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幕間 伯爵家にて 2



「それで、中々興味深い話をしていたな?」
久方振りの再会を熱い抱擁で祝ったゲオルグは、息子達の計らいで二人きりになった部屋でユーリに問い掛けた。
 いっきにご機嫌になったユーリは、対面に座るゲオルグを眩しそうに見つめながら頷く。
「アル・ファティマの事、あなたはどう見て?」
 ゲオルグに向けられる褐色の瞳は、愛情と信頼に満ち溢れている。幼い子供のような真摯に向けられる曇りない愛情、それこそがゲオルグにとっては眩しく見えた。
 遠い昔王にならないと告げたゲオルグを詰った時も、僻地に引きこもる事を嘆いた時も、ユーリの瞳には何時も蔭る事のない星が瞬いていた。けして消えない、一等の愛情が。
 だからゲオルグは自分の選択を迷った事は一度も無かった。
 テーブルの上で握り合った手をもう一方の手で撫でながら、ゲオルグは愛しさを込めてユーリを見つめ返す。
「あれは何も変らぬ」
 ゲオルグは王太子ウシャマとファティマの来訪を見届けてすぐにアレクサを発ったが、それで充分に理解した。相変らず美しく華やかだったが、それだけの事だ。
 ゲオルグが望むような王妃にはなるまい。エディアルドの助けにはなるまい。そう悟った時に感じたのは落胆でも失望でもない。
「だがちと厄介な事に、バアルは正式に申し込んでくるつもりのようだ」
「呆れて物も言えませんわね」
 辛辣な切り返しに、ゲオルグは声を立てた。
「それで、またバアルに頼り切った戦をすると仰るのかしら」
 女は政治に疎い。例え優れていても、それを口に出すものは少ない。貴族などは大抵女を政略結婚の駒にしか考えておらず、女性の台頭を快く思わない。美しくある事が最高のステータスで、控え目で気遣いが出来ればなお良い。
 ファティマはその良い例で、美貌に磨きをかけ、社交の場でこそ輝く。その事しか頭に無い。
 けれどユーリは違う。彼女の前衛的な父親は彼女に学問を教え、その事に何より力を注いだ。当時珍しい専門の家庭教師をつけ、女性に必要な作法や教養以外に、軍事や法律の事まで教え抜いた。
 ユーリの父親である侯爵は、ゲオルグやその父親がそうであったように、能力のある者は男女関係無くその能力を発揮するべし――機会を、立場を与えるべし、と考えていた。だからこそ、王妃にと望まれてゲオルグに嫁いで来たのだ。
 しかし今までの風潮を変革する為には、ゲオルグやその父では駄目だった。正統な血筋を誇る彼らでは、柵を取り除く事が出来なかった。
 彼らがどんなに道理を説いても、彼ら自身が前時代の象徴だった。新しい時代の先駆者になるには、彼らには何かが足りなかった。
 ゲオルグには確かに国王になる資質は充分であったが、遠い昔から蔓延する腐敗を取り除く力は無かった。
 腐敗の最たるものが王家にあり、貴族にあり、その中心にあったのが、ゲオルグの母だったのだ。
 そうしてグランディアの未来を託されたのがリカルド一世であり、現国王リカルド二世である。
 その助けになる筈の王妃は、リカルド一世の時代には器が足りず、リカルド二世の御世には不在なのだ。
 変革を望まない貴族にとっては嬉しい事に、王妃は今、不在なのだ。
「貴族達はこぞって賛同するだろう。アル・ファティマが王妃になれば、己らの地位は安泰だろうしな」
 つまる所は王に並び立つ妃など望んではいない。ただ王の隣に立ち、美しいと持て囃され、他国に自慢が出来、後継者を生めばそれで、良い。
 ――王妃だけでは無い。国王にさえ、絶大的な牽引力は、誰も望んで居ない。
 凡庸な王で良い。突出した能力など無くて良い。今までの王がそうであったように、国王としてただその名前を歴史に刻むだけで、良い。
「ヴェジラ山道が開けば、ダガートとの戦も開く。エディアルドにとっても、苦しい時代が来るだろう」
「それでも、エスカーニャ神の御名の為に、ダガートだけは排除しなければなりませんでしょう」
「そうとも」
 エスカーニャ神の息子サンジャルマを起源とする帝国を、ダガートが侵略した日。それから、ダガートとの長い戦の日々は続いている。
 北方の抗戦部族ダガートは、帝国の領土を踏み荒らし、エスカーニャ神とサンジャルマの神殿を悉く破壊した。帝国は今なおサンジャルマ帝国を冠して続いているが、それは名ばかりで、ダガートの国の一部として存続しており、帝国の民は奴隷として虐げられている。
 鷹も狼も帝国の内部には踏み入る事も出来ず、それは昔から伝承されている歴史の一部でしかなかったが、ダガートが帝国を侵略したという事実だけで充分である。
 ダガートと共存する道は無い。
 その一点においては、王族も貴族も無く、共通する到達点として、誰もが力を惜しまない。
 帝国の奪還という長年の夢が叶うならば、エディアルドにとってもゲオルグにとっても変革は二の次だ。
「不可侵条約の撤回は早まったのではなくて?」
「……それは、分からん」
 ゲオルグは政局を離れて久しい。鷹や狼という諜報を駆使して最新の情報を集めてみても、それはあくまでも情報であって、局面に立つ人間とは見る方向性が違うのだ。
 またエディアルドに後進が居ない以上、エディアルドの進みが早まっても仕方が無いようにも思う。
 傍観者に徹する以上、ゲオルグには判断が出来ない事柄だった。
 困ったように嘆息するゲオルグを見て、ユーリは思案気に瞳を眇めた。
 決意とは裏腹に、こういう時の自分達が生き生きとしている事を、本人達は気付かない。
「私思ったのだけれど……ツカサ、という異世界人をあなた達が教育しているのは、エディアルドの後釜に据えるつもりだからなのかしら?」
 事実、ユーリは自分の所にツカサの教育係の話が届いた時、疑問を感じたのだ。不相応な後ろ盾と境遇に、与える権威に。エディアルドの厚遇する臣下が、こぞって固める身辺に。
「かつて異世界人が女王になった事もありましょう。ですからツカサが王になってもおかしくはないでしょうけれど……私、それは賛成しかねますわよ」
「それは思ってもみなかった。なる程、面白い事を言うな」
「まあ、だってツカサはティシアの婚約者なのでしょう? 充分資格はあるのでなくて?」
「余はそんな事までお前に言ったか?」
「セルジオがそう申しましたけれど」
 かみ合わない会話に怪訝そうに歪むユーリの表情を前に、ゲオルグは笑いを深める。仰け反るように背凭れに身体を預け、前髪を掻き揚げる仕草で表情を隠す。
 くつくつと笑う合間、なる程と繰り返し、やっとで顔を戻した時には、ユーリは満面の笑みで、不機嫌だというオーラを隠さずに言った。
「話が見えませんわ」
「お前、セルジオから愛人の話は聞いたか?」
「――は?」
「だからな、余がセルジオにお前への言伝を頼んだ日に、愛人を紹介するとか何とかというやり取りがあってな」
「あなたが愛人を作ったという話ですの?」
 弾んでいくゲオルグの声音とは正反対に、低く唸るようなユーリの声。
「つまりツカサを愛人として紹介したわけだが、」
 ユーリに本当に呪術の才能があったのなら、この時ゲオルグは間違いなく呪い殺されていただろう。それ程殺気を漲らせたユーリだったが、嫉妬の炎の中でも思考は確実に働いていた。
「そのくだりはセルジオの中では無かった事になっているようだな」
「つまり、」
「聡いお前なら気付くと思ったんだがな」
「……ツカサは、」
 ごくり、とユーリの喉がなる。信じられない面持ちでゲオルグを見やれば、もったいぶるように頷いたゲオルグが両手を広げて種明かしをした。
「そう。ツカサは、女だ」

 ――その瞬間、ユーリの頭の中で全ての糸が繋がった。




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