スチュワートと私
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 01.初めまして、スチュワート。



 執事。
 それはもう、私の生活に欠かせない存在である。


 長年私に使えてくれていた執事が定年の為に退職する。
 それは仕方が無い事だった。
 如何に優秀で気遣いの出来る執事だったとしても、寄る年波はどうしようも無い。
 これ以上の労働を強いるには忍びなかった。
 老いて覇気の薄くなった彼の背中は、私がふざけて飛びつきようも無い程に細く、頼りなげに見えた。真っ直ぐに伸びた背筋は今でさえピンと張り、穏やかな微笑みは変わらなかったけれど――彼は間違いなく、疲れていた。
 それだけは、愚かな主人である私にも分かる。
 出来るだけの感謝を込めて私は去り行く彼を見送り、彼が太鼓判を押した新しい執事を受け入れる事にした。

 長く生活を共にした彼を失う事はとても寂しい事だったが、私は新しい執事の存在を、楽しみにも感じていた。
 新しい出会いは歓迎するものである。
 これから更に長い間、付き合っていくであろう相手だ。
 願わくば相性の良い相手である事を祈る。
 そんな風に、悲しみの裏に浮き足立つ心もあった。

 ここで私は少し、執事というものについて語ろうと思う。
 彼らは全員、執事としての教育を受けてから勤めに入る。大抵が執事の養成学校を経て、主人に付く。
 歴史の古い由緒正しき養成学校の一つ、『F通』は、私の執事を勤めた二人の卒業した学校だった。有名所は他に『NE史』や『T芝』等だろうか。
 多くの優秀な執事を輩出して来たこれらの学校から、私は新しい執事を選ぶだろうと思っていた。
 けれどどうやら、独学でかなりのスペックを積んだ執事が存在するという。
 別段出自に拘らない私としては、名門という肩書きが無くても困る事は無い。
 後ろ盾も肩書きも無い、という理由だけで優秀な執事が売れ残っているという。
 それならばぜひ、私に仕えてほしいものだった。

 ――さて。
 そうして我が家にやって来た新しい執事が、このような背景を持つ、スチュワートだった。

 まずこの彼を気に入ったのは、私の弟だ。
 この頃私は仕事が忙しく時間が取れず、執事の選出は私の弟がしてくれた。あんな事やこんな事までしてくれる、と、私にとってはどうでもいいような能力が何より魅力だったらしい。
 可愛い弟が笑顔満載で彼を奨めるものだから、否を言う必要が無かった。
 次に彼を気に入ったのは、姉だった。
 秀麗な眼差しと、顔のラインが大層美しいのだという。艶ややかな黒髪は姉のタイプ一直線だったらしい。
 姉の意見はどうでも良いが、気に入ったのならまあ、良い。
 あくまでも私の執事である、と、姉と弟には釘を刺したが、聞いているのかいないのかは分からない。
 兎に角姉と弟と私は、その日までに、スチュワートを迎え入れる準備を整えた。


 その日、約束の二時間遅れで、スチュワートは我が家の戸を叩いた。
 時間が遅れたのは、運転手が道を間違えたというのだから仕方が無い。ただ生憎、私は仕事の都合でスチュワートを待っている余裕は無かった。
 とりあえず後を姉弟に頼み、私は仕事に向かう事にした。
 はしゃぐ姉弟を見て一抹の不安を感じなかったわけでは無いが――帰宅するまで、それが誤りとなるとは、思っていなかったのだ。
 
 私が仕事を終え帰宅した頃、私の新しい、見目麗しい執事・スチュワートは、完全に弟と姉を虜にしていた。
 弟は彼と卓上ゲームに興じ、姉は彼に寄り添って、恍惚とその黒髪を撫でている。
 足を組み、優雅ともいえる仕草で紅茶を啜る――およそ執事らしからぬ態度の男は、主人である私を見ても、立ち上がろうとさえしなかった。
 しかし、だ。
 私は冷静に考えた。そもそも名乗りを上げてない私を、主人と判じなくても無理からぬ事。
 私は脱いだコートを自分でハンガーに掛けながら、姉弟と彼に近寄った。
「初めまして、スチュワート。私が君の雇い主だ」
 何事も最初が肝要である。執事とも友人と隔て無い付き合いを望む性質ではあるが、それなりの線引きは必要だ、とも思う。心を交し合いたいが、公私はきっちり分けたい性分だ。
 そこに矛盾がある事は承知しているが、私は生憎、仕事に置いての寛容さは皆無らしい。
「はあ」
 しかし返って来たのは、単調な相槌一つ。
 差し出した右手が握り返される事は無かった。
 私は自身のこめかみがピクリと波打つのを自覚した。
 私は、世間に疎い。また、学も人並み以下だ。故に、執事というものを良く理解していない所もあるかもしれない。
 人に指図出来る程に偉くも無く、社会の荒波に揉まれたのでも無い。
 ただ自分の中にある常識が全てで、それは世間の常識から逸脱している事もあるだろう。
 それでも、だ。
 雇われる身の人間が、本性はどうあれ、初対面の雇い主に対して凡そ取るべき態度では無い、と断じて構わないだろう。
 この、スチュワートという男の、横柄な様子は。
 感情を隠す事が出来ない、それは私の短所だ。
 私の怒りが、スチュワートには正しく伝わったようだった。
「ああ、失礼。時間外なもので」
 何食わぬ顔で、契約書を私に差し出してくる。
 そこには、彼の労働時間と労働期間についての項目がある。その部分を人差し指で突いて、スチュワートはあっさりと言った。
「では、明日から宜しく」
 労働時間、労働期間はスチュワート次第って、どういう事だ!!
 ――とは思っても、契約書には既に私の名前でサインが成されているのだ。書いたのが姉であっても弟であっても、器用な彼らは見事に私の筆跡を真似ている。
 既に履行された契約を、破棄する手立ては無いようだった。





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