09 泣き喚いてひとつ大人になる
「祝福してくれ」
――なんて。
私の声が詰まった事になんて、私の表情が凍りついた事になんて、全く気付かない。
「結婚をする」
と。
寝耳に水、とは言わない。
五つ年上の幼馴染は、もうそろそろ四年も付き合おうかという彼女が居て、本人も社会人になって数年が経とうとしていた。
時々隣家に遊びに来る彼女とは、幼馴染の私だって顔馴染み。優しくて綺麗で、非の打ち所の無い、ライバルの私だって両手を上げて降参しちゃうような人。
予想が出来ていなかったとは、言わないのだ。
予想していなかったのは――その言葉を、笑顔の幼馴染に言われて、酷く傷付いている自分自身だ。
今更気付くなんて、馬鹿げてる。
この、何とも言えないタイミング。
これは、恋だったのか。
自覚は一瞬、疑問と共に心に浮かんだ。
目頭が熱くなって、その事に自分自身で驚く。
視界が滲む。笑顔の幼馴染が、霞む。
泣くな、泣くな。
――笑え。
「おめでとう」
――と。私はちゃんと、笑って言えただろうか。
晴れ渡った結婚式当日。
当然のように親類席に設けられた自分の席が、笑える。ただの隣家の幼馴染である自分が、家族同然と扱われる――その事は、嬉しいのだ。高校受験の時には家庭教師をしてもらい、両親が遅いような日には一緒に食卓を囲んだ――そんな風に、私は彼の妹も同じだった。
異存なんて、無いのだ。
その事を喜ぶ私が居たのも事実なのだから。
この日の為に母親が買ってくれた、綺麗目のワンピースを、幼馴染は絶賛してくれた。可愛い、可愛いと頭を撫でる、完全な子ども扱いで。
そうして新婦を見た時は、思わず声を失う程に見惚れて、真っ赤になって。蕩けるようにただ、微笑んだ。
その違いを目の当たりにしても、私は笑うしかない。からかい混じりに幼馴染を揶揄して、ちょっとした笑いを取って、雰囲気を和やかにしてみたって。
惨めささえ浮かぶ余地も無い完全な敗北と、戦う暇も無く宙ぶらりんになった私の恋心とが、どんなにか心を痛ませたって、私は。
投げ渡されたブーケに、「次の花嫁だ!」なんて囃し立てられたって、「相手が居ません!」なんておどけて見せたって。
喜べもしない、楽しめもしない、祝えもしない。
自分がどうしてこの場に立って、笑っているのかさえ、不思議になってしまう。
例えば、あの幼馴染の新郎の隣に立つ、美しい花嫁が、自分だったら――?
想像すら出来ないのに、夢想する。
純白のウェディングドレスを着て、幸せそうに目配せを交わす、その片方が、自分であったなら――?
考えればその分、虚しいだけだ。
お化粧室に向かうフリをして、楽しげな輪の中から抜け出す。
抱えたブーケを持つ手が、ともすればそれを叩き落しそうになる。
何の権利も無いのに、この結婚式をぶち壊してやりたいような、暗い気持ちさえ浮かぶ。
式場の廊下を早足で進んで、進んで、結局何所に行く事も出来ないまま、近くにあったベンチに掛けた。
白い壁に背をもたせ、結局手放せないままの花束を脇に置く。
じわ、と目尻に涙が沸く。
幾度ものおめでとう、を聞きながら。何度ものおめでとう、を言いながら。
ちゃんと笑えているか、だけが気になって。
涙が零れ落ちないように顔を上げて、瞬きさえ恐れて目を見開く。
鼻を啜る。
泣くな、泣くなと言い聞かせて、言い聞かせた分だけ辛くなる。
唇をかんで、嗚咽を噛み殺す。
これは、嬉し涙だ。大好きな幼馴染の結婚が、嬉しくて。
そんな言い訳が、何の意味も無い事を知っているけれど。
大声を上げて泣けたら。
嫌だ、と。
結婚しないで、と。
そんな風に見っとも無く、彼を困らせるだけだと知っていても、泣けたら。
喚いて縋って、好きだと叫んで――意味も無いと、どうにもならないと分かっていても。
そんな子供染みた、馬鹿な真似が出来たら、自分は楽になるだろうか。
自問自答して、答えはすぐに出る。
頬を伝って顎に辿り着いた幾つもの滴が、降ろし立てのドレスに落ちていく。
泣き喚いて彼を困らせる事は出来っこない。
哀しそうな彼なんて、見たくない。
分かりきった答えに、私は手の甲で涙を拭った。
軽く深呼吸して、最後にもう一度鼻を啜って。
――笑え。
そう、自分に言い聞かす。
←
title by 悪魔とワルツを - 曖昧な関係の温い心地良さ
Copyright(c)2014/10/03. nachi All rights reserved.