05 King rose 1


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 アレクセス・ローズ。

 それは冷え冷えと輝く、染み一つ無い雪銀にように白く。
 晴れ渡った空に浮かぶ、明るい雲のように白く。

 『王の薔薇』とも呼ばれるのだと、あの人は教えてくれた。

 凛と佇み、気高く咲く様に、重なったあの人の姿。

 その隣に在る事を許されたいと、私は思った。
 ――それが、夢になった。


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 グランディア王国に召喚されて、数日。
 何とか身体が回復し医師に太鼓判を押されても、ディーダ国王は私を寝室に留め置いた。
 余程心配性なのだろう。
 ようやく外出が許される頃には、私の存在は広く知れ渡っているようだった。
 最初の内は城内や庭園を廻ったり、主要な人間の面通しをして過ごし、次第に王国の成り立ちや近隣諸国の情報、礼儀作法などを教わるようになった。
 ディーダ国王の王妃になる。そう了承して、自分が真実異世界に居るのだと理解しても、私は何時までも夢見心地だった事だろう。
 ディーダ国王は幾度も私から故郷や帰る場所を奪った事を詫びたが、元より帰る場所など無いも等しかった。会いたい人も既に無く、困窮した生活で朽ちいくのを待っているような身だったのだ。
 疲弊した心に、ディーダ国王の優しさが沁みた。
 政務の合間に出来る限り顔を出し、そう出来ない時には花やドレスを贈ってくれた。
 ディーダ国王が心を砕いてくれる、その事が、何より嬉しかった。
 ――どうして惹かれずにおれただろう。

 盛大なウェディングをあげる頃、私はディーダ国王を愛していた。



「不便は無いと思うが」
 そう前置いてから、どこか不安げに、ディーダ国王は私をそこへ案内した。
 終の住処になる予定の、後宮と呼ばれる広大な建物だった。
 部屋の数はキリ良く100……と多いのは、かつて30人の妻を娶っていた国王が、その妻達と子供達の為に増築を重ねた結果だと言う。
 なんと精力的な国王が居たものだ。
 最もそれは特殊な例で、ここ数代の王達は一人の王妃だけを持った。
 私の父も愛人を囲っていたし、それが当たり前であったから特別驚きは無かった。
 ただこの無駄に広い屋敷は、私には手に余る。
 中庭を臨む数部屋を頂戴して、物々しい数の護衛兵や侍女は気持ちだけ貰って辞退した。
 管理も整備も行き届かないのでいずれは建て直したい意向のようだったが、現状、回せる国費が無いのだとディーダ国王は言う。
 王都アレクサは至って平和であったが、グランディア王国は現在戦時下にあり、金も物資も人にも、余裕は無いようだ。
 別段私は、多くの人間を侍らす事にも、金銀宝石にも、豪華な食事にも、ドレスにも、興味は無い。
 ただ願ったのは――もう独り、取り残されない事。温かな家庭を持って、笑って過ごせる事。
 出来るなら、愛した相手に愛されて。
 それはもう叶ったようなものだ、と、恥ずかしくて言えはしないけれど。
 オールド・ミスにあるつもりであったのに、と思うと少し笑えた。
「他に必要な物があれば、言ってくれ。出来る限り用立てよう」
「……もう十分です、ディーダ国王陛下」
 広い部屋に慣れずに落ち着き無くそわそわしている私に、ディーダ国王が少し眉を寄せる。
 ――見っとも無いと呆れているのだろうか。
 心臓がきゅっと縮み、けれどディーダ国王が再び微笑みを浮かべると、それは早鐘を打ち出す。
「じゃあ今日は、貴女の事を聞かせてくれ」
「……私の事、ですか?」
「そうだ。貴女が好きな物、嫌いな物、得意な事、苦手な事――あちらの世界で、どう育ち暮らしていたのか」
「……それならば、私も陛下の事が知りたいです」
「ならば互いの事を話そう」
 優しい腕が肩に回り、ソファに促される。
 そうして私はディーダ国王に寄り添い、沢山の話をした。
 家族の死に触れるのはまだ心痛い事だったが、浮かんだ涙を拭ってくれる指の温もりが、それを癒してくれる。
 そうして家族との暖かな思い出を、私は幸せな気持ちで語る事が出来た。愛された記憶は、私の中にある。
 別れは悲しい事だけれど、それはけして避けては通れない。何時か必ず、何らかの形で、人の死はやって来るのだ。
 そしてそれは、ディーダ国王とて同じだった。
「私も、父や母を、友を――かけがえの無い人を失った。けれど私が彼らを忘れない限り、彼らは私の中で生き続ける。今も、鮮明に」
「そう……そう、ですよね……」
 ディーダ国王の顔を見上げて微笑み返すと、彼もまた小さく笑った。
「私は普通のレディのように、流行を追うのが苦手でした。新しいドレスや観劇や、華やかな社交の場も、素敵な恋の話も――興味が無かったわけでは無いけれど、退屈に思えてしまって。小さな頃から叔父の研究室で、その様子を眺めている方が楽しかったのです」
「研究室?」
「はい。叔父は植物学者で――こと、薔薇を愛でていました。青薔薇を生み出す事に熱心で、いつかその叔父の夢が、私の夢になって。家族の反対を押し切って、私も研究所に勤めていたんですよ」
「青薔薇……青い薔薇?」
「はい。きっと……きっと、綺麗だろう、って。それは海のような青かしら、空のような青かしら、小さな頃からそんな想像ばかりをしていました」
 私のとりとめのない話に、ディーダ国王は丁寧に相槌を返してくれる。
「長兄は青い薔薇なんて気色が悪い、と言うのですけど、そうなると次兄と私で長兄を非難したりして。私以上に、次兄が植物の話をし出すと煩くて、私さえうんざりする事もあって……」
「仲の良い兄弟だったんだね?」
「そうなんです。何だかんだと言っても、何時も私の味方をしてくれて……それは、父上も同じでした」
 父は大叔母のように口を酸っぱくしてレディの何たるかを教えるような熱心さは無かったが、それでも私の非常識を諌める事はあった。叔父の研究室に通う日々に、難色を示すのがそれだった。
 それでも最後には、私が研究室に勤める事を許してくれた。
「男性ばかりの研究所で、最初は苦労もありました。叔父が所長だったので、みな表立って何かを言ってくる事はありませんでしたが――当初は私なんて居ないものと扱われて。それでも、植物に触れている時間は幸せでした。そのうち私の本気を理解してくれたのか、所員達とも言葉を交わすようになって……」
 尊敬できる一人と、恋の真似事をして。
「全てを失って、日々の生活に困窮していても、その幸せな思い出が私の支えだったのです」
 懐かしい思い出に心を馳せるように、そっと瞼を閉じる。
 ディーダ国王の言うように、私がその記憶を忘れずにいる限り、そうして彼等は私の中で生き続けるのだろう。
「貴女は温かい家庭に育ったのだな」
「……ええ、そう思います」
「私は幼少期には王都を離れていたから、あまり父と母との思い出は無いが、世話になっていた公爵家でかけがえの無い友を得た。公爵家の長子で、成人してからも共に戦場を駆けた。闊達として豪気な男だったよ」
「……その方は」
「戦で受けた傷が元で、死んだ。怪我を押して軍の前線を維持してくれていたが、彼を失って、その戦は大敗を喫した。今でも、あの時無理をさせた事を悔やむことがある」
「陛下……」
 苦く笑って、ディーダ国王は組んだ両手を解いて立ち上がった。
「奮戦する彼の傍らで、その背中を守り共に戦う事が出来なかった、己の立場を恨む事もあった。私は安全な王都で彼らを危険な戦場に放ち、苦境に立つ彼らに何も出来なかった。――今も」
 遠くはるか。グランディア王国の国境を越えた先、大陸を分断する切り立った山脈の裾で、多くの命が失われている。
 私にはまだ、上手くその事実が咀嚼出来ないでいた。
 私の生国でも隣国との戦に軍隊が派遣されたが、私の家族には無縁だった。父達が巻き込まれた暴動程度の事が、私にとっての争いごと。
 国と国とが領土や実りを求めて争うような事は、歴史の中の出来事でしかない。
 それ以前にこの世界で起こる戦の多くを、私は理解が出来ないのだ。
 創世神エスカーニャの息子、サンジャルマが興した帝国。そしてそれを蹂躙した北方の民族が、帝国の末を奴隷としてあっという間に巨大化した、国。
 帝国の解放を掲げて幾度戦いを仕掛けても、その帝国が質なのだ。帝国の民、サンジャリアンを盾にされればグラディアンは剣を奮えずに退くことしか出来ないでる。
 それでも戦う。多くの命を犠牲に、何時開けるかも分からない戦況を戦い続ける。
 止めてしまえば良い。そう思ってしまうのは、私がこの世界に生まれたわけじゃ無いからだろうか。
 大切な同胞を、腹心の友を失ってもなお、それらを天秤にかけてもなお、勝利を求める必要はあるのだろうか。
 そう思っても、口には出せないでいる。
 他の多くの疑問と同じように、私はそれを腹に溜め込む。
 ディーダ国王に厭われるのが怖い。不興を買って、側に居られなくなるのが怖い。
 だから私は、労わりを浮かべた仮面を貼り付けて、ただディーダ国王の悔恨を聞いていた。
「貴女が来て、前線は奮鼓しているという。城にも笑顔が増えた……長い事、憂いに満ちていたからね」
「……陛下」
 微笑むディーダ国王に向けて、私は目礼するように目を伏せた。
 私はまだ、自分の存在意義を見出せないで居る。幸福と平安を携えて召還される異世界人、と褒めそやされても、私自身は何もしていない。
 それなのに謝辞を述べられても面痒く、また申し訳なく思うのだ。
 何所で、誰と会おうとも、みな感謝を口に涙さえ浮かべ、言う。
“ディーダ国王万歳”
“マゼル王妃万歳”
“グランディアに栄光あれ、御世に幸あれ”
 けれど私の足元は何とも心許ない。
 暗い沼地を泥を引きずりながら歩いていたのに、突然に別の道が現れて、眩しく全てを照らし出した。突然に用意された幸福な道を、私はまだ自分で歩いているようには思えない。夢現だ。
 不安が喉に閊えて、息苦しくなる。
 私は胸元を押さえて口元に笑みを刻んでから、俯けた顔を上げた。
「私はそれに報いる為にも、立派な王妃にならないといけませんね」
 大丈夫、と心の内で唱えながら言うと、ディーダ国王は優美な目元を細めた。




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