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09 陛下の逆襲 5



 アラクシス家別邸での四日間の生活は、地獄だった。
 一度目は薬の力とはいえ、二度目は本気で卒倒したのに、そんな事は無かったように、ユーリ様は俺に女装を強制した。
 ほんわかした空気を纏いながら、ジュリスカさんもユーリ様に負けず劣らぬ強制力を行使した。
 別段ハンナさんの授業みたいに、厳しい教育時間が設けられたわけでは無い。作法は男女で大きく違いがあるわけでも無いので多少修正されたくらいで、後は歩幅の矯正程度。ブラッドで丁寧な言葉遣いに慣れていた事もあって、それらの事を正すのは難しい事では無かった。
 朝起きて、メイドさんの手でドレスに着替えて、化粧を施され、髪を纏められ――女性として生活する。
 ゲオルグ殿下一家も、使用人達も、当たり前の顔で俺を女扱いする。
 それが俺にとってどれだけ屈辱か、どれだけ精神を磨耗する事か、誰も頓着しない。
 それでも逃げる場所が無いのだと言い訳して、他に選択肢は無いのだと言い聞かせて、心の中で懺悔しながら、俺は堪えた。
 日毎夜毎募っていく苛立ちは吐き出す術もなく、やがて諦観の念の中に沈んだ。
 意志を曲げる事でこの世界に受け入れられるのなら、それで構わない。俺は諦める事に慣れている。日本での自分がそうだったように――そう自嘲して、女装した自分を鏡越しに見つめる。
 滑稽だ。
 似合うか似合わないかで言えば、そう特別おかしい所は無い。
 だって俺は、女なのだから。
 男だってユージィン少年のような愛らしい見目の子であったら、ドレス姿もさぞ似合うだろう。クリフやライドみたいに体格が良くて身長もある男だったら、どう考えても不釣合い。
 外見なんてそんなものだ。
「馬鹿馬鹿しい」
 鏡の中で艶やかな唇が歪んだ。
 きっと男だろうと女だろうと、目的が達成されるのならばどちらでもいいに違いない。それこそ俺でなくとも――誰でも。



「さあ、ツカサ。準備はよろしくて?」
 隣室で俺の着替えを待っていたジュリスカさんが、メイドさんを従えてやって来る。
 俺が振り返ると、彼女は満足そうに頷いた。
「今日の主役はティシア王女。だから貴女はその付添人として、一歩後ろに控えているだけ。挨拶されたら瞳を伏せて会釈、けして話をする必要は無いわ」
 再三言われた内容を、ジュリスカさんは口にする。
 名乗る必要も、おべっかを並べた会話も必要ない。王女が連れた正式な付添人に素性を追求するような不躾な人間が居たら、礼儀を弁えない愚か者。
 そう繰り返されて、相槌を打った。
「いってらっしゃい、ツカサ」
 双子の娘の世話があるので、ジュリスカさんは居残り組だ。既に行われている式典に参加しているので、ゲオルグ殿下、ユーリ様にセルジオさん、ジュリスカさんの夫であるローナン侯爵はもう屋敷には居ない。
 俺はスチュワートさんの操る馬車に乗って、一足遅れてアレクセス城に向かう事になる。
 誰を恨んでも仕方が無い事だ。これが俺の価値だと諦めて、後はただ今日を終えるだけ。
 そうしてこんな悪夢が今日限りで終わる事を、祈る他無い。
 大きく息を吸い込んで、背筋を正す。
 なるようになれ、だ。
「行って参ります、ジュリスカ様」
 高い声音を意識して畏まって頭を下げる。



 ――この先の運命を、俺はまだ、知らない――。



 グランディア城門に列を成す馬車が、次々と中へ吸い込まれていく。
 甲冑姿の衛兵が武器を携えた物々しい空気の中、馬車は一つ一つ中を改められ、ゆっくりと進んでいた。
 しかしアラクシス家の紋を刻んだその馬車だけは、渋滞を尻目に淀みなく城門へと行き着いた。
 、スチュワートさんは係りの者に招待状を手渡し、俺がゲオルグ殿下縁の人間であり、ティアの付添人である事を告げる。
 御者台を降りたスチュワートさんは、ノックの音と共に「お嬢様」と囁いた後、静かにドアを開けた。係りの男は歓迎の口上を述べた後、さっと内部に目を走らせただけの簡易なチェックを済ませ、すぐに馬車を中へと通す。
 城門に控えていた騎兵が当然のように馬車を護衛する。
 そんな事も知らない俺は憂鬱な溜息を吐き出しながら、ただ馬車に揺られていた――。

 四日ぶりのグランディア城は、不思議な熱気に包まれていた。すれ違うどの顔も晴れやかで喜びに溢れ、ティアの成人を心から祝っているように見えたが、それだけでは無いようにも思えた。
 通されたのは、ティアの部屋だ。侍女の一人が促すままにソファに座って出された紅茶を啜っていると、やがてハンナさんが現れた。
 ハンナさんも美しく着飾って、深みのある青いドレスが印象的だ。
 彼女とは五日前にお互い腹立ちながら別れたので、どう接していいのか分からない。何とか立ち上がったものの言葉が出てこないまま、数秒見詰め合ってしまった。
 けれど気まずい気分の俺とは対照的に、彼女は俺を見るなり目を見開いて、ゆるゆると相好を崩していった。
「ありがとうございます」
 突然脈絡も無く告げられて、小首を傾げれば
「ティシア王女殿下が、喜ばれます」
ティア至上主義のハンナさんらしい物言いに俺の気まずささえ払拭される。
「ユーリ様を味方に引き入れるのは、ずるいと思うな。あの人には、逆らえないよ」
 例えるのならハンナさんは、逆らったら後が怖い人。ゲオルグ殿下やリカルド二世陛下は、逆らう気力さえ沸かない人。ティアは逆らったらこちらが罪悪感に潰れそうな人。ユーリ様は逆心を笑って無視する人だ。
 ユーリ様に「何か仰って?」と笑顔で問われた瞬間、意気とは裏腹に頭をぶんぶんと左右に振ってしまう。
「逆ですよ、ツカサ様。ユーリ様を味方に引き入れたのではなく、私が引き入れられたのです。ですから拒否権は私にも無いのだと、先日申し上げましたでしょう?」
 ハンナさんは肩を竦めた後、少しだけ苦く笑う。その様子が普段と違っておやと思っている間に、ハンナさんの顔にまた笑顔が上った。
 ハンナさんは笑顔を安売りする人では無かった筈だけど。
「それにしても、ツカサ様は存外器用な方でいらっしゃいますね。そうしていると、とてもブラッド様と同じ方とは思えません」
「……そう?」
 今度苦笑するのは俺の番だった。ハンナさんの性格上手放しで褒めそやす事は無いと思っていたけれど、これはハンナさん流の賛辞と見ていいだろう。
 彼女は視線を俺の身体の上から下に流して、嘆息する。
「本当に、不思議な方」
 何だか良く分からない感想に目を瞬かせた俺に、ハンナさんは答えをくれない。
 促されてもう一度ソファに座れば、対面に彼女が座した。
 空になったカップに紅茶を注いでくれ、何も言わなくても砂糖を二つ、落とす。
 器用というのなら、彼女の方がそうだろう。同じ仕草をしているのに、今のハンナさんはとても堂々としていて存在感がある。何時もは空気のようにその場に溶けてしまっているかのようなのに、侍女として在る時と、令嬢として在る時とを、とても巧く切り替えているように思う。
「祝雅会は一時間後ですが、その前にティシア様がお部屋にお戻りになります。いましばらく、私と共にお待ちください」
 彼女は自分のカップに目線を落としたまま言う。その睫毛はやはり髪の毛と一緒で、赤味がかった茶色だった。
 俺の視線を物ともせず、ハンナさんは優雅に紅茶を啜る。彼女はどうやら砂糖もミルクも入れない派らしい。
 カップを音一つ立てずソーサーに乗せたハンナさんが顔を上げる。
「二、三確認致しますが、」
 思い出したように口を開くその物言いは、何時もの侍女のハンナさん。
「ツカサ様は何かご持病などはお持ちですか?」
「……は?」
「今更ではございますけれど、異世界では定期的に医者におかかりに?」
「ああ、それは、うん。年に一回学校でも健診があったけど」
 唐突に、そんな事を言うので戸惑ってしまう。
「健康面や身体面で、何か問題はございましたか?」
「ううん、全然」
 どうしてそんな事を聞くんだろう、と俺の顔は聞いていた事だろう。表情を先読みして、ハンナさんは次々に問いを投げ掛けてくる。
「それはようございました。ではこちらの世界に来て、何か違和感を感じられた事は? 大きく体調を崩された事は無かったと存じますが、私共に隠されてはいないと、そう思ってよろしいですか?」
「うん」
「念の為、後日健診を頂きたいのですが、構わないでしょうか。私共も失念しておりましたが、こちらに来た事でお体に異常が無いとも限りませんし」
 それは本当に、今更だ。
 だけれど既に性別がバレている今となっては、別段拒否する理由も無いだろう。ハンナさんの言う健診がどの程度のものを言うのか分からないけど、医者に診られて困る事はない。
 元々風邪もほとんど引かない健康優良児だし、小学校時代にクラスメートが嫌がった注射などの類も、構わなかった。針から血が抜かれていく感覚が嫌なんだ、と言う人がいたけど、そういう繊細な感覚は俺にはないようなのだ。
 逡巡してみても悩む必要はないと結論付け頷けば、ハンナさんは
「それでは後日お時間を頂きます。医局にはクリストフがご一緒しますので」
と、どこか安堵したような表情を見せた。
 それに違和感を持ったものの、一分一秒進んでいく時間と自分の格好ばかりが気にかかって、実はそれ程、ハンナさんの態度を奇妙に思いもしなかったのだ。
 ――この時は。




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