11 子供扱いにはもううんざり


「もう、うんざりよ」

 と。
 君が長い髪を梳きながら、物憂げに呟いた。
 僕が返事を出来ずに見つめていると、焦れたようにもう一度。
「子供扱いにはもううんざり」
 今度は真っ直ぐに僕の目を見つめ返す君。
 汚れを知らない澄んだ瞳の中、困ったように曖昧に笑む僕が映っている。
 自分のテリトリーなのに居心地悪く、大きな身体を縮こまらせるような見っとも無い姿――よっぽど、僕の方が子供かもしれない。
 こんな時に、かける言葉の一つも思い浮かばないなんて。

 君と知り合ったのは二年前。桜の咲く季節だった。
 澄ました顔で僕に自己紹介した君は、最後に可愛らしく笑った。その笑顔を、今も鮮明に覚えている。
 我の強い君だけど、それでも姐御肌で素直な所が誰彼に人気で。何時も輪の中心で笑っているような印象だった。
 一回りは年上の僕は。
 大人ぶっているつもりは無いけれど、君の事を見守っているような心積もりでいた事は否定出来ない。
 だからと言って。
「あなたは料理も出来ないし、掃除も下手糞」
 僕が黙り込んでいるのをいい事に、君は次から次へと僕への不満を口にする。
「気も利かないし、思った事はすぐ顔に出るし」
 何度言っても脱いだ服を脱ぎっぱなしで放置する癖を殊更強く言われる。それは違う、すぐに片付けるつもりなのに、君の方が一瞬早いんだ――なんて、返せばきつく睨まれる。
「よっぽどあなたの方が子供なのに」
 玄関で靴を並べる事すら、箸をうまく持つ事すら、生徒を一つに纏める事すら。僕よりは自分の方がはるかに出来ると、主張する。
 それは、否定出来ないんだ。
「生まれたのが遅かっただけで、子供扱いされるなんて」
 髪を梳いていた手が、ふいに横に伸びる。
 今まで黙りこみ、隣で正座をしていた息子の肩を抱き寄せて、君が言った。
「もううんざりなの。別れて頂戴!!」
 この子は私が引き取るわ、と。
 黙ったままの僕の前で話はどんどん固まっていく。
 息子と一緒に実家へ帰るのだ、とか。養育費がどうたら、とか。
 どうして良いか分からず沈黙するばかりの僕とは違って、君は確かにひどく大人な物の考えをする。
 合理的だ。
 鮮やか過ぎる程の、僕達の別れ話。

 君の言葉を話し半分に聞きながら、僕は腕時計にちらりと目線を落とした。
 もうそろそろ、だ。

「だいたいあなたは!」
 そう君が叫んだのと、同時。


「ごめんなさい、遅くなっちゃって!」
 君にそっくりな顔をした女性が、窓を開けて叫んだ。スーツを着こなす綺麗なその女性に、まず。
「ママー!」
 部屋に残っていた僕と君、それから息子――その息子が走りよっていった。
 僕の傍らの君は、途中で話を中断させられた事がさぞ不満なのだろう。頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。
 その頭を軽く撫でてやると、君は僕のエプロンの端をぎゅっと握って。
「すみません、先生。子供達、迷惑をかけませんでした?」
 息子を抱き上げた後、女性は君をおいでと手招く。
「全然。何時も通り、しっかりしてましたよ二人とも」
 渋々と女性の方へ歩いていく君。背中に流れた長い黒髪が揺れる。
 園のピンク色の制服がくるりと反転して。
「ばいばい、先生」
「ばいばーい!」
「ありがとうございました」
 三人三様の別れの挨拶に、手を振って答える。
「また、明日」

 大人びた妻の演技を終えた君は、既におままごとの事なんて忘れて。
 母親に手を引かれて、嬉しそうに帰っていく。
 母親に抱かれた弟を軽く小突きながら、もう振り返ることも無く、闇の中に消えていく。

「また明日」

 僕はその姿を最後まで見送りながら、小さく、呟いた。








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