pardon?

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『折り入ってお話しが…』
 そんな風に長井さんに切り出したのは、出勤してすぐの事。ロッカールームで化粧に勤しむ永井さんに、こっそり耳打ちすると、彼女は辺りを憚るあたしを見て、「ここじゃ駄目なの」と聞いてきた。
 それに頷けば、では外でランチでも取りながら、そんな話になった。
 ――のは良いんだけど。
 こちらが言い難い空気を殊更出していたというのに、いざランチに出掛ける際には、何故だか長井さんの他にもさおりや加奈子ちゃん、それに林さんや高橋さんまでが付いて来てしまった。
 いや、いずれ、皆様にも報告しなくちゃいけないとは思ってる。
 さおりには別途頼みたい事もあるわけで。
 しかし、しかしだ!!
「で、話って何?」
 綺麗な笑顔でコーヒーを啜る長井さんは、こちらの窺う視線をまるっと無視。
 心無しか楽しそうなのは気のせいでは無いですよね、長井さん!!!!
 興味津々な様子の林さん、テーブルに身を乗り出す高橋さん。
「えー何のお話なんですかぁ?」
と加奈子ちゃんが先を促す。
「えーと……その、ですねぇ……」
 居た堪れない。どうしてここに、当事者のあたしだけが居なきゃいけないんだ。どうしてあいつは居ないんだ――いや、居たら居たで面倒に違い無いんだけど。
 肉食系なんて言われていたのは遠い昔。化けの皮が剥がれた後のあたしなんて、チキンだ。こんな状況で話し出す度胸なんて持ち合わせていない。
 大体にして既に、もう何度と無く、打ち明けられずにここまできてしまった。
 時間の猶予は余りにも無い。ギリギリのラインに近い。
 水面下で進めて来た準備も、もう限界だ。ていうか、多分、長井さんは既にご存知なんだろう。
「……えーと、ですね」
 異様に緊張するあたしの隣で、高橋さんがジュースをずずっと啜った。
「あの、あのですね」
「長い」
「……え?」
 長井さんを呼ぶのとは違った発音で、林さんがあたしの言動を邪魔した。
「さっさと本題に入れよ」
 元来短気者の林さんは、そのお陰で仕事も早いんだけど、こう、感情の機微ってやつには疎い。
 先輩命令だ、なんてこんな時だけ取って付けたような大義名分を行使して、あたしの葛藤を一刀両断だ。
 あれ?
 この状況って、もしかしなくても、林さんもご存知ですか。そうですか。
 なら発信元は哲也なのだろう。あの人はなんだかんだと外堀を埋めてやがるのか、畜生。
 畜生!!
 その気持ちそのままに、半ばやけになってあたしは言った。
「結婚が決まりました!!」
「……」
一拍の沈黙。
「はぁあ!?」
「えええええ!!!」
の後の、絶叫は、さおりと加奈子ちゃん。
「誰の?」
 と小首を傾げる高橋さんは、お惚けが過ぎる。
「そのようね」
 と組んだ足を組み替えてみせる長井さんは、ちょっとだけ怒ったような顔。だけどあたしがその理由を問う前に、興奮気味のさおりと加奈子ちゃんが矢継ぎ早に質問を浴びせかけて来た。
「ちょ、待ってよ!? 結婚?」
「何時ですか? 加奈子も参加出来ますか??」
「この間、一緒に住むかも、って話しは聞いたけど!?」
「あの、そう、結婚。勿論、式にはみんな来て欲しいです。……あと、そうだね。同棲するかも? って話したよね」
「結婚って、哲也と今野が?」
 今更な疑問をぶつけてくる高橋さんは無視する事にして。
「……本当に?」
 困惑気味に問い掛けてくるさおりに、神妙な顔で頷いて。
 脱力する彼女を、申し訳ない気持ちで見つめてみる。両隣の長井さんと林さんの、にやにや笑いは極力視界に入れたくない。
「……こないだ、付き合い出したと思ったら……」
「恋人期間が短いだけでしょ。お互い、もう何もかも知ってるんだから、結婚したっておかしくないじゃない」
「いいなぁ、結婚」
 三者三様、女性の皆様のご意見を聞き流す。
 複雑な心境なのはお互い様だ。
 あたし自身、どうしてこうなったのか、ちょっと未だに頭が追いついて来て無い。
 思い出すのは、一月前の事。
 哲也と、恋人としてのお付き合いを始めて――あれよあれよという間に、まあ流されて色々こなしていく内に。
 最初の葛藤なんて何のその、迷いも困惑も、始めてみれば思った程の事も無く。
 あたしは、哲也の彼女というポジションを、その、まあ何だ――充分幸せだと感じていたりなんかしたわけだけど。
 順調なお付き合いが半年も続いて、会社から近い事もあって、毎日のように哲也の家で過ごすような状態だった、あの日。
 もういっその事、一緒に住んだ方が楽なんじゃないかという哲也の提案に、大して考えもせず、是と頷いた次の日。
 ダイニングテーブルの上に乗せられたのは、既に哲也の分は記入がされた婚姻届だった。
 仕事から一緒に帰宅して、徐に鞄から出された一枚の用紙。
 見慣れた哲也の字と、サイン。それから、赤い捺印。
「お前も書け」
と当然のように言われたが、プロポーズされた覚えは無かった。
 婚姻届を凝視して固まったあたしが言えたのは、「は?」という疑問だけ。
 ロマンチックな場所で素敵な言葉でプロポーズされたいなんて夢は無かったし、哲也相手でそれは恥ずかしい。
 だから、と言って。
 同棲通り越して、どうして結婚なんだ、という困惑だけを浮かべた顔で哲也を見ると、哲也は当たり前のように言った。
「どうせ結婚するんだから、一緒に住む機会に全部手続きした方が楽だろ」
 住所変更をするだけでも、会社や役所やカード会社諸々――まあ、手続きは色々ある。それ等をまた名前を変えた後にやるのは、お前も面倒だろう? そんな風に聞かれれば、それはそうだと頷ける。
 高校時代から両家は顔見知り、付き合った事すら大喜びされて、孫の顔が早く見たいなんて大乗り気な両親達に、今更何の問題も無い。
 哲也の方は最初から、『死が二人を分かつまで』を意識していたのだから、お互いの中でも『いずれ』が無かったわけでも無い。
 そんな風に説明されて、あたしも成程その通り、と何だかんだで署名捺印を済ませて。
 ――ああ、浮かれてたさ、何が悪い。
 いっそ現実感の無いまま、全ての準備を哲也が整えて、婚姻届は大安の日に出して、結婚式はこの式場、呼ぶのは誰々――そんな風にどんどんどんどん決まっていって。
 覚悟もままならないまま、今日に至って。
「まあ、おめでとう」
「お幸せにー!」
 お祝の言葉を頂いて、照れ笑い。
 いやまあ、戸惑いはまだ濃く残っておりますけれど、嬉しいは嬉しいし、幸せは幸せ、なのですよ、ええ。
「……ありがと」
「え、何? エイプリルフール? ドッキリ?」
 一人取り残された感のある高橋さんが、目の前の林さんに何度も何度も確認する声を聞きながら、あたしは緩む頬を隠す事が出来なかった。
「……マジで?」

 マジです。大マジです。






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