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07 来たりし者 19



 俺の一日は鍛錬から始まる。それから浴場で汗を流し、朝食を取って、ローラさんやジャスティンさんの授業を受けて、昼食を取って、ティアやラシーク王子、ゲオルグ殿下やユージィン少年、時々貴族の方々とお茶をしたり、ネロを駆りに外出したり。それからまた自主勉強をして、夕飯を食べ、10時前後に就寝する。
 大抵一日の予定はこんなもの。
 この日も朝食後にローラさんの授業を終えた所だった。
 少し早い昼食に、ティアから召集がかかって彼女の部屋に向かうと、ティアは満面の笑みで抱きついてきた。
 俺の腕を引いたティアと、隣り合わせでソファにかける。その時も俺の両手は彼女の手に握り締められたままだ。俺のマメばかりの手と違って、傷一つ無い柔らかな感触。
 一時期痩せてしまった身体は未だに細いと思うけれど、健康的に見える程度には戻ったようだ。
 白い頬を薔薇色に紅潮させて、ティアは俺の瞳を真っ直ぐに見つめてくる。
「ルークが、戻っていらっしゃるの」
 成程、一月弱離れていた恋人の帰郷が嬉しいのか。美しく囀る可憐な少女は、そう言って便箋を差し出してくる。
 見ていいのか、と目で訴えれば、こくりと頷く。
『シア、可憐なる天使よ、私の至宝よ』
 ――詩のような文脈で始まった手紙は、分かっていたけどルークさんからのそれだった。一行目で既に読む気を無くしたとは言いがたく、我慢して読み進める。
『お風邪など召されずに、健やかにお過ごしでしょうか。私は貴女の笑顔を思い出すだけで、毎日疲れなど感じる事もありません。どうかご心配なきよう。ただ、貴女を恋求める余り、毎夜貴女の元へ走り帰る夢ばかりを見ます。愛しいシア、貴女も私の夢を見て下さっているでしょうか――中略――私のシア、もうすぐ帰ります。貴女の声が早く聞きたい』
 用件は最後の一行だけで、それ以外は全てティアに向けた愛の言葉だった。
 頭が痛い。
 手紙を読むまでもなく、ティアが告げたルークさん帰郷の報だけで事足りるでは無いか。
 それでも期待に満ちた瞳で見上げてくるティアに、欲しいであろう言葉をあげる。
「……良かったね」
 その瞬間に、蕩けるような笑顔が浮かぶ。
 ルークさんじゃないけれど、天使と形容するに相応しい、どこまでも透き通った穢れの無い微笑みは、女の俺でもドキリとする程だ。
 実はルークさんが帰ってくる、なんて事は昨夜ゲオルグ殿下から聞いていたのだけれど、それでも一緒になって喜んであげたくなる位、ティアは幸せそうで。
「わたくし、本当に嬉しいの」
 大きな瞳に、涙が盛り上がっていく。
「一度は諦めた振りをしたけれど、あの方以上に愛せる人なんて、居ないと分かってた。なぜ王女になんて生まれてしまったのかって、神を恨んだ事もあったわ。何もかも嫌になって、辛くって、苦しくって――でも、わたくしには全てを捨てる勇気なんて無かった。色んな言い訳をして、ツカサを召喚して――それなのに、愚かなわたくしは初めての恋を捨てる事も出来なかった」
 ごめんなさい、と小さな声で呟いて、それでも必死に涙を留めて、ティアは言った。
「わたくしは、貴女の人生を犠牲にして幸せを手に入れます」
 犠牲、という言い方をされれば、確かにそうだろう。彼女達に言わせれば、日本での生活はもう取り戻せない。還せない。帰れない。
 俺だってもう、大半諦めている。
 それが悲しい事なのか、それとも幸せな事なのかは分からない。
 それでも理解している。理解してしまっているのだ。
 帰りたいかと聞かれれば、帰りたいと答えるけれど――そこに迷いは無いかと言われれば、迷いはある。今すぐ帰る方法が見つかった、と言われて、躊躇わず過去を選ぶことは出来ない。
 日本とこちらと、どちらで生きていたいかと聞かれれば、俺には答える事は出来ない。
 つまり、俺にとっての今までの人生なんて、その程度の事なのだ。
 それに今の生活はあながち不幸でもない。むしろ嘘を突き通してティアの結婚相手に納まっていた方が、不幸に違いないのだ。少なくとも、隠し事をせず、自然にいられる今の方が、幸せだったりするのだろう。
 それをティアに説明する気は無いのだけど。
「幸せになって」
 嘘偽りのない気持ちでティアの頭を撫でながら囁けば、彼女は泣き笑いの顔で頷いた。



 ティアの部屋を辞して、自室へ戻りながら、俺は昨夜のゲオルグ殿下との会話を思い出していた。
 一つは勿論、ルークさんの帰郷の話。ウージとの交渉の運びは、滞り無い、という。ナムン族のジギムさんを筆頭に、ウージの族長達はルークさんを囲む交渉の座についた。補佐という名目でその場にいたグランディアの政務官は、でくの坊よろしく立っていただけ。全てルークさんの手腕で、新しい法案が締結された。政務官はルークさんの仕事振りにいたく感銘を受けた旨を、陛下に宛てた報告書に記したそうだ。
 それはそのまま議会においても報告され、放蕩者で有名だったルークさんの評価を覆した。ルークさんが指揮を執る事に不満を零していた貴族達も、今や沈黙に徹している。
 クラウディ家から縁を切られ、後ろ盾を失ったルークさんだったが、今回の恩賞で勘当処置も撤回されるのではと噂されているようだ。
 ただし国王陛下はこれに否定的で、現在の所は三戒処分の撤回のみが妥当というのが言い分だった。交易の継続が確実化し、その実績を見て考える。
 つまりルークさんは貴族としての恩寵を受け取る事は出来ない。今までの贅沢三昧は出来ず、質素倹約に、ウージとの交渉にのみ努めよ、という事なのだ。
 けれどゲオルグ殿下の見解では、国王陛下は近く、恩賞の一環でティアとの結婚を許すだろうという。そうすればルーク・クラウディとして生きるよりも、よっぽと高い地位を手にする事になる。
 難しい事は分からないけど、ルークさんは思った以上の成果を挙げて、帰城する。
 そうしてゲオルグ殿下の話の二つ目は、彼の家族の事だった。俺の教育係として奥さんのユーリ様を早く呼び出す筈だったのだが、娘の双子の子供が体調を崩し、それを待って領地を出てくる事になっていた。セルジオさんとユーリ様、ジュリスカ様とその双子の子供は、明後日にも王都に着くだろうという話。セルジオさんの時と同じ様に紹介するから、明後日は予定を空けておけと言われた。
 そして最後に、もう一つ。これは何ていうか――俺自身にはちっとも関係無いけれど、セルジオさん達とどちらが早いか、という時期にやってくる女性の話。
 女性の名前は、ファティマ・アル・ナージャという。誰かに似た名前だな、と思いつく前に、ゲオルグ殿下は説明してくれた。
 アルは、バアル王国の王族が冠する名前。つまり、バアル王国の王女である。彼女は国王の名代である王太子と、ティアの成人を祝いに来るのだ。
 ラシーク王子の異母兄姉、という人達である。
 ただし、そのファティマ姫はラシーク王子以上に、グランディアに縁のある方。
 口元を意地悪く歪めながら、ゲオルグ殿下は愉快そうに笑った。
「アル・ファティマは、エディアルドを捨てた側妃の事だ」
 何時か、ウィリアムさんに聞いた事がある。リカルド二世陛下の二回の離婚歴、一人はグランディアの貴族の娘、一人は南国の美姫。
 その南国の美姫、というのが、ファティマ姫の事のようだ。
 前王リカルドの時代に上がった婚約話は、陛下が玉座に着き、成人を迎えた年に実を結んだ。二人とも、16歳だったという。正妃候補としてグランディアに嫁いで来たファティマ姫だったが、その結婚生活は3年という短い期間で終わりを告げた。
 当時のグランディア国内は疲弊していて、リカルド二世は国内を飛び回って今以上に政務に明け暮れていた。民が貧困に喘ぐ中、賢帝リカルド二世は国庫を開きそれを配分し、とても毎日の夜会を開いているような余裕は無かった。それに加え、同盟国が起した戦に参加するため、陛下は国を半年も離れていた。
 自国で蝶よ花よと育てられ、贅沢を謳歌していたファティマ姫は、そんな状況に堪えられなかった。その上性に奔放なファティマ姫は、王の居ないアレクセス城で幾人かと密通し、その内一人の子供を身ごもってしまったのだという。
 不倫の末の子供、というやつだ。
 けれどファティマ姫は悪びれもせず、「陛下が構って下さらないから」とのたまったそうだから恐ろしい。
 陛下は相手の貴族にファティマ姫を降嫁させようとしたのだが、ファティマ姫は貴族との結婚を嫌がった。結果、彼女は実家に舞い戻り、程なく離婚が成立したのだという。
 ちなみに生まれた子供は父である男の下で育てられ、ファティマ姫は一年もしない内に、隣国の王に嫁いでいったとか。
 隣国の王の元で、彼女は望む豪華な生活を楽しんでいた筈が――またしても、最近に離縁して、どうやらまたバアル国に戻っていたそうだ。
 そんなファティマ姫がやって来る、という事が、何やらゲオルグ殿下にとっては大層嬉しいらしい。
「あの姫は、さて今度は何をやらかしてくれるのやら」
 ちなみにこの人の訪問を、ティアも複雑そうな表情で教えてくれた。ティアが「わたくしは苦手だわ」とはっきり言うような相手だったので、もしかしたら面倒な人なのかもしれない。
 関わる機会がありませんように、と俺は願うばかりだ。




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