ぶっちゃける男 02

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 何かもう突っ込むのも馬鹿らしくなって、あたしは哲也にも負けず劣らぬ不機嫌顔で視線をやつから外した。
 その態度が気に食わなかったのだろう。低い声が聞こえてくる。
「何か、言えよ」
「……何かってぇ?」
 ほんと、もうね。いい加減にして欲しいのだ。
 哲也と一緒にいる時間は、何時も楽しいものだった。嫌味の多くてすぐ手の出る、上司としては最悪な男でも、高校時代から何かと馬が合った。社会人になって疎遠になる事も無く、気付けば付き合いも十年を超えて。
 あたしは、哲也を親友だと思ってきた。
 これからも、一番大事な友人だと思っている。
 哲也は長い沈黙を寄越した後、小さく舌打をして席を立つ。
「分かった」
 何やら納得したらしい返事に、浮かぶのは安堵。
 こんな風に無かった振りで、明日からは今まで通りやっていけるでしょう?
 大股で歩き去っていく広い背中を見送る。バーベキューの輪の中に歓迎されていく哲也は、あたしに対していた時の態度なんて覆して、ものすっごく愛想の良い笑顔でも浮かべている事だろう。
 哲也は、切り替えの早い男だ。
 あっさりと引き下がった哲也に釈然としない気持ちが沸かないわけでは無いけど、あたしはそれで問題が解決したものと、疑いもしなかった。



 その日を通して、あたしは神田君達高校生の集団と、更に仲良くなった。皆とメールの交換をして、帰りの車中で恋愛話で盛り上がった女の子達には、後日恋愛相談を受けるようになったりして。
 頼られるのが嫌いじゃないあたしは、彼らのメールに嬉々として答えている現状。
『本当に坂入さんとは付き合ってないんですか?』
と帰路でされた質問は、その後も幾度もされた。あまりに何度も聞かれるものだから、三人の内の誰かが哲也に惚れでもしたかと思っているのだけど、三人は「そんなんじゃないです」と完全否定を見せている。
 愛子ちゃんには義文君がいるし、他の二人にしろ同級生と部活の先輩への恋愛相談をされてはいるんだけど。
 何にしても、恋愛相手としての哲也はおすすめできないので、彼女達が、神田君――みんなにつられてハナ君と呼ぶようになった――とか男の子から言わせると格好良い憧れの男である哲也を恋愛対象と見なしていないのなら、その方が良い。
 まあちょっとでも、「哲也はオススメ出来ないな」なんて言おうものなら、あたしの気持ちを邪推されるので黙っているけど。



 ゴールデンウィークが終わっての出勤日、朝からハナ君と同じ電車になった。最寄り駅が同じなので、乗り込むホームを一緒にすれば毎日のように顔を合わせる事になる。
 今日もハナ君は細いフレームの眼鏡をかけて、あたしを見つけるなりはにかんだ笑顔を見せた。
 若すぎるけど、その笑顔はあたしのタイプだ。癒し要素満載で、仕事疲れの毎日のオアシスになりそうだな、なんて思う。
「ミサさん、おはよう」
「おはよ、ハナ君」
 二人仲良く座席に腰掛け、混雑していく電車の中で他愛も無い会話を続けていく。
 高校生の学生生活には、楽しい事が一杯あるらしい。「この間ね」と話し出すハナ君の話には果てが無くて、やれ誰がどうした何がどうしたと、充実した生活振りを教えてくれる。
 あたしも高校時代はそうだったな、と、懐かしく思ってしまう。
 社会人になってからの毎日は特別な事なんてほとんど無く、そんなに代わり映えしない。「昨日」と言われても、何があったのか咄嗟に思い出せなかったりする。
「ミサさんは?」
「え、あたし?」
「うん。最近、何かあった?」
「……最近ねぇ」
 何かって何だろう。ハナ君達と仲良くなった他に? 会社にいって仕事して、時たま飲みに言って、帰って寝ての繰り返し。休日は昼過ぎまで寝て、それを母親に呆れられる。
 最近。彼氏に振られて、哲也の気紛れに付き合わされた。
「何もないなあ」
 兎に角ここ一ヶ月は仕事に追われていたし。なんて疲れた呟きも、ハナ君はにこにこと聞いてくれる。
「システム管理って、何かすっごく難しそう」
 バーベキューの日に簡単に説明した仕事内容は、どうやら彼らにはピンと来なかったよう。あたし自身も実際に業務につくまで、何のこっちゃって感じだったし。
 システムなんて言葉自体、高校生には馴染みがないだろう。
「そんな事もないと思うけど」
「そんな事あるよ」
「でもあたし、営業とかの方が難しそうって思うよ。あたしは出来ない」
「ドラマとかで良くあるね」
「ね。営業成績の表とかあるじゃない? あんな風に実績を目のあたりにして、落ち込みそう」
「出来ない事前提なんだ」
「うん」
 他愛も無い会話は20分。ハナ君は手を振って電車を降りて行って、そこから会社までの30分、あたしは更に電車に揺られる。
 今日こそ読み終えようと思っていた通勤の御供の文庫本を取り出す。恐らく今日中に読み終わる事は無いが、ハナ君との会話は楽しいので、それに異存は無い。
 栞を挟んだページを捲って、そこからは文庫に集中した。

 ホームに滑り込んだ電車は、途中で五分程遅れた謝罪のアナウンスを流して、停車した。
 足早に降車する流れに任せて、階段を降る。この時だけは何時も、おっかなびっくりだ。ヒールには慣れっこな筈なんだけど、何故か落ちそうなイメージがあるのだ。
 今まで一度も落ちたり転んだりした事があるわけでも無いし、別にトラウマがあるわけでもないのに。
 最後の段差をクリアした時に、ほっと一息つく。
 広い構内を改札まで突っ切り、もう一つの階段はエスカレーター。
 見えてきた改札も、流れに乗って超える。
 さあ、仕事だ。
 駅を出て頭上から天井が消える時、何時も気合を入れる。
 空は透き通った蒼。春の陽気と清々しい空気を吸い込んで、やる気を充電する。

 そうして一歩を踏み出した時、背後から肩を叩かれた。
「はよ」
 反射的に振り返った視界に映ったのは、彫りの深い男らしい顔。
 背中をぽんと押され、留まった足が更に前に動き出す。
「……何で?」
 哲也は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けながら、あたしの横に並んだ。それも、腕が触れそうな近くに。
「ん?」
 柔らかい口調で――甘ささえ感じる声で――哲也が問い掛けてきた。
「何で、いるの?」
 背後にはJRの駅。地下鉄を利用する哲也が居る筈のない場所だ。線路を挟んで反対側にある地下鉄の入り口から、少しいった所の踏切を渡って通勤するのが哲也のルート。
 あたしもけして背が低いわけでは無いが、百八十ある哲也には、十センチ近いヒールを履いていても見下ろされる。
 眩しそうに目を眇めた哲也が口角を上げた。
「一緒に出勤しようと思って、待ってた」

 誰だ、こいつ。





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