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幕間 庭園にて 1



 グランディア城の温室といえば、アレクセス・ローズとマゼル・ローズが育成される薔薇の温室が一番広大であり有名であったが、同じ様な室内庭園は他にもあった。
 こちらは季節毎に庭師が整えているもので、温室の薔薇とは違って誰もが裁断して持っていく事が出来る。城の要所に飾られる花はここで育てられたものだ。
 ラシークは鋏を持って、手ずから花束を作っている最中だ。
 自然と綻ぶ顔を本人は自覚してすらいなかったが、遠巻きにその様子を眺めるグランディア城の使用人は、美貌の王子の微笑みに見蕩れている。
 ラシークは端から端までを吟味しながら、明るい色の小さな花を寄り集めていく。それは可愛らしい、とも美しい、とも形容できない花々だ。形も不揃いで、物珍しくも無い野草の類だった。その殆どが主に薬の調合に使われるものであったから、庭師も見た目にはあまり頓着していないのだ。
 それらが花束として人に贈るには不向きである事くらい、ラシークも知っていた。
 けれどそれでも、それが相手のイメージだったのだ。
 守ってあげたくなるような儚さも、目を見張るほどの美しさも必要ない。ただあるがまま、恥じる事なく背を伸ばす、小さくて強い、花。
 本当はこんな風に閉じ込められた空間に咲くのでは無く、大地と空とに囲まれて、自由な風に靡く、そんな花。
 花束を贈るようになって一週間経ったが、ラシークは相手がどんな表情をするかも、何を思っているかも、知らなかった。
 何時もこっそり、相手の部屋の前にメッセージカードを添えて置いておくだけ。
 きっと直接手渡しても、困ったようにしか笑ってくれないだろう。
 毎朝鍛錬場で顔を合わせる彼女は、戸惑いに視線を揺らし、曖昧に微笑む。彼女を包む殻はまだ剥がれてくれず、態度もずっと余所余所しい。
 それは仕方がない事だろう。
 自分の行動が、正直ラシークにも良く分からない。
 初めて出逢った時、『彼女』は『彼』だった。
 名も知らない、青年だった。
 ゲオルグ殿下の連れる従者にしては不自然で、言動や行動に違和感があり、何より特異なバアルの言葉を理解した事が、興味を持った理由だった。
 それでもバアルの人間の異貌を初めて見た人間にしては、そこに驚き以外の感情が無かった様子には好感が持てた。
 彼がどういう人間なのか単純に知りたくなった。
 二度目に見た時、彼は親友であるユージィンの古い知り合いだった。それまで全く聞いた試しも無い、古い友人だった。
 ブラッドと名乗り、著名な教師に育てられた優秀な青年という顔をした彼の態度が演技だとは、初対面の印象がなければ気付かなかったかもしれない。
 けれどその演技を前に感じたのは落胆だった。
 素直に感情を表していた初対面の青年に、会いたかった。楽しそうに宿を徘徊して、大口を開けて笑っていた、彼に会いたかった。
 何処かでボロが出ないかと観察していて気付いたのは、『彼』が『彼女』である事だけだった。
 大層な仮面をつけている理由は分からない。性別を偽る事情も知らない。
 ただ、彼女が『彼』として生きる事を義務付けられて、そしてそれが当たり前として備わっている事に――疑問が生じた。
 鎌をかければ簡単に引っかかるのに、肝心な事が何も分からない。
 躍起になって彼女に近づいた。彼女は戸惑うばかりだった。
 こちらを当たり前のように警戒していた。
 けれどその仮面が剥がれる瞬間を、ラシークは見たのだ。その時の衝撃を、思わずその場で口にするという暴挙に至って柄に無く焦ったラシークが、そこでもう一つ気付いたこと。
 鍛錬場で彼女を見つめていたのは、自分だけでは無かったのだ。何時も素っ気無い程に素っ気無く、彼女以上に作り上げられた仮面を貼り付けた、グランディアの国王リカルド二世陛下――その視線が、無意識に彼女に向けられている事。
 その日は、違和感だけが残った。
 後日、その日を振り返って思った。彼女の仮面を一瞬剥がしたのは、自分では無かった。彼女が自然と綻んだのは、リカルド二世陛下の言動故だ。
 ――悔しい。
 初めて抱いた感情に戸惑って、それでも答えは出ずに。
 彼女の傍に今までと同じ様に在り続けた自分に、変化が訪れたのは一週間前。
 王太子である兄ウシャマと共に、何故だか姉であるファティマまでグランディアにやって来た。隣国に嫁いで、また離縁したと聞いて、恥ずかしさだけが身に浮かんだ。何の成長も見られない姉は、やはり何も変わっていなかった。
 迷う事なく、恥じる事なく、堂々と
「わたくしはリカルド二世陛下の王妃に相応しい」
 恐らく父王や兄達に唆されての結果だろうが、そう言ってのけたファティマに、ラシークは何とか罵る言葉を飲み込んだ。
 相応しい所か膿だ。リカルド二世の穢れ無き華々しい経歴の傷だ。
 彼女程リカルド二世に相応しく無い妃も居ない事だろう。
 けれどそれを知っていても、ファティマがグランディアの王妃になる事は、バアル王国にとって望むべき形である事は分かっていた。
 ラシークは、どんなにリカルド二世に傾倒していても、バアルの王子だ。第十二王子などという立場であっても、厄介払いのようにラングルバードに留学させられても、駒のように扱われていても、身も心もバアルの民である。
 グランディアとバアルの両方が危機に陥れば、守るのはバアルだった。
 だからといって、ファティマをグランディア王妃に立てるのには大反対だ。

 考えて、考えて、賭けに出た。

 リカルド二世陛下を唯一救えるのは『彼女』だ。
 彼女がリカルド二世陛下を救う道を選ぶのならば、自分は彼女の為に、犠牲になろう。
 けれどもし彼女が自分を選んでくれるのなら――その時は、礎になろう。



「珍しい顔があること」
 背後からかかった声に、ラシークは物思いを解いて振り返った。
「……姉上」
 分かりきっていた事だが、聞き慣れた声はファティマのものだった。気高く、けれど媚を含んだ女の声。
 彼女は隣の男の腕に自分のそれを絡めて、艶やかに微笑んでいた。
「まあ、あなた何を持っていて?」
 何時か彼女を訪ねてきた公爵でもなければ、夜会で彼女を取り囲むどの貴族でもなかった。年はもしかしたら倍以上離れているのかもしれない。服装はそれなりの身分を感じさせ、左手の薬指には既婚者の証が輝いている。
 不快な友人関係を結ぶ一人なのだろう。
 男は軽く頭を下げたが、ラシーク王子は微笑むだけで返礼はしなかった。
「余計なお世話でしょうが、弁えたらいかがです?」
「本当にいらぬ世話だこと」
 ファティマはラシークの言葉を拒絶するように、更に男の腕を引き寄せた。完全に谷間に沈む腕を見て、ため息をつきそうになる。
「良いのよ、陛下は気にしないもの」
 それは姉上に興味が無いということだ、と瞳に込めて訴えても、ファティマには通じない。
「それに陛下はお優しいの。わたくしが寂しい思いをしないように、と仰ったわ」
「そう、ですか」
「それで、あなた――それをどうするの?」
「それは花束と見受けましたが、どなたか贈る相手が?」
 ファティマに追従するように、男が質問を重ねてきた。ラシークは内心で舌打しながらも、表情では微笑みを絶やさずに
「ええ」
とだけ答えた。
 ファティマの顔が華やんで、次いで嘲笑に変わる。
「それは良いことだけれど、シャイフ、それは女性に贈るには似合わない花よ。子供のあなたには、まだそういう事は分からないかしら」
「それこそ余計なお世話ですよ」
「まあ」
 嘘くさく沈んだ声、とラシークが判断したのに対し、傍らの男はそれが見抜けないのか、見抜いてこそなのか同情するようにファティマの腕を撫でた。
「そうね、老婆心というものね。けれどどこの馬の骨とも知らぬ下賎な娘には本気にならないことよ」
「ご忠告、胸に留めておきましょう。姉上はご自身にお似合いの場所へ、行かれては?」
「そうするわ」
 ファティマに引っ張られる男は慇懃に頭を下げたが、ラシークも今度は会釈を返した。
 男の衣装のボタンに彼の家だと思われる騎士の紋章を見つけたからだ。着衣に家紋や身位の分かるものをつけたがるのは貴族の特徴だと思っていたが、彼のお家事情を思えばそうして誇示したがるのも頷けた。そうして軽々しく顔を晒している所を見ると、王都では余り顔の知れた人間で無いということも分かる。あんな風に情事の名残を匂わせていても気にした風も無いのは、素性がばれぬと踏んでか。大方アレクセス城に滞在している地方貴族かその配下の騎士だろうと思ったのだが、違った。
 あれはそこそこ有名な騎士一族の家紋だったが、王城で顔が知れて居ないとすれば何者だかは容易く推測出来る。
 これは後日シリウス宰相に報告しておこう、と決めて、ラシークはその思考を打ち切った。




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