信じない女 01

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 高校に入学して、初めてそいつに出会ってから、俺の長い片想いが始まった。

 それまでの俺は、気付いた時にはオンナに困らず、ヤル相手に事欠かなかった。
 ――俺にとってのオンナの価値は、ヤレるかヤレないか。好きだという感情が沸いた事もなかったし、理解も出来なかった。段階を踏まなきゃいけないような女には用が無かったし、付き合うというシステムを強要してくる相手もお断りだった。
 それでも俺をクールと評して近づいてくるオンナは多かったし、俺はそれを当たり前のようにヤリ捨てて来た。
 開明高校に入学した時の俺のスタンスはそのまま変らず、同高に入学していた二年先輩と再会して、セフレ関係を結んだばかりの頃だった。
 志望校に落ちて滑り止めの開明高校に進学したての俺は、やさぐれていた。勉学に身は入らず、遅刻早退当たり前、不良の先輩達とつるみ、クラスメイトからは遠巻きにされていた。
 忘れもしない、4月20日。
 二時限目が終わった辺りに登校すると、縁者の葬儀の為休んでいた女が、俺の前の空席に座っていたのだ。
 記憶力はいい方だから、入学時に確認した座席表でそいつの名前は覚えていた。
 今野美咲は二週間近く学校を休んでいながら、すでにクラスメイトと馴染んで、席の周りに幾人かを集めて談笑していた。
 俺が教室の扉を開けると気まずそうに雑談を潜める連中の中、多分事情を知らないのであろう――知っていたとしても、そうした気もするが――美咲は、「おはよう」と明るく声を掛けてきた。
 真っ直ぐに俺に向けられた快活な笑みに、俺の脳内に奇妙な言葉が浮かんだ。
“こいつだ”
 探していたわけではない。正真正銘の初対面の相手を、見つけた、と感じた。
 言うなればそれは、一目惚れというやつだった。
 けれど運命論を鼻で笑ってきた当時の俺が、すんなりと恋心を自覚するわけもなく。
 自己紹介を始めた美咲を無視して座席についた。
 その日は前に美咲が居るというだけで何故か落ち着かない気分になり、それなのに席を離れがたく、屋上に集っているという先輩の誘いを断わってまで、自席に噛り付いていた。
 美咲は物怖じしない性格であったから、俺がどんな連中とつるもうが、関係なく話しかけてきた。美咲の家の近くだというコンビニの駐車場で深夜に屯していた時も、買い物に来たという美咲が「何してんの」と声をかけてきたし、俺がどんなに悪辣な空気を出していても気にしなかった。
 俺の性生活をどこからか聞いて来て、「最低」と罵る事も躊躇わなかった。ついでに説教までされて、聞いてもいないのに自分を見習えと中学から付き合っているという真面目な彼氏の自慢をしてきた。
 そんな彼女にいらつきながらも無碍に出来ないまま、半年が経っただろうか。
 彼女を介してクラスメイトとも親交を持つようになり、生活態度が標準に戻りだした。セフレの一人だった女子大生に「空気が優しくなった」等と言われた。
 その時にはもう、運命論を否定できなくなっていた。
 相変らず他のオンナには興味を持てなかったが、美咲は特別だった。
 バイクが買いたくて始めたアルバイトは、美咲が「買ったら乗せてね」と言った事で、週三日から週五日に変った。
 眼鏡の男子はタイプじゃない、と仲間達との会話中に美咲が何気なく言えば、コンタクトにした。
 美咲が惚気る彼氏とやらが気になって、やつらが何時も待ち合わせをしているという駅に、偶然を装って通りがかった事もある。
 分かり易すぎる程に美咲を意識した行動の数々を誰にも気取られなかったのは、俺の女性関係が変化しなかった為だろう。
 校内でも関係を持った女は増え続けていたし、そのタイプは美咲とは似ても似つかなかった。
 でも最中に相手を美咲と夢想するなんて事はしたくなかった。あくまでも性欲処理で相手をしている女を、美咲だなんて思えないし思いたくもない。美咲の代わりになる女なんて居ないのだから、似ている必要など微塵もなかった。
 そこまで好きなら、告白をすればいい――という話ではあったが、俺がそうしなかったのには理由がある。
 まず、美咲のタイプが俺と真逆であったこと。彼女は草食動物のような大人しい男が好きで、主導権は自分が握っていたいタイプの女だった。攻める事で自分のペースを保っていなければ、我慢が出来ないのだ。相手のペースになると途端弱気になり、そんな自分に耐えられなくなってしまう。
 本気を出せば彼女を篭絡し、付き合う事くらいは出来ただろうが、俺だって何時も余裕綽々で居られるわけでは無いし、何が切欠で逃げられてしまうか、関係が終わってしまうか、分からない。
 つまる所俺は、美咲を失う事を畏れていた。
 俺の人生に彼女が必要だと悟っても、今お付き合いを始めるのは得策ではない。
 恋愛初心者の俺が、何時も完璧な彼氏を演じる事は出来ないだろう。人間的な相性は良いとしても、プラス極とプラス極の俺達が反発なくして付き合っていくのは無理だ。何時か、それもそう遠くない何時か、終わりは確実に来る。
 そんな事には耐えられない。
 それならば友人でいい。美咲の何もかもを知り尽くす、男友達で構わない。
 美咲の初めてが他の男に奪われようと、クソつまらない惚気に胃がもたれようと、一番近くに自分は居よう。
 ――そうして、何時か、彼女の全てを手に入れる。



 高校を卒業し、同じ大学に進学した後も、俺は美咲の隣に居た。
 その間に美咲の彼氏は二人代わった、どちらも無害そうな草食動物だった。一人目が、美咲の初めてを奪っていって、俺は連日の飲み会で憂さを晴らした。
 大学を卒業すると、美咲はデザイン会社に就職し、俺はさり気なさを装って近隣の会社に勤め、アパートを借りた。通勤に時間のかかる美咲は、俺の目論見通り、ウチに転がりこんで来る事が多々合った。特に友人離れしがちな勤め初めに愚痴を言いに来る事が多く、俺達の関係は切れずに続いた。
 就職二年目、美咲は職場の環境にいまだ慣れていなかった。女性の多い職場でまるで学生のように派閥を作っては他のグループをこき下ろす様子に我慢が出来ず、塞いでいた。
 だから転職を勧め、「俺の所雰囲気良いぜ」と、美咲が興味を持ちそうな言葉で誘った。
 目論見通り自社の面接を受けた美咲は、部長権限を駆使して根回しした通り、俺が任された部署に配属される事になった。
 そろそろ動き出す頃合か、と感じた時、元同僚の誘いで合コンに行った美咲が彼氏を作った。仕事に慣れるまで、と気を回したというのに!!
 それでも幸せそうに笑顔を咲かせる美咲を前に、何を言えただろう。
 社会人になって結婚も意識しだした美咲は、友人や従兄弟や、先輩が結婚したという話を聞けば「自分もしたい」と言うようになったし、女らしい夢見がちな妄想を語るようになった。「結婚しても仕事は絶対続けるから、心配しないで」と彼氏との付き合いが長くなった頃に言われれば、リアルに心配だった。
 あの草食系彼氏がプロポーズする等という危険は薄そうだが、美咲が迫れば首を縦に振りそうだ。付き合いも美咲の強烈なアプローチあっての事というし、大いに有り得る。
 だから俺は三年間、美咲を宥めすかし時には男の気持ちを代弁しながら、何とか美咲の気を逸らそうと必死だった。
 こういう事に部長権限を発揮するのはいやだったが、彼女がデートだという日にわざと仕事を盛り込んだりもした。――繁忙期ではあったにしろ。
 仕事帰りに飲み屋に誘って彼女の時間を拘束しては、彼氏に電話やメールをする機会を奪い、連絡があれば会話に耳を欹てて、二人の進展具合や温度を計ったりした。
 それが幸を奏したのかは定かでは無いが、二十八になろうとする年の春先に、美咲は三年付き合った彼氏に振られる結果となった。

 就業後有無を言わさず連れて行かれた居酒屋では、彼女はビールを煽りながら叫び続けた。
 他に好きな人が出来た、という彼氏のメールに、沈んでいるのは分かっていた。傷ついているのは分かっていた。彼氏との仲が随分前からぎくしゃくしていたのも、美咲は認めようとしなかったが、分かっていた。美咲がどこかで彼氏の気持ちに気付きながらも、必死につなぎ止めようとしていたのも分かっていた。
 分かっていたけれど、俺はこの期を逃せなかった。
 タイミングなんて知った事では無い。ムードなんて、知らない。
 ただ美咲の頭の中から、元彼を追い出したかった。





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