こっちに気付いてない。
 それなのに早鐘を打つ心臓が、見っとも無くて。
 でも、次の瞬間には。
 別の意味で心臓が鈍く痛んだ。脳が揺れるような衝撃を伴って、ホームに滑り込んだ電車のブレーキ音が耳を劈いた。

 高橋は、一人じゃなかった。
 隣には、遠目だからそれ程には分からなかったけど、でも、可愛い女の子。白いダッフルコートから伸びるすらっとした足。薄い色のジーンズを黒のニーハイブーツに入れた井出立ちで、軽く巻いた金髪の頭にニット帽を被った、女性。顔は見えない。でも、仲良く並んで笑っていた。
 眼前には駅に止まった、乗るべく電車。降りる人と乗る人でごった返す。
 だから今は、二人の姿は見えない。
 でも、二人が連れだっていうのは、分かってしまった。だって女性は、高橋の腕に自分の手を絡めていたから。
 口に出すのも、思うのも躊躇われるけど。
(居ないんじゃなかったの)
 惚けた私の手を、握ったままの雪がぐいと引っ張る感触。
(興味ないんじゃ、)
 促されるまま電車に乗り込んでも、目に焼きついた二人組みは消えてくれなかった。

 その後、電車の中での雪の話は申し訳ないけれどまったく頭に入って来ず、私はただ「うん」と頷いて適当に相槌を打つことしか出来なかった。
 十分の道のりでどうにか意識を再浮上させて、降車駅に着いた頃には何とか
「疲れちゃった」
と、取り繕う事は出来た。
 雪の為に御節を作ると張り切っていたママが待っている家に、二人で帰る。
 その道すがら見上げた空は、また泣き出しそうな曇天に切り替わっていた。

 まるで私の気持ちと繋がっているみたいな空に、無性に腹が立った――。





BACK  TOP  NEXT



Copyright(c)09/06/23. nachi All rights reserved.