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07 来たりし者 18
はっきり言って。はっきり、言ってだ。
俺は完全に、なめていた。
だってリカルド二世は、どちらかというと頭脳派の筈で、一日の大半を椅子に座って過ごしているのだ。
幾ら自衛の為の戦う手段を知っているからと言って、たかが知れていると思った。
なのに、隙も無ければ無駄も無い。
躊躇いも無く急所を狙ってくる軌道に、意気込みとは裏腹に俺は防戦一方になる。
息つく暇も無く繰り出される攻撃を受け止める度、鋭い金属音が室内に響く。
陛下の剣技は、悔しいけど格が違った。しかも明らかに手を抜かれている気配がある。
実力の適わない相手が纏うオーラは、陛下が一手を打ち込んで来た時から感じていた。浅い踏み込みで突き込んで来た一撃は剣が伸びたのかと錯覚する程速く、体全身で受け止めた俺の方がよろけたくらいに重かった。
反応が遅れたわけでも無いのに、二撃目も三撃目も、辛うじて受け止めただけで、もう少し陛下の攻撃に力が入っていれば、剣は跳ね飛ばされていた事だろう。
しかも防いでいる、という状況もただ身体がどうにか反応しているだけだった。
防御で手一杯の状態が、どれくらい続いたのか。ふいに陛下が動きを止めた時、俺は肩で息をし、だらだらと汗を垂れ流している有様だった。
対照的に陛下は、始める前と同じ様な涼しい顔。
「準備運動ぐらいにはなったな」
と嫌味ともつかない一言に、言い返す気力もない。
噴出した汗が次から次へと顎を滴り落ちていく感触を、無理矢理拭って止める。
ああ、くそ。本当に腹立つけれど、ぐうの音も出ないくらいの、完敗。
天は二物も三物も、陛下に与えすぎだよこんちくしょう。
勝負の終わりを見て、少し離れた位置で見学していたラシーク王子が寄ってくる。
「お二人とも素晴らしいです!」
少年のように屈託無く笑って、陛下を見、俺を見る。
俺は何とかブラッドとしての体裁を繕って、王子に苦笑を向けた。
「陛下は勿論の事、ブラッド殿は本当にお強いでのすね」
「私など、まだまだです。陛下に手加減頂いても、あの有様ですから」
「そんな事はございません。陛下との打ち合いがあんなに長く続く方は、余り居ないのですよ」
「……そう、なんですか?」
「ええ。そうでしょう、陛下?」
思わず、俺も陛下に視線を向けてしまう。二秒、三秒、陛下が答えるまでの間、何となく視線が合った。
視線を外すのと同時に、陛下が紡ぐ。
「ブラッドに剣の才があるのは認めよう」
全く興味も感動もなさそうな平淡な口調ではあるものの、俺は、確かに、聞いた。 それがどれ程、衝撃を受ける返事だったことか。思わずにやけそうになった顔を、汗を拭う振りで隠す。
ありがとうございます、と俯き加減で言う俺の声には、喜色が浮かんでいた事だろう。
小さい頃から磨いてきた腕を褒められるのは単純に嬉しい。相手が癪に障るリカルド二世でも、褒めたとは言いがたい口調でも。
そんな一言だけで、心は弾む。
「今後も、励むがいい」
「はい、陛下」
普段であれば何様だ、と悪態を付きたくなる横柄な言動にも、素直な気持ちで頷けてしまうから不思議だ。
剣道は、俺にとって全てだ。
赤ん坊の頃から、父の道場は俺の生活に密接していた。
小学校へ通う長兄と送迎バスで幼稚園へ向かう次兄を見送った母は、家事を終えるとお弁当を持って父の居る道場へ向かって、父の鍛錬の様子を俺と一緒に眺めていたらしい。俺は道場の掛け声を子守唄に寝るような赤ん坊で、竹刀を打ち合う音を聞けばご機嫌よく笑っていたらしい。
幼稚園に上がって母の手を煩わせなくなっても、俺は朝も夕も、友達と遊ぶより道場に通う方が楽しかった。まだ竹刀も握れない頃から、父や二人の兄が必死に竹刀を振るう姿を見て、歓声を上げていた。素振りをする仕草を拾ってきた棒切れで真似をしていたらしい。大きくなれば自分も当然のように剣道を習うのだと疑っていなかった。
父と二人の兄は俺のヒーローだったから、何でもかんでも彼らを真似、男言葉を操り、男子のように振る舞い、毎日のように怪我をこさえた。
母の望む女の子らしさなど無縁で、彼女の心配など無視し通しで、母は何時でも嘆いていた。
それを俺の個性だと認めてくれなかった母にも、問題はあったと今では思う事もある。
けれどそれが理由で夫婦仲に亀裂が入り、兄達が心を痛めているなんて考えもつかなかった。
正式に剣道を習いだした頃、俺はそれがただ嬉しくて、父が褒めてくれる事が嬉しくて、その大きな手に頭を撫でて欲しいが為に、竹刀を振っていた。
兄達が剣道を辞めた理由も考え付かなかったし、生まれたばかりの弟の育児を母が放棄していたなんて、知らなかった。
家の中に洗濯物が溜まり、掃除が行き届いていない、なんて事も。夕食に出るおかずが、買ってきた惣菜ばかりになっていた、なんて事も。
そうして母が俺の手を振り解いて家族を捨てた後も。長兄が一人暮らしを始めた時も、次兄が非行に走った時も、まして弟の無口な性も。
原因が自分にあったなんて考えもしなかった。
自分が家族に疎まれている、と気付いた時には、何もかもが遅かった。
既に剣道を捨てようと、女の子らしく振舞おうと、家族仲は修復できない。そうしようものなら自分達への当て付けだと兄弟には更に疎まれたし、父の失望は大きかった。
家族にとっても、周りにとっても、ナガセツカサのイメージは固定されていて、何もかもが今更だった。
中学生になった俺が男子の学生服に身を包んで生活をしようと、それが誰にとっても当たり前になっていた頃、密かに抱いていた女子への羨望を、一体誰に言えただろう。
可愛らしい小物達。女の子達が色鮮やかに書く文字。教室で広げられた雑誌を見ながら、この服が欲しい、とはしゃぐ姿を盗み見て、あんな服が欲しいと思った事もある。
誰に言えただろう。
自分には似合わないと諦めた振りをして、理解出来ないと悩みながらも夢想した。
少女達の話題のほとんどは恋愛ごとで、それに対しては本気で今でも尻込みしてしまうけど、その輪の中に入りたい、と思った事はあるのだ。
けれど家族を壊してまで突き通した自分を、今更どうして変えられるだろう。
沢山の葛藤を抱えて、最後に行き着く答えは、一つだった。
今あるものを、父の期待を、失う事には耐えられない。
だからこそがむしゃらに続けてきた剣道だけが、全て。
それを認められる事が、何より嬉しい。
他の何を認められても、偽りを貼り付けている俺には素直に喜べないけれど、他の何を否定されても、価値の無い石ころのように扱われても、ちっぽけな賛辞だけで、俺の心は満たされる。
ただの社交辞令で構わない。
嬉しさの余り、ブラッドの顔を作る事も忘れて、俺の顔は大きくにやけた。
剣の才がある――なんて、そんなそんな、それ程のことも――あるかもしれない。
一瞬そこがどこであるかも忘れて、無造作に笑う。
――その横で。
「……綺麗ですね」
ぽつり、と呟かれた言葉に、脳内で繰り返されていた台詞が止まった。
「……え?」
単語がうまく認識できず、脳の中を浮遊している。視線がかち合うと、呆けたように佇んでいたラシーク王子は気恥ずかしそうに微笑んだ。
「いえ、その……笑顔が、お綺麗だな、と」
言い直されても、その意味は全く理解できず、首を傾げてしまう。
代わりにいち早く理解したのだろう国王陛下が、間髪居れずに反応した。
「この阿呆面のどこが綺麗だ」
言いながら、親指で俺を指し示してくる。
誰が阿呆面だ、と思わず顔を顰めながらも、ああ綺麗なのは俺の笑顔か――と思い至り、一瞬後に、凝固。
表情を凍りつかせた俺を見て何を思ったか、ラシーク王子は慌てたように言葉を繋ぐ。
「本当に、その、魅力的な笑顔だな、と……。だから、その、ブラッド殿はきっと、女性におもてになるのでしょうね」
はにかんで、照れたように俯いたラシーク王子。その笑顔の方が、よっぽど綺麗だ。
というより、俺でもにやけた、と思う顔を、綺麗と評されるのも。
完全な社交辞令と分かっていても、お礼ぐらいは言うべきかと動き出した思考で考えたものの、照れ隠しなのか準備運動をするかのように屈伸を始めたラシーク王子に、タイミングを外してしまった。
「次はぜひ、わたしのお相手を」
と、こちらを見ないままに王子は言うが、それは俺になのか陛下になのか。
しばらく念入りに身体を解すラシーク王子を見つめていたのだが、どちらの返事が無くても、ラシーク王子は気にしないようだった。
それより俺が気になるのは、頬に突き刺さる陛下の視線だ。
「……何か?」
頬を貫通しそうな鋭い視線は俺が顔を上げると同時に明後日の方向に移動する。
そして、当然のように反応は無い。
そんな陛下の何時も通り過ぎる癪に障る態度も、先程褒められた言葉の効力か、然程腹も立たない。
単純な俺の中で、国王陛下への好意が少し上がった。それでも、グランディア王国好きな人ランキングの最下位には違いないんだけど。
ラシーク王子の準備を待って、試合を再開するまでの沈黙も、不思議と苦にならなかった。
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