スチュワートと私 | ||
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02.寝起きの悪さはどっちが酷い? 私は寝起きがあまり良くない。二度寝は日常茶飯事で、今まで仕事に遅刻せずに通えたのは奇跡的だとさえ、思う程だ。 特に冬場は温い布団の誘惑に中々抗えず、無駄に布団の中に居座ってしまう。 それでもどうにかこうにか目覚めて、至福の一服を味わってからやっとで動き出す。 その頃でも、あまり機嫌は良く無い。 シャワーを浴びる段になれば、鈍い思考も少しは冴える。けれどだるさは中々抜けない。億劫な身体を、ふかふかのバスタオルで拭い、一息。磨かれた鏡の中に映る自分は、まだまだ不機嫌顔。 朝食に手をつける事は殆ど無い為、朝に用意されるコーヒーだけを飲み下す。スプーン一匙の砂糖と、少々のミルク。やっとで眉間の皺が幾分緩む。 窓から臨む朝の風景や、吹き込む清々しい風を感じれば、自然と身も引き締まる。 執事がアイロンを当ててくれたシャツに袖を通し、ハンガーに掛かったスーツを身に纏い、家を出る頃には、気分は上々。 今日も一日頑張ってくるか、という気合いを入れて、出勤する。 それが私の、起きてから家を出るまでの日常だ。 いや、――だった、と言うべきか。 新しい執事、スチュワートの、初めての仕事であった、あの日、あの朝。 慣れない、という事は勿論あっただろう。 何度も鳴る目覚まし時計で目覚めない私を、何度声をかけてもうんともすんとも言わない私を、スチュワートが布団を引き剥がして起こした後。 以前の執事であれば用意していてくれた煙草も無ければ灰皿も無い、シャワーの準備もされていなければ、スーツも調えられていない、コーヒーも無い。閉め切られたカーテンのせいで部屋は暗く、陰鬱。 留めに起こした時間は、出勤時間ギリギリだ。 勿論、原因は寝覚めの悪い私にもある。むしろ起こしてくれる相手が居るだけ幸せだ。 けれど。 私の朝の日常を守るべく存在する筈の執事が、ただ単純に目覚まし時計が五月蝿いという理由だけで主人を叩き起こした、という事実。 寝巻きのまま、寝癖を頭にこさえて、私よりも機嫌が悪いのではという表情で現れたスチュワートは、私の朝のスケジュールを教えた以後も、全く私の意向に添わなかった。 幾度か、遅刻寸前の出勤時間が続いた。 この頃スチュワートは、けたたましい目覚ましの音にも慣れたのか、姿を現さない。 まあ起きていたとしても、不機嫌に人の布団を剥いて、それでも駄目なら文字通り叩き起こしに来る位で、私が起きた後は気が済んだのか部屋に舞い戻ってしまうので――居ても居なくても変わらないのだが。 というか、主人を見送らない執事なんて初めてだ。 ある日、私もついに堪忍袋の緒が切れて――というのも、既に会社に居なければならない時間に飛び起きて慌てて用意を開始……してる途中で、その日が休日だったという事を思い出した私の、焦りと虚脱感が怒りに変換されて、行き場を失っていたのだ。 気分の良し悪しで怒鳴り散らす愚か者にはなりたくない、と肝に銘じてきた私だが、役目を放棄するような態度がこうも続けば、怒っても良いだろう。 私はスチュワートの部屋へ乗り込み、叱責する気満々だった。 ドアをノックしても返答が無いので、彼の部屋に足を踏み入れれば――ベッドの上にはこんもりとした膨らみ。 枕の上には幸せそうに微笑み眠る、スチュワートの姿があった。 ――ちょっと見惚れてしまったのは、ご愛嬌だ。 外見で言えば、初対面の時分に心臓を鷲掴みにされていたのだ。選んで来たのは弟とはいえ、艶やかな黒髪や、流麗なラインを描く顔形、スラリとした体躯に立ち居住まい、極め付けに後姿すら美しい。 何時間でも眺め倒していられそうだ、などと、考えた。 出来るならのんびり、庭先で紅茶でも啜りながら、彼のハスキーな声に耳を傾けたい――なんて、我ながら気持ち悪い乙女な思考も沸いた程。 暢気に眠りこける執事を前に、私は思わず、恍惚に溜息をついてしまった。 ……いやいや、そんな場合じゃ無い。 私は激しく頭を振って、スチュワートを見下ろした。 それから低い声を意識して、抑揚無く、彼に呼び掛けた。 「スチュワート」 耳すらぴくりとも動かない。 「スチュワート、朝だぞ」 瞼は揺れもしない。 「スチュワート……スッチュワート!!!!」 腹の底から声を出す、のは一体何年振りだろうか。 やっとでスチュワートの秀麗な眉が、鈍く寄せられる。呻き声が掠れてセクシー、なんて事は無かった。 お前は錆びた鉄か何かか、と言うような、酷く耳障りな歯軋り。 「……」 眠りの森の美女よろしく、目覚めたスチュワートは大層美しかったが――その眼差しは、射殺されそうな程に鋭かった。 「……」 見つめ合った時間は数秒。 のそりと起き上がったスチュワートが、苛立たしげに後頭部を掻いた。 「……何の用です」 しゃがれた声で、不機嫌を露にする。 それが執事の態度か、スチュワート!!! 「朝だ」 「……分かってます」 「それで、お前は何時になったら仕事を開始するつもりだ?」 「……少なくとも、後二時間は寝られる筈ですね」 悪びれない様子で、スチュワートは欠伸を一つ落とした。窓の外の太陽の位置で、どうやら時間を見定めたようだった。 そういえば彼のベッドの近くには、目覚まし時計の類は無い。 「お前は何時も、どうやって起きてるんだ」 「腹時計ですかね」 間髪入れずに質問に返しながらも、その声はどこまでも不機嫌だ。 私の不満を表情から読み取って、スチュワートは心外そうに柳眉を寄せた。 「何です。言いたい事があるなら仰られては?」 今もまだ布団の中に座っているスチュワートは、一体どちらが主人なのか不安になる程に、堂々としている。 「私が何時に起きようと、関係無いではないですか」 「ある、に決まってる」 「そうですか? 言われた仕事はちゃんとこなしている筈ですが?」 飄々と言ってのけて、スチュワートはまた欠伸を一つ。申し訳程度に掌で口を覆い、長々と息を吐き出した後、やっとでベッドから足を下ろしたものの、酷く面倒くさそうである。 「……常々言おうと思っていたんだが、」 確かにスチュワートは、腹立たしい程に仕事が早い。なのでその事はスルーの方向だ。 「私を起こすのも、お前の仕事の一つだったと思うが?」 「……私も常々言おうと思っていたのですが」 嘆息交じりのスチュワートの声に、呆れが混ざる。 「あなた、幾つでしたっけ?」 「……は?」 「齢です。確か20代も後半では?」 「……それがどうした」 女に齢の話題はタブーだぞ、この野郎。とは思いながらも、見上げてくる美しい瞳に言葉は喉で凍った。 「良い歳した大人が、人の手を借りないと起きれない、というのは問題では?」 「……は?」 「旅先ではどうするつもりです? 執事を雇えなくなったら?」 「……その時はその時だ」 「そんな考えではいけません。あなたは大体、怠け過ぎです。甘え過ぎです」 「……」 「他の執事がどうか等、知りません。ですが朝くらい、自分で起きて、自分の責任で遅刻でもなんなりして下さい」 「…………」 瞬きもせず、スチュワートは私を見上げ続けた。 それから咳払いをして、地獄の底から響くような、低い低い声で、こう付け足した。 「それから、金輪際、もう二度と、私の睡眠の邪魔はしないで下さい」 良いですね、と念を押すスチュワートの表情は、怖いくらいに綺麗な笑みを貼り付けていながら――隠しようもない、殺意にも近い怒りが浮かんでいた。
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