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間章 ファティマ・アル・ナージャ
嫌いという感情には、理由があるものとわたくしは思う。
だからこそ、わたくしが彼女を嫌うにも、理由がある。
その一端に、息子が誘惑されたという事実も確かにある。成人したばかりの息子に、あの美しい姫の誘惑は拒み辛いものではあっただろう。それでも主君を思い出し堪えられたのは僥倖だ。その点に置いては鼻が高い。
それはそれとして、わたくしが彼女を厭うのは、彼女が男好きで『女』を武器にするからではけして無い。
わたくしがあの姫に出会ったのは何時だっただろうか。彼女がエディアルドの婚約者であった時分、その前から、バアルの美しい姫君達は有名だった。その娘の一人を妻を亡くしたリカルド一世の後添えに、という話があった頃。
その当時、一番年下の姫君であった彼女は、誰よりも甘やかされて育っていた。どの国の宮廷だったか。夫と共に訪ねた席で、バアル国王の膝に乗ってはしゃいでいた姫君には、あどけなさだけがあった。母譲りという美しい紫紺の髪には、大きな宝石が飾られていた。子供には身に余る装飾では無いか、と、眉を顰めたのを覚えている。
女は美しく着飾って華を添えるもの。嫌な言い方をすれば、女は子供を生む為だけに存在する道具。わたくしの嫌う風潮の中に、彼女は居た。
わたくしは勉学が好きだった。知らぬ知識を得る快感を、そしてまたそれを奮う機会を、求めて欲していた。
王妃になる為に育った。王を公私支える夢だけを見て、育った。その夢が潰えた落胆はあれども、身につけた教養はけして無駄で無かったと思える。
だからわたくしは、幼い姫の行く末をただ哀れと感じた。バアルの王にとって美しい姫は政略の駒でしかなかったから、そうして何時か嫁いだ先の彼女の未来は、わたくしの望むような未来とはかけ離れている事だろう――その事が、哀れだった。
何も知らぬまま、何も見えぬまま、美しさだけを武器に、何処までいけるだろう。何時か老い美貌もまた衰え、そうして夫の寵を失った時、女に何が残るだろう。
傲慢かもしれない。それでもわたくしは、彼女の境遇に同情した。
そうしてその彼女がエディアルドの婚約者となった時――苦せずして王妃の座を手に入れた彼女を少し妬みこそすれ――わたくしは、歓迎すらしたのだ。
グランディアの、そうしてエディアルドの、またその臣下の、わたくし達の、望む王妃は格別だろう。美しいだけではおれぬ。何も知らぬだけではおれぬ。王の隣に立ち微笑むだけでは足りない。
義務を果たす為に必要な覚悟も、知識も、意欲も、そして達成感も。多くを学び、良い王妃へと成長してくれたら。愛や恋だけでは無い女の幸せを、手に入れてくれたら。
そんな事を願いもした。
理想を押し付けただけであったかも知れない。
それでも女性の地位や意識の向上は、世の中の進化に必要だと信じていた。男だけで生きているわけではない、世の中には、女の力だって無くてはならない。
国の腐敗に変革を望む王を助ける為に、彼女には、多くのものを望み過ぎた。
望むだけで、わたくしは何の助力になれなかった。それは悔やまれる。けれど夫や自分の立場を思えば、下手な介入は出来なかった。
だからわたくしが、彼女に失望したのはただの我儘だ。
彼女が何も見ないまま、何も知らないまま、何も考えぬまま、ただ与えられた立場に甘んじ続け、疲弊した国に気付かぬまま、享楽に耽り、溺れ、王ではない男の子供を身篭った時、わたくしは彼女を恨んだ。
頭の片隅では、仕方がない事だと分かってはいた。彼女はバアルでの生活を、グランディアでも求めただけだ。それを疑問にも思わない。そうやって生きて来ただけだ。
与えられた分だけ与える、などという考えは持たない。自分の生活がどうやって成り立ち、豪勢な食事や宝石がどこから運ばれてくるかなど毛ほども興味が無い。
国民の平安の為に戦場に立つ国王が傍に居ない事を罵り、その所為で己がいかに寂しく孤独で、いかに窮屈な想いをしたか――その結果の密通であったのだ、と。
数多の男を侍らして、彼女は言った。
それも仕方が無い事だと理性は告げた。
彼女はそれ以外の生き方を知らない。彼女にとっては当たり前の事なのだ。
そうは思っても、感情は全てを否定した。
分かっている。
分かりたい。
分からない。
彼女を理解しているつもりだし、理解したいとも思ったし、そして理解出来ないと感じた。生き方や考え方の違いでは無い。心の奥深くで。
グランディアの王妃に、彼女は相応しく無い。
その意識は、今でこそ変らない。
だからこそ、リカルド二世陛下が異世界人を選んだのはいっそ小気味良い。ただ異世界人を妻にしただけで全てが助かる等と言う現実があるのなら、それでは立つ瀬も無いしこの世界の人間が不憫でならないが、歴史は確かに語っている。幸運だけでは語れない、確かな異世界人の努力さえも。
そうしてエスカーニャ神の導きを、わたくし達は信じずには居られない。それが、この世界だ。
何よりもわたくしが目にした異世界人には、期待せずにいられない。
そう思わせる何かが、彼女にはあった。
そしてわたくしは彼女が好きだ。不遇の境遇でも前を向く強さが、わたくしの知りえない傷を抱いて、立ち上がる強さが。正直者で浅はかで、優しくて愚かで、気高くて凡庸で、人の悲しみにばかり敏感な、誰でも無い彼女が。
そうしてわたくしの独りよがりな期待は、もう一つの夢を見る。
わたくしが成す術も無く見限ったあの姫をも、彼女は何時か変えてくれるだろう、と。
ファティマ・アル・ナージャ。
あの美しく愚かな、悲しい娘。
わたくしの嫌いな、憎しみすら抱く姫。
けれど彼女もまた、この不憫な世界の犠牲者なのだ。
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