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間章 ナガセ・ツカサ



 彼、もとい彼女は祝雅会から戻るなり、ドレスもそのままにソファに座り込んで、数十分間呆けていた。瞬きも忘れてしまっているのでは無いか、もしくは器用にも目を開けて寝てしまっているのでは無いか、という具合だった。
 私は手持ち無沙汰に、そんな彼女を眺めている事しか出来ない。
 彼女、ツカサ様が女性だという事は知っていたが、この時までの彼女は私の常識の内の女性とはかけ離れていたせいで、どこかで現実と受け止めていなかったのかもしれない。
 それでも綺麗に化粧を施し、柔らかいラインのドレスを着ていれば、確かに女性にしか見えないのだ。絶世の美女とは失礼ながら言えないが、中性的な雰囲気と異国の風貌が目を引き、女性として充分に魅力的だとは思える。勿論、私には妻が一番ではあるが。
 だからそんなツカサ様にリカルド二世陛下が求婚したとしても、不思議は無いかもしれない。
 ただツカサ様同様今回の計画を知らなかった私としては、驚きばかりが先行して中々上手く事実を嚥下出来ないでいた。
 彼女が王国に現れた時分、彼女はティシア王女殿下の婚約者候補だった。しかしその性別が判明してから、彼女はダ・ブラッドとして王城にあった。そのままツカサ様はゲオルグ殿下やジャスティン様の後ろ盾を得て、生きていく筈だった。そして私は、その彼の護衛として傍に侍る役目を仰せつかった。
 けれどそれが何時まで続くのか、私には知る由が無かった。考えた事も無かったのだ。
 国民の多くが賛同するだろうように、異世界人との結婚は大変に喜ばしい事である。
 ただツカサ様の人となりを知り、長い時間彼女を見守って来た身としては、釈然としない気持ちが残る。
 ダ・ブラッドとして名前や身分を騙る事と、異世界人ツカサ様として生きる事と、どちらがより彼女らしくいられるのか――どちらが彼女にとってより良いのか。
 その答えは、分かりきっているような気がする。
 だからおめでとうございます、とも言えずに、かといって自分の職分を越える事も出来ずに、私は立ち竦む事しか出来ず――そんな、時間の事だった。

 この夜、訪れた訪問者はファティマ・アル・ナージャ――バアル王国の王女殿下だ。
 私が扉を開けるなり、彼女は不遜な足取りでツカサ様に近づいた。いまだ呆けたままのツカサ様は、何の反応も見せない。
 その事に、多少なりと不満を感じていただろう。靴音を激しく立てて、その音にツカサ様が鈍く頭を動かすと、満足したように嫣然と微笑んだ。
「ツカサ、と仰ったわね」
 彼女は余りに不躾だった。深夜には及ばないが突然の訪問を詫びもせず、主人の許しも得ず部屋に乗り込んで、値踏みするような視線をツカサ様に向けたのだ。
 けれど私はそれを咎めて良いのか分からなかった。王族の護衛である、という自覚が足らなかった。厳罰では足らぬ、愚かな態度だったと後に酷く後悔する。
 そう、私は愚かだった。
 その女を、ツカサ様に近づけるべきでは無かった。
 ファティマ王女が正式な王国の客でも、同盟国の王が溺愛する王女であったとしても、私が何より優先すべき事は、主人の安全だったのに。
「どうせ異世界人という他に、何の取り得も無いでしょうに。美しくも無い、お前のような下賎な女が――っ」
 私から王妃の座を奪おうなんて。
 憎々しげに吐き出した言葉と共に、その薄い衣装のどこに忍ばせていたというのか、短剣を抜き放った王女の腕が、振り落とされる。
 距離があった分だけ、私の行動は遅れを取った。
 細い腕に握られた刃が、鈍く光る。
「――ッツカサ様ッ!!」
 叫ぶ事しか出来ない自分の情けなさ。
 けれどそれが、主人を救う切欠になったのだとしたら、ほんの少し救われる。
 意識をどこかに飛ばしていたツカサ様の目は、瞬間見開かれ、その動きはまるで豹のように素早かった。
 身を捻ってファティマ王女の攻撃をかわすと、テーブルの中央に置かれていた三叉の燭台を翻し、ファティマ王女の短剣を受け止めたのだ。
 何が起こったのか、覚醒したばかりの彼女は分からないままだっただろう。
 私がファティマ王女を羽交い絞めにし、その細腕から短剣を叩き落とした時、ツカサ様は惚けたように「ファティマ姫?」と呟いた。
 何故彼女がそこに居て、私に戒められているのか分からないようだった。
 燭台を両手で握って、暴れるファティマ王女を床に縫いとめている私に向かって、
「何してんの」
と、混乱気味に続ける。
 その間もファティマ王女はツカサ様に向けて罵詈雑言を吐き続けているというのにだ。
 緊張感の欠片も無いツカサ様は、何処までも彼女らしかった。
 今しがた殺されかけたのだ――ファティマ王女にそれだけの能力は無いだろうとしても――という事を私が伝えても、「はあ」と他人事のような声を上げただけ。
 その態度もファティマ王女の気に障ったのだろう、私にとっては簡単に止め置ける程度だが抵抗を続ける王女は、悪魔の如き形相で叫ぶ。
「私の方が王妃に相応しい! 私のものをお前になどくれてやるものか!!」
 一体何の根拠があってそこまで思い込めたものか。その地位に誰よりも近かった時代に自分から全てを捨てて去って行ったくせに。
 私は溢れる失望を、王女の頤にかける力に込めてしまったのだろう。掌に骨が軋むような感触がしたし、王女は痛みに悲鳴を上げた。
「ちょ、クリフッ!! 何してんの!」
 さて、この場合非難されるのは私であるべきなのか。
「離せ、離せ、その手!」
「なりません」
「だって相手は女性なのに!!」
 ツカサ様には状況が見えていないのだろうか。私が戒めをといたとすれば、ファティマ王女は再びツカサ様に向かっていくかもしれない。向かった所でツカサ様なら軽くいなしてしまうのだろうと思うが、しかしそれでも、今度こそは遅れを取るわけには行かなかった。
「貴方は殺されかけたんですよ」
「でも生きてるし! っていうか、何でそんな事に!?」
 彼女の動揺っぷりはこんな時でも喜劇めいていた。肩を竦めてしまいたい気分だが、力を緩める阿呆は犯さない心積もりだ。
 もう一度掌に力を込めると王女は呻き、今度悲鳴を上げたのは何故だかツカサ様だった。
「ちょ、ほんと何してんの何してんの何してんの!?」
 主人の命を守ろうとしているのに、何をしているも無い。
「ファティマ姫も、何考えてんの!? そんな事しなくても、王妃の座なんて欲しくないんだけど! っていうか、こちらが土下座して頼むよホント。もってってくれよ、欲しくないよ!」
 あんな魔王の妻なんて死んでもなりたくないよ、と。世の女性の多くが羨望する座を、ツカサ様は何とも簡単に言ってくれる。
 それにその言葉は、逆効果でしかないだろう。床の上のファティマ王女の抵抗が強まる。強張った身体は怒りの為だろう、戦慄いた。
「それにファティマ姫も、よく考えて? あんな陛下より、貴女にはもっと相応しい相手がいるよ?」
 ただただファティマ王女を逆撫でしているだけだが、ツカサ様の声音は真剣だ。己を殺しかけた――という程の脅威では勿論なかったのだろうが――相手に、何を心底言い募っているのか。
 残念な事にファティマ王女には届かないし、私も彼女を放免するつもりは無いので、この経緯はきっちり報告するが。
 それでも、緩んでいく表情を、私は自覚していた。

 この方が、仕える主であって良かった。
 ダ・ブラッドでも、ツカサ様でも、彼女でも、彼でも、異世界人であろうが、なかろうが、王妃であろうが、違おうが。
 私はこの方が、この方だからこそ、好ましい。

 場違いにもそんな事を、確信した夜だった。




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