06 キスと毒薬
わたくしの愛した殿方がお亡くなりになったのは、雷雨の夜でした。
その日わたくしは家を訪ねてくると約束した彼を、今か今かと待っていました。激しく鳴る雷の音に身体を縮こまらせては、約束の時間になってもやって来ない彼を、不安な想いで待っていました。
ぬかるんだ道に足を取られてはいまいか、視界の悪い中事故にでもあってやしまいか、彼の身を案じながら、夜が更けていくのを感じていました。
眠れぬ夜を過ごした翌日は、前日の雨が嘘のように雲一つ無い青空。清々しい朝の空気はわたくしの気分を少しだけ慰めてくれました。
けれど、それもほんの少しの間だけの事。
屋敷の戸口が俄かに慌しくなり、わたくしも不思議に思って部屋から顔を出したのです。
階下からやってきた女中が私の顔を見るなり、泣き出しそうに表情を歪めました。
「お嬢様っ!!」
労わるような彼女の手がわたくしを抱きしめました。
――あとに続いた言葉は、まるで前日の雷のように、わたくしの心に落ちました。
彼がお亡くなりになって嘆く間もなく、わたくしは別の男の下に嫁ぐ事になりました。
お家柄は彼の家と等しく、わたくしの実家にとってはさして変わる事では無かったのでしょう。
それでもわたくしの父上は、涙にくれるわたくしを気にもとめませんでした。所詮父上にとってわたくしは政略的な駒の一つ。わたくしが何処の誰に嫁ごうと、自分に都合がよければそれでよろしいのです。
けれどわたくしにとっては、違いました。わたくしのただ一人の人、とお決めして、生涯愛しぬくと誓った彼以外に、どうして嫁いでいけましょう。
ましてその方が、彼を殺したのだと噂される相手であって。
勿論、証拠が無いからこそ、男は今も日の中を歩く事が許されているのです。
けれど彼と男との不仲は昔からのもので、男が彼を目の敵にしていたのも周知の事でした。当日彼と男が言い争いをしていたという事実もございましたし、崖を転げ落ちた彼の馬車には細工がされており、彼が馬車に乗る数分前にその馬車の付近に男を見たというお話もございました。
それでも男には確かなアリバイがあり、結局何の証拠も無かったのです。
けれどわたくしには、それで十分でした。
わたくしは憎む相手に嫁ぎました。
そして、その時にはもう、心は決まっていたのでございます。
荘厳な教会での結婚式。
素晴らしく細かい装飾の施されたドレス。
美しい聖歌。
かけられる祝いの言葉。
そのどれも、わたくしの心を揺らしませんでした。
色褪せた視界の中、わたくしの横に立つ新郎の顔など、その最たるものでございました。
どれだけ、わたくしがこの時を待った事でしょう。
この日、この時を、待ちわびていました。何よりも、誰よりも、この、終わりの日を。
神様の御前で、わたくしは、どれだけ罰当たりか知れません。
けれども、どうか、お許し下さい。
誓いのキスは、ただ一人、あの方に捧げましょう。
わたくしが今、新郎と交わすのは、そんなに美しいものではありません。
口付けながらわたくしは、男の口内にソレを注ぎ込みました。
驚いた男の顔を、はじめて見た気が致します。
男の喉が大きく動き、ソレを飲み込んだのを認識しました。
ああ、神様。
罪深きわたくしをどうぞお許しになって。
そして願わくばわたくしを、彼の元にお連れ下さい。
男が斃れる姿を見る事は叶いませんでした。
何故って私の身に毒が回る方が早いのですから。
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title by 悪魔とワルツを - 式神の葬列
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