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07 来たりし者 16



 食堂に行くと、ラシーク王子は既に席についていた。
 広い食堂の中央に長テーブルがあり、白いテーブルクロスが引かれた上に、食器や蝋燭が並んでいる。席は全部で二十席はある。所謂お誕生日席、というやつは如何なる時でも城主である国王陛下の席だ。
 クリフを伴って食堂に入ると、ラシーク王子は軽く頭を下げてくる。その手元には、朝から酒の継がれたグラス。
 酔う、という事を知らないこの世界の人々は、酒も水みたいに飲み下す。
 年上の俺よりよっぽど大人びた容貌なのは、生まれや育ちのお蔭だけではないだろう、特有の彫の深さが、完成され過ぎているのだ。
 だからといって、やはり酒を常飲する程の大人には見えないわけで、何時だって違和感が付き纏う。
「おはようございます、ブラッド殿」
 クリフに椅子を引かれながら、ラシーク王子の対面に座す。控えていた給仕の青年が、俺のグラスに炭酸飲料もどきの飲み物を注ぐ。最後にレモンやさくらんぼのような果物を浮かべる、食前酒。アルコール度数は有って無いようなものだ。これかミルクか水が、俺がこの世界で飲める飲み物。ちなみに、キルクスでは屋敷の側に沸く天然の水ばかりを飲んでいた、という設定あり。
 大きなガラス窓からは、今日も穏やかな陽光が室内を照らし出す。
 バアルの人間は食事の前に祈りを奉げる。「母なる大地の恵みに感謝します、アーメン」のような事を、日本の所謂「いただきます」のポーズで言うのだ。何でだかこの台詞だけは、ちゃんと意味を持って聞こえない。完全なる外国語で、むにゃむにゃ言っているのを聞き流す。
 それを待って冷製スープとサラダが食卓に並ぶ。
 相変らず肩から指先までは衣装で覆っているにも関わらず、露出の激しいラシーク王子の肌が、視線を上げると目に入る。今日は袖だけを肩で結んだような、服――と言っていいのか何なのか――目に鮮やかなコバルトブルーの布地。赤銅色の肌と同じ、砕いた真珠のような輝きを持っている。髪の毛は高い位置から編みこんで、一本にして背中に流し、ターバンを緩く巻いている。額にはコバルトブルーの石が嵌った、一昔前に流行った某セーラー服戦士みたいなティアラ。これからどこかにお出掛けですか、という感じだが、ラシーク王子にとってはそれが家着だ。
 フォークやスプーンの柄は袖の中に隠れてしまうが、長い爪を駆使してそれを操っている事だろう、綺麗に前菜を平らげて、ナプキンで口を拭う。
 俺も食事中の緊張感は、大分薄れているから、ラシーク王子を前にしたって、それなりの体裁を取り繕って食事が出来る。
 ラシーク王子に対して警戒するのは、言動だけだ。
「午後は狩りに出ようと思うのですが」
 俺が前菜を食し終わるタイミングを待って、ラシーク王子はグラスを揺らしながら言った。
「狩、ですか」
 兎狩り、とか鹿狩り、とか。およそ俺の人生に関係が無い行為が、ここでは当たり前のように行われる。特に戦神バアルを奉る王子の国では、俺の鍛錬張りに狩りが日課のように行われるそうだ。
 でもそれはただ娯楽、という意味だけで無く、バアルでは死活問題の一つなのだとか。砂漠を泳ぐ砂鯨という肉食獣は、人を襲うし、砂を撒き散らして貴重なオアシスを潰していく。年々領土を増す砂漠地帯と同様に増加するその砂鯨を放置していては、国の存亡も危うい。だからこそバアルでは砂鯨を狩る狩人は立派な職業の一つ。
 そしてそれは、バアルの成人男子の責務でもある。
 他国にあっても、彼らは腕が鈍る事のないよう、狩りに勤しむ。そうしてそれは、戦の為の鍛錬でもある。
 ラシーク王子もグランディアに迎え入れられてから数度、狩りに出ている。獲物は兎だったか、狐だったか。毛皮はなめして、ソファのカバーにするとか何とかで、臓腑は薬に、肉は家畜の餌にする――そんな生々しい話を聞いて、ぞっとしたのを思い出す。紐で両足を結んだ兎を棒に括りつけ、凱旋して来たラシーク王子の笑顔は、ちょっとやそっとじゃ記憶の隅に追いやられてくれない。
 通常狩りは早朝組んだりで行くものらしいけれど、獲物は狩れても狩れなくても構わないらしい。要は暇つぶしなのだ。
 実は狩りに誘われたのは三度目。一度目は早朝の鍛錬がある、と断わって、二度目は授業があったので断わった。
 三度目は――生憎予定が無いのだが。
「ブラッド様は狩りも得意なのでしょう?」
「……得意、といいますか……」
 言葉を濁しながら、記憶を反芻する。思い出すのは数日前の授業の話。
「キルクスでは自給自足でしたから、狩りという程、優雅なものではありませんでしたよ。罠を仕掛けて、網に掛かっているかどうか、という程度ですから。弓は専門外ですし」
 ブラッドの狩り、はどっちかっていうとターザンとかに似合いそう。木の枝を伝っての追いかけっこ――とかは、言葉にした瞬間ブラッドのイメージを壊しそうだけど、まあそんな感じ。
 それにキルクスには熊と鹿と猪がいるらしいよ。だからブラッドはそれらの肉を食べて育ったらしい。
 ちょっと冗談じゃない。
 そこで次の料理が運ばれてきて、会話はいったんとまった。
 本日はベーコンエッグ。蜂蜜たっぷり塗ったフランスパンがバスケットの中で香ばしい匂いを振り撒いている。卵には薄口醤油がスタンダードだった日本の生活が、時々本気で懐かしくなるのは、こんな瞬間。この国のソースはほぼ甘いのだ。酸味、辛味がちっとも無い。そのかわり食材一つ一つの味が濃い。
 後は白米。三食米を希望したい。
 ラシーク王子はしたたる程に蜂蜜がかかったフランスパン――フランスなんて国名ないから、当然もどきだけど――を上手に一口大に切って、美味しそうに頬張っている。
 それを咀嚼し終えてから、話を続ける。
「わたしは剣より弓の方が好きです。矢が離れる時の澄んだ音は、頭の中の靄までかき消してくれる。それにこの手で断つ肉の感触は、何時になっても好きになれません」
 最後に物騒な一言を追加しないでくれませんか。
「そう、ですか……」
 曖昧な相槌とは相反して、脳内の俺は饒舌に質問を投げかけてしまう。
 肉って何の肉なんですか。好き嫌い言う程そんな経験があるんですか。今見下ろしている掌に一体何を見ているんですか。まさか感触を思い出してやしないですよね。その苦りきった微笑みはどういう意味ですか。
「失礼しました。食事中に話す内容ではなかったですね」
 って!! 
 そうして運ばれて来たサーロインステーキを、何食わぬ顔で口に運ぶ。
「わたしは臆病者ですから、剣を持つより本を手にしている方が安心できるのですが、そうも言っていられない立場です」
 話は戻るけれど、バアルの肉食獣、砂鯨の外殻は、武器に加工されるらしい。どんな世界にもいるらしい武器商人という奴は、それを狙ってやって来るという。それに砂漠の中に産出する砂石と言われる宝石も賊に狙われるらしく、それらを掃討する役目を王子たちは負っている。第四王子であったラシーク王子のお兄さんは、三年前に賊の手によって命を落としてしまったらしいと聞いている。
 王子様なんだからわざわざ自ら危ない場所に出て行かなくてもいいと思うんだけど、そこは戦神を祀るお国柄。武勇を誇って何ぼなのだ。
「それで、ご一緒に如何でしょうか?」
「……有りがたいのですが、やはり、狩りはどうも。私は今日は、鍛錬場に籠もる事にします」
「鍛錬場、ですか?」
「はい。私も王子を見習って、腕を磨かなければ。少しでも早く、陛下や王国の力になりたいのです」
 完全な口八丁。ブラッドとして立っていると、思っても居ない事がすらすらと口を出るから不思議だ。
 仄かに笑んで言えば、ラシーク王子は拍手でもしそうな勢いで「素晴らしい」と笑った。
「わたしこそ、ブラッド殿を見習わなければ。剣は嫌いだなんて、言っている場合ではありませんね」
 どうにか巧く申し出を切り抜けたと思ったら、また雲行きが怪しくなってきた。
「ならば、どうかわたしもご一緒させて下さい」
 ぜひ手解きを、とラシーク王子は続けて、まだ何も言ってないのに、嬉しそうにグラスを煽る。
 この人に婉曲な言い回しは効かないと分かっていたけど、一緒に居たくないんですってば、とは言えないのが、俺の立場の弱い所。
 何時も穏やかなラシーク王子の瞳が、時々奇妙に光る一瞬がある。黄金の瞳を眇めて、まるで何もかもを見通すように瞬く――その一瞬は、産毛が総立ちする感覚を覚える。
 その瞬間はまさに、俺を見透かされている瞬間なのだ。
 王子に、俺の矛盾をもう幾つ掴まれているかは分からないけれど。
 どんなに巧く言い繕ったつもりでいても、けして逃れた気になれない。
「では後程」
 ラシーク王子は早々に食事を終えると、軽やかに手を上げて食堂を出て行ってしまった。




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