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09 陛下の逆襲 4



 ――拝啓、母上様。
 あの時、あなたが買って来た女の子の服を、庭に放り捨てたりしてごめんなさい。雨の降る庭先で、泥だらけの服を拾い集めるあなたの背中が、震えているのを知っていても、「クソばばぁ」などと怒鳴った俺は、愚か者でした。
 小学校の入学式で、あなたが俺を憂慮して、それなりに妥協した黒いワンピースを選んで来た時。
 娘の髪の毛を毎日結うのがあなたの夢だと当時は知らなかったけれど、坊主に近い短髪に無理矢理ピンをつけようとした時。
 戦隊ゴッコで高い塀から飛び降りて腕を二針縫った俺に、女の子なのにと嘆いた時。
 あなたを煩わしいとさえ感じ、わざとらしい程に男の子で居ようとした俺に、あなたが絶望を感じてもおかしくなかったのでしょう。
 あなたがどんなに言葉を尽くしても聞く耳持たず、俺は色んなものを壊しました。
 それなのに今、こうやってあなたの望みを果たしている俺を見たら、あなたは何て言うだろう。
 ――でも、一言だけ、言わせて下さい。
 これでもすっごく、抗ったんです。



 一瞬ユーリ様の有無を言わさぬ雰囲気に怯んだものの、いよいよもって雲行きがおかしくなって来た頃、俺は必死で抵抗を試みた。
 ドレスを一通り見たものの候補止まり。ジュリスカさんがとりあえず化粧をして鬘を被せてみてはと提案した為に、ユーリ様のお世話係である侍女二人までもが加わって、昨日と同じ様に、壁に追い詰められた。俺はその時と同じ様に、背中で手を組んでうさぎ跳びをするような格好で丸まった。しかし今日は四人も敵がいる上に、傍観者に徹していたゲオルグ殿下が奥さんの一声にあっさりと落ち、力に任せて俺を立たせてしまった。
 鬘は簡単に被せられてしまったが、ウェーブの掛かった長い髪は暗い茶髪で、それだけで随分変ると感嘆の声を漏らしたゲオルグ殿下とは対照的に不満げな女性陣が却下した。
 肩や腕、足を押さえられソファに磔にされた俺の顔に、化粧道具が近づいてくる。
 それでも俺は諦めずに、頭を激しく振ったり、歯を噛み鳴らしてみたり、顎を押さえられてからも変ガオを作る要領で顔の筋肉を駆使してそれらを阻んだ。
 よっぽど変ガオの方が恥ずかしいだろうと言われたけれど、俺にとっては女装の方が随分な羞恥プレイである。そう叫んでみたものの、羞恥プレイという単語は通じなかったようで華麗に無視されたが。
 ついでに言えば、俺が暴れたせいでドレスも一着破けた。
 恐らくとても高価だろうドレスの無残な姿に俺は一瞬蒼白になったが、幸いなことに彼女達にとっては些細な事で、雑巾にでもしたら良い、と恐ろしい事を言っていた。
 最終的には女装をするなら死んだほうがマシだ、とまで覚悟を決めて、「陛下の前にでも反逆罪とかで引っ立てて」と頼んだら、「ツカサの分際で勝手に死のうなんて許しませんよ」と、まるで宿題を忘れた生徒を叱るような当たり前の口調で、何とも高慢な発言がユーリ様からは飛び出た。
 ジュリスカさんは「恥も外聞も持たなければ良いのよ」と無理な事を言った。
 二人の侍女は頷き合って「人形になられた気分で!」とこちらも無理な事を言った。
 先程ユーリ様は俺の事情も葛藤も関係ない、と言い切ったし、俺も自分の心情を吐露するつもりも、理解してもらうつもりも、無い。
 ただ、この件に関してはそっとして置いてほしい。
 自分は今のままで良いのだ。
 ――今のままが、良いのだ。
 それでも言い合いを続けて、呆れたゲオルグ殿下とセルジオさんが隣室に避難する位には白熱して、喉に痛みを覚え出した頃。
「これでも飲んで少し落ち着きなさいな」
 とユーリ様が手ずから入れてくれた紅茶を一気飲みした。

 そこで、視界がブラックアウト。



 ――ああ、母上様。
 誰が、どうして、思えましょう。まさか薬を盛られて、その間に、もう事が全て終わっているなんて。
 あなたが同じ方法を選んでいたら、一度ならずとも二度も三度も女装したに違いないでしょうが、その方法を取らずにいてくれた事に感謝します。



 何だかひどく楽しそうな笑い声が聞こえていた。声を潜めながらも隠し切れない愉悦に満ちた響きで、俺の耳元を擽っている。
 次第に取り戻した思考能力で、暗闇を一点の光に向かって浮上していくような感覚を覚えていた。
 視界はすぐに開けたけれど、すぐには状況の把握が出来なかった。
 ただソファに座ったまま寝ていたらしく、背中や肩などの上半身――主に腰周りが凝り固まったように窮屈だった。
 あとはなんか、項の辺りがすーすーする。
 上方に細い糸のような影がさしているせいで心なし狭い視界の中で、キャァと甲高い声を上げた二人の侍女が手を叩き合って喜んでいた。
 姉妹だという二人は息が合っていて、手を取りぴょんぴょんと跳ねる仕草はまるで鏡で映したかのようだ。
 半眼でそんな二人を不思議に思いながら首を捻ると、何だか下に引っ張られるようだと感じていた耳元で金属がぶつかるような微かな音がした。
 違和感に指先を耳に持って行ってみれば――。
「……あれ?」
 何かが。何かがぶら下がっている。まるっこいツルツルした手触りの、冷たい何か。少し力を入れれば、ただ耳たぶを挟んでいただけのそれは簡単に外れて、掌を転がった。
 それが雫形をした湖面のような色合いの宝石だと分かったが、それよりも。
「ま、さかっ!」
思わず両手を突き出せば、掌の中にあった宝石は転げ落ちてしまったが――恐怖に慄く俺は、その価値何千万とかしそうな装飾品の事なんて考えもしなかった。
 一見したら、普段着ているシャツと仕様は変らない。色はほぼ白に近い黄色で、サテンのような光沢なのだ。だけれど袖の手首辺りを、目の粗い紺色のレースが縁取っている。
 恐る恐る見た肩口にはシュークリームみたいなボリューム、少し視線を下げた胸元は、何を詰めたのか豊かに盛り上がっている。台形に開いた首周りにも控え目な紺色のレース。
 俺が全身を確認して、間違いなくドレスを着ていると悟った頃、ユーリ様は隣で満足そうに頷いた。
「心配しなくとも、とても似合っているわよ」
「どこからどう見ても、麗しいご令嬢よ、ツカサ」
「本当にお綺麗ですー!」
「お似合いでございますー!!」
 ジュリスカさんや二人の侍女まで追従して褒めてくれる声。
 戦慄いた唇からは悲鳴も非難も出る事は無かった。
 ありえない。
 善意なのか何なのか、全身鏡を奥から引っ張ってきた侍女その1がそれを俺の目の前に持ってくる。
 つまり、俺は、客観的に自分を見てしまったのだ。
 くびれた腰から膨らんだ、鐘のようなシルエットのスカートを持つ、シンプルかつ優美なドレス。髪の毛は短いながらも纏められ、白いレースのバレッタのようなもので止められている。左側の横髪が少し遊ばせて、そちらだけつけっ放しの雫形のピアスが不恰好に残る。花に例えられるような可憐さは無いし、けして色気が漂う風でもない。特別な派手さも無い、俺の観点でも少しお洒落な格好、程度。
 だけれどそれを着ているのが自分だと分かる、つまりその顔。
 眉は細く整えられているし、ファンデーションで肌の色も普段より明るいというか輝いているようだし、唇も頬も目元も仄かに色づいて、睫毛だって何時もより長いし、二重のラインも綺麗。
 ちゃんと、女性に見える化粧。
 どこからどう見ても、女装した男には見えない。そんな事は分かっているし、そう見えたら見えたで納得がいかない。
 心の内でそう唱えながらも、俺の視界は再度ブラックアウトした。



 ――母上様、ああ、母上様。
 誓って言います。
 俺はけして、自ら望んで、こんな格好をしているんじゃないんです。
 綺麗なドレスも、化粧も、装飾品も、いりません。
 竹刀を持って駆けずり廻っていた、幼いあの頃のままなんです。
 可愛いものになんて興味もありません。色鮮やかなドレスにだって、心躍ったりしません。キラキラと輝く宝石箱の中身にも、目を奪われたりしません。
 あなたの願いを否定して、家族を捨てさせた時のまま。

 ――今更、何も望みません。




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