Really!? 04

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 賑やかな喧騒を背後に、ひどく仏頂面をした男が言った。
 突然現れるなり、というか、個室の引き戸を無遠慮に開けて、テーブルに片手を突いての一言。
「……で?」
 びっくりして固まるあたしを見る視線はどんどん鋭くなっていく。
「どういう事だ?」
 低い声が尋ねる。
「……あたしが聞きたいよ」
 あたしは何とか視線を哲也から外して、答えないさおりと長井さんを、動揺ばかりの視界に捉えた。
「おい、長井さん。どういう事だ?」
「やぁねえ〜ちょっとした、お茶目よぉー」
 哲也の肩に、長井さんは綺麗な指先を乗せる。それをすぐに払って、哲也はあたしのおしぼりで手を拭いた。どんな拒否反応なんだ。
「誰が酔って、ベロベロだって?」
「わ・た・しー」
「……美咲が、どうしたって?」
「私は、今野が大変ってメールしただけー」
 長井さんが、弾んだ声で笑う。合間合間に並んだ皿から料理を口に運んでいる彼女は、剣呑な態度の哲也に脅えた様子も無い。
 えーっと。哲也が次に向けた視線を追って、あたしもさおりを見る。
「私は、聞かれたからこの場所を教えただけですけど?」
 さおりは酔いにほんのりと頬を染めながらも、飄々と答えている。
 この段になって、やっとあたしは状況を理解した。つまり、長井さんとさおりが結託して、哲也を呼び出したのだ。しかも、あたしが酔っ払った、なんて理由をつけて。
 仕事の途中だったのか、仕事帰りだったのか、スーツ姿のまま。哲也は家に帰るとすぐに着替える人なので、家に居たわけでは無いのだろう。
 それが、あたしが酔っ払った、という理由だけで、わざわざ来たというのか。
 項の毛が逆立つような、奇妙な歯がゆさが沸く。
「……あんた、何でそんな馬鹿な話信じちゃったの? あたし、今まで酔って潰れた事無いでしょうが」
 呆れ返ったような声になったのは、無意識だ。途端、哲也はバツが悪そうな顔になる。
「……お前の携帯繋がんねぇし、万が一って事があるじゃねぇか」
 万が一って、急性アルコール中毒とか? そんなもん、哲也が来たってどうにもならない。
「ヒュー♪ 大事なお姫様が心配なのねぇん」
 酔った長井さんの突っ込みは、面倒臭い。そうか、こんな風に絡む可能性もあったかもしれない。
 何がおかしいのかケラケラ笑っている長井さんを見ながら、溜息。
「……酔って始末が置けないのは、長井さんよ」
「酔って、まっせーん!」
 ――酔ってるじゃないか、完全に。何時ものキャラも崩壊してるじゃないか、長井さん。
 長い髪を一房指に巻きつけて遊んでいる、普段見れない長井さんを新鮮だなんて思う気持ちはとうに無い。
「……で? 俺にどうしろって?」
 哲也も相手に疲れたのか、早くも話を畳み始めた。
「送って!」
「……俺の車、二人乗りって知ってる?」
 ハイハーイ、と元気に手を挙げる長井さんの横で、何故だかさおりは頷きながら哲也を見上げているが、一体何に同意してるんだろうか。
 そうして長井さんは、あっさりと、先の台詞を覆す。
「ああ、いいのいいの、大丈夫。私とさおりはタクシー呼ぶから」
「「……はぁ!?」」
 揃ったのは、あたしと哲也の声だ。
 長井さんはいそいそと鞄を漁って、取り出したグッチの長財布から万札を取り出すと、それを机の上に乗せた。多分三人で割ったら、そんな料金にはならない筈だけど、そう突っ込む気力は無い。
 呆けたあたしの前で、長井さんは帰り支度を始めてしまう。
「そういう事だから、坂入君は今野を送って? 送り狼になってもいいのよ?」
 コートを着込みつつ、チロリと哲也を見上げる。哲也はやはり、無表情のままだ。いや、大分キレてる。冷気を迸せながらの哲也が低く吐き出す。
「長井さん?」
「冗談よ」
 またしても、長井さんはあっさりと言葉を覆した。
「……何のつもりだ」
「別に?」
 哲也の眼光は鋭く、それに射すくめられれば男でも泣きそうになるぐらいなのに、長井さんは綺麗な笑顔で受け止めている。
 あたしはどうしていいのか分からなくて、二人のやり取りを呆気に取られて見ているだけ。
 はい、邪魔よ邪魔、と言いながら、通路に立ったままの哲也の横をするりと抜け、今度はあたしに向き直ったその時には、さおりの帰り支度まで終わっていた。
「いい、今野。今日私が言った事実行するかどうかはあんたの自由だけど、あんたは頑固すぎ。ちゃんとあんたの気持ちに向き合ってみなさいよ、そこで、ね。じゃ、行こうかさおり?」
 そこで、と哲也の方を指差して、翻る長井さんの背を、さおりが追う。
「はーい。で、どこに?」
「決まってんでしょ、あんたにも素敵な彼氏見つけてあげないとねぇ?」
「わーい!」
 ――なんて二人の声が聞こえなくなるまで、あたしは固まったままだった。
 え、どういう事? あたしだけ置いてけぼり?
 哲也はあたしには既に見えなくなった二人を、最後まで見送ったようだった。
 小さく舌打すると、今の今まで長井さんとさおりが座っていた対面の席に座りながら、ネクタイを緩める。
「………結局何なんだ?」
 聞かれても、困ってしまう。
「知らない」
 素直に答えれば、肩を竦める哲也。どかっと背凭れに身体を預ける哲也は、どこかしら疲れているようだ。でもそれがこの状況からなのか、仕事疲れなのかは分からない。
 聞く暇も無く別の質問を投げ掛けられ、問うタイミングを逃してしまった。
「あれ、何の話?」
「……別に?」
 答えたくない事はすっ呆けるに限る。
「実行するって、何を?」
「何でもありません」
 哲也の視線を感じながらも無視して、残っていた料理をやっつけにかかる。すると哲也も「ふーん」とどうでもいいような相槌を返すだけだった。
「で、どうする? もう帰るなら送るけど」
 あたしが間食した頃合を見て、哲也が言う。
「え、いいよ。まだ終電あるし」
「つーか、ここまで来た俺を無駄骨にするなよ」
「ああ、そうか。じゃあ送ってもらう。悪いね」
 それもそうか、と思って、ご厚意に甘えます、と呟いたら、「思ってもねぇだろ」と何時も通りに哲也が悪態をつくので、あたしの顔は思わず綻んだ。



 哲也の車で送ってもらう間、あたし達は適当な会話を繋げていた。仕事の話だったり、趣味の話しだったり、時々落ちる沈黙にも、もう慣れたもので。
 哲也の愛車は、仄かな煙草の匂いがするけれど、それすら乗り慣れたあたしには苦でも無くて。
 時々心地良い空間に眠気を誘われながら、家へはすぐに辿り着いた。
 降り様、思い出したのは何故か長井さんの言葉。
 彼女の言葉を実行する気なんて勿論無くて、あったとしても実家に上げるわけにもいかないけど――何となく、シートベルトを外しながら考えた。
「……哲也、ちょっと手貸してくんない?」
「……は?」
「手」
 こちらが手を差し伸べると、躊躇い無く掌に乗せられる哲也の手。骨ばった手を握って、緩めて、また握る。
「……うん」
 哲也は黙ったままあたしの行動を見ていたけど、手を離すと訝しげに問い掛けてきた。
「何なんだ?」
「いや、ドキドキとかしないなと思って」
 感想を改めて口にすれば、そうなんだよなぁと思ってしまう。
 そうなんだよ。別に哲也に触ったって、何とも思わない。
 胸も躍らないし、もっと触っていたい、とも思わない。
 やっぱり、歴代の彼氏に抱いたような感情は沸いてこないのだ。それって、やっぱり、つまり、そういう事。
 多分、哲也にも伝わったのだろう。歪んだ口元は嘲笑を浮かべ、少し、翳った。
「ムカつく」
 言ったと思ったら、今度は哲也の方が、離した手を繋いで来た。
 ――けれど。
「ちょっと!」
 それは、握るだけで終わらなかった。というか、哲也はあたしの手を引き寄せると、あろう事か、その手の甲に噛み付いたのだ。
 痛みと、驚きに、上げた批難の声は、それ以上続かなかった。
 怒るような、それでいて、どこか愉しそうに細まる哲也の目は、何時かのように獰猛な光を瞬かせて、その視線に言葉と息を詰まらせてしまう。
「心拍数上がっただろ」
 ――それは意味が違うだろって、叫ぶ声は近づいた哲也の唇に飲み込まれた。





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