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間章 シリウス・ハイネル・アンサ



 宰相府。
 その名の通り、宰相が所属する機関であり、国王の片腕である宰相を筆頭に、政治の中心人物が集まる。
 かつて余が宰相であった頃、宰相府は余の砦だった。
 しかしその主が代われば、中身もまた変るのが世の常。今はもう、あの頃感じていた居心地の良さは微塵も無い。
 宰相シリウス・ハイネル・アンサの気性のままに、和やかで穏やかな空間は、年若い者が多い所為もあるだろうが、活気に満ち溢れ明るい。
 余が王族であった事も手伝って、当時は堅苦しさばかりが目立った。それが必要であった時代でもあるし、質素倹約に務め、無駄が一切省かれていた。
 その中で余に仕えていたありし日のシリウスは、洒落者が多いと有名なアンサ家の男子として、異質に映ったものだ。ハイネル公爵家の名とアンサ一族の血、そして余の庇護の下大っぴらに批難される事が無くとも、堅物ばかりの宰相府でシリウスは浮きに浮いていた。
 それがどうだ。今やシリウスの城となった宰相府では、余の方が異物として扱われる。
 政務の間に茶菓子が振舞われる等、余の時代には考えられなかった。それでもそれが効率を上げるというのなら、何を言えた立場でもない、余はただ信じられぬ面持ちで眺めるだけだ。
 目の前では鼻歌でも歌い出しそうに上機嫌なシリウスが、黙々と政務をこなしている。
 シリウスだけに限らず、今は宰相府もアレクセス城内も、国内に至るまでが喜びに溢れている事だろう。
 それ程国王の結婚を、待ち望んでいた。しかもその相手が歴史に語られる異世界人であれば、エスカーニャ神を崇め奉るグランディアの人間が、否を唱える筈がない。
 異世界人の恩恵を盲目的に信じている者ばかりではけして無い。けれどありとあらゆる決断の時、異世界人の存在を盾に、剣に、する事は出来る。
 少なくとも我々の目的に置いて、異世界人の出現は好機でしかない。
「それで、」
 銜えていた葉巻を口から外し、紫煙を吐き出しながら余はシリウスに声を掛ける。
「お前、何時から気付いていた?」
「何がです?」
 率直な問いに、素知らぬ声が返る。語尾が喜悦に跳ねている所を見ると、意図は通じているだろう。
 漏れた舌打ちは、静かな笑い声に掻き消された。
「殿下、聞くまでもないのでは?」
「聞くまでも無いか」
「ええ。何時も何も、初めからに決まっているではありませんか」
 虹色の羽飾りがついた筆をインクにつけながら、シリウスが顔を上げる。
「ツカサ様が女性以外の何に見えるというのです」
 さも当然と言われても、十人居れば十人が否定するだろう。ツカサの何を見て女性と判断するか、余は迷う。女らしい曲線も皆無なら、その所作や振る舞いや言動にも、それらしい所は見受けられない。顔立ちや声音は確かに男とも女とも判別し難かったが、それは幼さ故だと疑わなかった。実年齢を知って、ユージィンと同じ年頃かそれ以下だと思っていた等とは言えなくなったが。
 第一に大口を開けて笑う女など、余は馴染みが無かった。
 それでもシリウスにおいては――そう、今思えば、思い出してみれば、ツカサを確かに女性として扱っていた節がある。
 余とシリウスにとっての初見であった、あの日。ウィリアムの小僧がツカサを伴って、この宰相室を訪れた日。
 ティシアの結婚相手として召喚した異世界人は、怯えを目に走らせた。騎士、と聞いたのに、貧弱な体格だった。見慣れぬ顔立ち、瞳にだけ不思議な吸引力を持った、その程度しか褒める所の見当たらない少年だと。
 そう思った余の落胆は、顔に出ていた事だろう。
 座れ、と促せば萎縮し、躊躇う素振りに苛立ちさえ覚えた。
 その時も、シリウスは随分と愛想良く応じていたものだ。
 そう、今にしてみれば。あの時のシリウスの態度は、女性に対するそれであった。わざわざ椅子を引き愛しむような笑顔を見せ、ツカサの緊張を解こうと昔話まで振って、緊張するツカサを和ませようと努めていた。
 その行動こそが、違和感だったのを覚えている。
 美醜に関わらず、階級に関わらず、年齢に関わらず、アンサ家は特別、女性に優しい。女性であるというだけで、それは守り慈しみ傅く対象になる。
 その後の数少ない接触の中、シリウスはツカサへの最大限の親愛を示してきた。
 政策に感情を介在させない男が、損得勘定を抜きにした所で、譲歩を見せた。
 例えば、そう。ツカサにブラッドとして、生きていく道を示した事。今なおブラッドは、その存在を抹消されずに生き残っている。異世界人として国王の隣に立つ不自由を強いながら、ブラッドとしても存在する事を許されている。
 ブラッドに利用価値が無いとは言わないが、本来存在しない筈のブラッドを生かす事は面倒でしかない。ブラッドが表舞台で活躍する為の埋めるべき堀には、付随する価値よりも労力の方がはるかに多いであろうから。
 それでもブラッドとしての人格がツカサの心の拠り所になるだろう事を分かっていて、そしてツカサが女性であるからこそ、切捨てずにおれる方策を選んだ。
 邪魔になればツカサを退場させると言う冷厳な宰相。それでもシリウス・ハイネル・アンサは、ツカサが女である限り、そのような事態に陥る事が無いように奔走するだろう。

 それが、アンサ家の性なのだ。




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