サイトのカウンター50万hitを記念した、小話です。
2011/05/28 - 06/30 に開催した第一回キャラ投票に頂いたコメントから派生しました。

>> 神田 花
電車で年上のお姉さんとオトモダチになるなんて、なかなか侮れないと思います。

 あの日の花クン


 毎朝、部活の朝練に向かう電車は始発に近い。別段強豪、というわけでも、真面目に取り組んでいる、という部活動でも無いけれど、所属しているサッカー部は年功序列というやつだけは厳しい所だった。つまり、下級生が上級生より遅く通学するわけにはいかなかったのだ。
 自分達が最上級生になった暁にはそんな規則は撤廃してやろうと心に決めていたが、一学年の終了時期が迫っていたこの頃は、自分達にそんな権利はなかった。
 だからチームメイトは愚痴を口にしながらも、皆が始発に近い時間に電車に乗って学校へ向かっていたのだった。
 僕、はと言えば、同じように眠気眼を擦りながらではあったけど、そこまで不満を感じるわけでも無く、通学していた。
 その理由が、毎朝のように同じ電車の車両に乗っていた女性にあるのだから、何というか、あまり胸を張れない理由だけど。
 恋人になりたい、とか、お近づきになりたい、とか、そんな大それた願いを持っていたわけではけしてない。ただ、毎朝隙の無い立ち姿で電車を待っている彼女を見ると、今日も頑張ろう、というヤル気が湧いてくるのだ。
 彼女は何時も、完璧な化粧と似合いの服で、早朝だというのに眠気も感じさせない。草臥れたサラリーマンの中で、凛として存在していた。そんな彼女が目立たない筈が無いだろう。
 最初は何となく、綺麗な人がいるなぁ……程度。それが一度そうと認識してしまえば、毎回のように目がいく。何となく目が追ってしまう。
 そういう日々を繰り返し、今ではもう、ホームでは必ず彼女を探してしまうし、僕の降車駅では階段から遠いというのに、同じ車両に乗り込んで、彼女の近くをキープしてしまう。そうして堂々と、本を読んだり仕事だと思われる書類を眺めている彼女を盗み見て、弾んだ気持ちで登校するというわけだった。

 この日も、彼女は朝から好きの無い出で立ちでホームで電車を待っていた。僕は何人かを間に挟んで、彼女の後ろに並ぶ。
 ホームに滑り込んだ電車に乗り込んで、座席を確保していく人々を尻目に、ドア付近へと定着する。この場所からの方が、彼女をじっくり観察出来るのだ。
 けれど出発前に乗り込んで来た団体のせいで、定位置を離れるしかなくなった。
 登山でもしようと言うのか、リュックサックを背負った年配の集団は、空いてる席を埋め、そして残りが路線図をチェックするようにドアの近辺に固まってしまったのだ。
 何となく流れで、その場に留まり続ける事が難しかった。
 だから、というわけでは無いが、この日初めて、僕は座る彼女の前をゲットした。
 吊革を握り、上から彼女を見下ろす。じっと見つめていてはおかしい、そう思うのに、どうしても目が離せない。
 綺麗な人だと、改めて思う。
 クラスメートの誰とも違えば、新任だという若い女教師とも違う。
 少し勝気そうな印象の尖った目は、けれどそれを柔らげるかのように大きい。化粧の効果だけでは無い、長い睫毛。
 今日はどこか不機嫌そうに寄った眉。
 何度となく吐き出される溜息。
 バッグから携帯を探り当てた彼女が、液晶画面を見てぎょっとした。
 その一部始終を、無意識に眺めてしまう。
 呆気に取られたように固まる彼女の手から、携帯が滑り落ちる。
 カツン、と僕の足下に当たった携帯を、ゆっくりと拾い上げた。その段になっても、彼女は固まったまま。
 僕が無言で携帯を彼女の眼前に差し出すと、はっと目を見張って、
「あ、すみません」
 潜んだ声が、そんな風に告げた。
 いえ、と小さく返す事しか、僕には出来ない。もっと気の利いた事が言えないものか、気の利いた事とは果たして何か。そんな胸中を何とか必死に押し止めて、再び携帯に目を落とす彼女を見下ろす。
 一瞬だけ、見上げた大きな目。
 その目に、自分は一体どんな風に映っただろう。
 そんな疑問と、密かな期待を浮かべた自分を笑う声が脳内にこだまする。
 電車の同乗者。それだけだ。憧れの綺麗なお姉さん。
 相手にとっては、ただ前に立っている学生。
 お互いの認識の違いが笑える。
 彼女は携帯画面を見つめながら、表情をくるくる返る。むうっと眉を顰めたり、苛立ち気に唇を噛んだり、不思議そうに首を傾げたり。
 もう、僕の存在なんて、無いに等しい。
 それが、普通だ。
 どうこうなりたいわけじゃない。ただ、電車通学の小さな楽しみ。
 その筈なのに、一体何に落胆しているというのだろう。
 無理矢理目の前の彼女から視線を外した矢先。
「あれ?」
 存外大きな独り言が彼女の口から飛び出た。
 思わず彼女に視線を戻せば、あたふたと口を押さえた彼女がつ、と目線を上げた。
 しまった、と思う前に、繋がる視線。
「……」
 跳ねた心臓を、苦笑で誤魔化す。
 しかし笑ってみせたものの、彼女もまた彼女で、曖昧に瞬いただけ。
「どうか、したんですか」
 どうしていいのか分からなくて、思わず問い掛けてしまった。
 何を話しかけているのだ、と呆れたのは自分自身。
 変な高校生だ、と思われてやいないだろうか。彼女に、嫌な印象を与えてしまったんじゃないだろうか。
 見上げてくる瞳を見下ろしながら、自分の馬鹿な行動を悔やんだ。
 たった、数秒。――にも、満たないような時間。
 彼女は、バツが悪そうに微笑んだ。
「ごめん、独り言。何でも無いよ」

 電車に乗り合わせる綺麗なお姉さん、が、今野美咲という年上の友人になるのは、これから少し後の事。





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