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幕間 執務室にて 1



 夕暮れ時の鮮やかな陽射しが差し込む執務室で、エディアルド・アラクシス=グランディア・リカルド二世は黙々と書類と格闘していた。

 連日の議会に客人達との謁見、夜会とに奔走している間に、処理しなければならない案件は溜まりに溜まっていた。
 グランディアの政治制度は、他国に比べてゆうに百年は遅れを取っている。例えば税務局、と名のついた部署では、各地の税収の把握すら出来ておらず、権力者の横領が当り前のように行われていた。領主が好き勝手に巻き上げた税金は正確に報告されず、多くが領主の財産として蓄えられる。その結果肥え太るのは貴族だけで、国民の生活は一向に向上しない。
 国内の税金を一律化する事に成功したのはリカルド二世の祖父の代だったが、それでも国庫は厳しいままだった。それもその筈、今度は不正の在り処が地方から税務局へ移っただけだった。
 税務局だけでは無い、多くの部署の官人である貴族達は、不正を不正と見ない。昔からの慣わしであるとは言え、そのような貴族達に何故仕事を振れようか。
 どんなに制度を改めようと、そこで働く人間が腐敗していれば、正しく機能する筈が無い。
 リカルド一世の時代から力を注いでいる人材育成は少なからず成果を上げているものの、中枢にのさばる権力者の一掃は困難である。それが出来なければ、地位の低い有識な人材は静かに埋もれて消えていくだけ。
 だからこそリカルド二世は全ての業務に、自らの認可を義務付けた。地方の街道の整備さえ、リカルド二世が采配を奮うのだ。
 休む暇がある筈も無かった。
 ――悔しい事に、なのか。幸いな事、なのか。
 それでも昔に比べれば、ここ半年程の間は、驚く程仕事が捗ってはいるのだが。
 その切欠を思う度、リカルド二世は舌打を喉奥に押し込めた。
 心を煩う事は少ない方が良い。時間は有限であり、優先すべき事は数え切れない。
 それでも頭の片隅に浮かぶ戯言に、リカルド二世の筆は鈍った。

 世界を茜色に染める太陽が刻一刻と沈み行き、また一日が終わろうとしていた――。

 戸を叩く音が聞こえ、リカルド二世は静かに顔を上げる。
 続き間の扉を開けて入って来たのは、ラシーク王子だった。
 呼び出した刻限通りに現れた王子は困惑気味に、深く頭を垂れる。
「お呼びと伺い、参りました」
 まだ少年の色を濃く残す細身の青年は、窓から差し込む日差しに眩しそうに目を眇めた。
「お忙しいのですね」
 執務机に山積みされた書類を見る王子に、リカルド二世は頷いて答えた。
「お前がグランディアの人間であれば、手伝わせたい程にな」
「それはわたしも残念な所です。陛下のお役に立てるのなら何でも致しましたものを――」
「ユージィンにもその気の欠片でもあれば良いのだがな」
「何時かは、ユージィンも気付きますでしょう」
 異貌の王子は穏やかに微笑む。一度剣を持てば獰猛に相手を追い詰める戦士の一族でありながら、賢者のように博識な一面も見せる彼が、自国の臣下で無い事が悔しい。いっそティシアの結婚相手でもあれば良かった、と、リカルド二世は何度考えた事だろう。
 しかしバアル王国はけしてラシークを手放さないだろう事も分かっていた。
 リカルド二世は慣れ親しんだ者にだけ見せる薄い微笑みを、唇に乗せる。
「それはそうと、」
 感傷に傾きかけた思考を打ち払うように、一度書類に目を落とす。
 再び顔を上げた無機質な王の表情に、ラシークもまた緊張感を取り戻した。リカルド二世の“真実”を知りながらも、感情の浮かばない硬質な瞳には畏れずにはいられない。
「ブラッドに花を贈っていると聞いたが、それはまことか」
 まるで裁きでも降すような声音に、ラシークの喉が鳴る。
 冷たい睥睨に一瞬怯み彷徨った視線は、リカルド二世には戻らなかった。
 俯き加減で答える声は、叱られた子供のように心許ない。
「仰せの通りです」
 ぎしり、とリカルド二世の座る椅子が大きく軋む。床に伸びた影からは当然のように答えは返らない。
 どんな顔をしているのか――顔を見たとて張り付いた無表情しか無いのだろうが、ラシークはそんな事ばかりが気にかかった。
「陛下がお許し下さるのなら、」
 囁くように言いながら、ラシークは書類の奥のリカルド二世を窺った。
 何時か。それも近い日に、同じ願いを乞うつもりであったにも関わらず、今はただ、それが過ちであるのだと気付いてしまった。
 普段異国の城で驚く程の自由を許されているラシークだが、振る舞いを問い質される場合、それが過ちである事を知っている。
 リカルド二世は多くを語る人では無いが、だからこそ、その少ない言葉で、答えを語る人だった。
 短い逡巡で、完全なる沈黙で、鋭い視線で、纏う空気で、全てを語る人だった。
「ブラッド殿をわたしの妻に迎えたいのです」
 ラシークの懇願は、吐き出された溜息に宿る威圧で、もう既に決していた。
「ブラッドを妻に、と言ったか」
 平淡な声が確認するようにラシークの言葉をなぞったものの、返答など求めない。
 だからこそラシークは言葉を重ねずにはいられない。
「だってあの方は、儚くて寂しくて――どうにかして笑って欲しいと、思ってしまったのです」
 時々どこか遠くを見つめて、何もかも諦めたように笑う。その仕草に気付いた時、『彼』が『彼女』である事に気付いた。自分に似ている事に気付いた。
「わたしが求めているものを、彼女も求めている。だからわたしは、家族になりたいと思ったのです」
 殻を纏った彼女と、殻を棄てきれない自分と。一緒にいたら何かが変るかもしれない、と仄かに期待して。
 それは真実なのに、どうしても言い訳のようになってしまうのは、リカルド二世の瞳に責められているような気がしてしまうからなのか。
 無意識に噛み締めた唇は、だからそれ以上言葉を紡げなかった。
 しかしリカルド二世には何ら責める気持ちなど無かった。痛みを堪えるように次第に俯くラシークに、ただ遠い面影を見出しただけだ。
 リカルド二世は多くを語らない。従って、多くを求めない。必要なのはイエスとノーで、その内にどのような想いがあろうと関係がないからだ。
 夕日を浴びて立ち尽くす青年を、リカルド二世は声も無く嗤った。
「ラシーク」
 かけるべき言葉を、慰めを、リカルド二世は持たない。
 紡ぐのはただ、簡潔な真実のみ。

「あれは、異世界から喚んだ娘だ」

 持ち上がった美しい顔貌の中で、真っ赤に染まった瞳が大きく見開かれた。
 それを少しだけ心地良く思ったのは、何故だっただろう。

「その意味が、分かるな?」




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