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07 来たりし者 15



 ティアの成人式は、フーディンの月の29日だ。フーディンはエスカーニャ神の分身の一つで、愛の女神だという。遠い昔、大陸に存在した大国同士が醜く争い合う中、愛を説いて戦を平定に導いたという、そんな神話を持つ。
 そしてその日は、ティアの誕生日でもある。
 フーディンの月の29日は、ティアが生まれてからの十六年間、王都では毎年ティアの生誕祭が催されてきた。他国では生誕祭と呼ばれるものは時の王のそれだが、前王リカルド――つまりティアとリカルド二世陛下のお父さんだ――は、リカルド二世の誕生日をエン・ラーゼ(第一の喜び)の日、ティアの誕生日ウナ・ラーゼ(第二の喜び)の日、として、所謂国民の祝日に定めたそうなのだ。
 この日は朝から王都全体が浮き足立ち、市井の至る所に花が飾られ、音楽が溢れる。都の外はおろか国外からも多くの来訪者が訪れ、屋台のようなものが立ち並んで色んなものを売り捌く。ここら辺は俺が持っている夏祭りのようなイメージと大差ないと思う。旅の楽師や踊り子に、吟遊詩人に曲芸師。そういう人達が更に華を添える。
 王都で祝われるウナ・ラーゼは誕生日を前後した3日催されるのだという。
 今年のウナ・ラーゼは単純に誕生祝いというだけでなく、成人祝いでもあるから、その祭りは1週間という長い時間になるのだそうだ。
 この規模の祭りは、珍しい。
 そもそもが国民がこぞっての祝祭は、国王の生誕祭を除けば、戴冠式や婚約式、結婚式など、国王の祝いにあやかってのものだけ。それぞれの都市などで領主の生誕日や特別な日を祝う事はあっても、それは全国民に浸透しない。
 けれど全国民での祝祭が国王の生誕祭の一度だけだったものが、前王リカルドの時代からは当人と二人の子供の生誕祭三度に増え、そして今年のウナ・ラーゼには成人式という一大行事まである。
 その人にとって一生に一度の成人式。王家の成人式は、サンティという名の3日間の祝祭としても知られる。その二つが重複するに当って、ティアの成人式は1週間という期間に延長された。
 ちなみに、リカルド二世のサンティとエン・ラーゼは、彼の誕生月バアルの一月まるまる行われたらしい。
 ――というような知識を得た今となっては、フーディンの月に入ってどこもかしこも忙しそうにしている理由が頷ける。
 客用の屋敷であるフィデブラジスタも、サンティの為にやって来た他国の賓客で半分も埋まっているというのだ。そしてそんな彼らを持成す為に、フィデブラジスタでは毎日夜会が開かれて、昼間は昼間でそれらの相手に忙しい。
 リカルド二世の事は知った事じゃないが、ティアもゲオルグ殿下も、ユージィン少年までも、彼らの対応で手一杯で俺は放置されていた。
 唯一王族の責務、というやつから逃れたのは今は神官位にあるジャスティンさんなのだが、成人式は、ジャスティンさんの所属するエスカーダ大聖堂にとっても一大行事であるので、彼はまた別の意味で忙しかった。
 日本と違って、こちらの世界には成人式という、一貫した行事は無い。20歳になれば成人、という括り同様、グランディアの王族は16で歳で、民であれば18歳で成人扱いされる、という概念は一緒でも、20歳の年に同学年の全員が一緒に迎える日本の成人式とは違い、グランディアでの成人は個人がそれぞれ、手続きをして終わりなのだ。その手続きというのも、両親等の立会いの元、各地にある聖堂で神官に祝詞をもらう、という簡素なもの。法律的に飲酒が許されるだとか犯罪行為に対する罪科の変移だとかという立場的変化も無い。
 大々的に成人を公開する王族とは異なって、ただ、聖堂という役所へ行って、生存確認や住民票とか戸籍票の更新をするようなもの。
 神官は祝詞を紡ぐ以外に、実際に聖堂では国で管理している戸籍と照らし合わせて、誰がどこで成人したという様な情報を書き加えるという作業があるらしいが、それが何か意味があるかと言えば、ジャスティンさんは思案した後、ただの生存確認だと教えてくれた。
 しかもその儀式も、誕生日当日に行っても、誕生月に行っても、誕生年内に行えばそれで良いのだ。それを越えてどうなるか、といえば別段どうになるわけでもなく、だからこそそれが意味のある行為なのかどうか俺には疑問だ。
 だって出生登録がされていれば、戸籍上何の問題も無い。出生日から計算されれば、対象が成人に達しているかどうかは幾らでも調べられるのだから。
 まあ役職によっては成人の儀式を怠ったという事実が、不適合と見なされる場合もある、とか。
 あとは貧民窟出身の、出生証明すらされていないような子供達は、立会い人と認められるべき後見人のような存在が無いと、身分の証が立てられない。つまり、戸籍を持てない。戸籍が無い、という事は、法律の上では存在していない、という事と同様だ。課せられる税や義務が生じない変りに、生きていく上での不便は多い。
 なので生きていく上では、出生登録と成人登録は欠かさずに行った方が良い。
 これは過去にジャスティンさんが教えてくれた授業の内容。俺の知らない所で、ダ・ブラッドはゲオルグ殿下の根回しで出生証明も成人証明も確立されていたから、何の心配もない。仮にアレクセス城を追い出されて、オルド家やアラクシス家の後ろ盾を失った所で、戸籍登録をされている以上は街での生活も出来るというわけ。

 兎にも角にも、フーディンの月。
 、グランディアはずっと春の如き朗らかな気候で、季節的に時間の経過を感じる事は出来なくても、異世界に召喚されて、もう五ヶ月だ。

 五ヶ月、なのだ。



 日課の素振りを終えて、寝室にあるチェストの引き出しを開ける。鍵付きのそれだが、誰が見るわけでもなく、開けっ放し。その中には、異世界から着てきたトレーナーとジーンズ。それに、折りたたみの携帯電話。
 ストラップもついていない、シルバーグレーのシンプルな携帯。電話とメールが出来ればいい、という理由で安い機種を買ったから、機能もあまりなくて時代遅れだなんだと、高志やクラスメートにからかわれた過去がある。
 でも絵文字すら使わないから、デコレーション機能なんて無くても構わなくて。
 画素がどんなに低かろうと、くだらないポーズを取っているだけの意味のない写真が、どんなにピントボケしようと構わなくて。
 ミュージックプレイヤー代わりに、音楽を丸々一曲ダウンロード出来る必要もなくて。
 GPSがあっても、ゲームが出来ても、お財布代わりになっても関係なくて。
 これはただ、連絡を取る為だけのツールで、あれば便利だけど、無くても困らない程度のものだった筈だ。
 今となっては、ただの鉄くず。
 電源は入るには入ったが、電池マークが一つと心許なく、かといって連絡が取れるわけでもなく、充電も出来ず、電源を切りっ放しにしている。
 だけど、この携帯の真っ黒なディスプレイを見るのが、最近増えた日課だ。
 意味もなくボタンを押して、文字を打ってみるような振り。カチカチという音だけは、する。
 そうして俺は、思い出すのだ。
 携帯に纏わる記憶から、日本で過ごした日々を繰り返し思い浮かべる。厳しい部活、楽しい学校生活、馬鹿な話、笑い声。冷めた家族や、苦い過去までも。
 沈み落ちそうになる記憶を呼び起こして、懐郷と焦燥を胸に宿す。
 懐かしいと思う自分。帰りたいと願う自分。
 それを自覚しながら感じるのは、何時だって恐れだ。
 黒い携帯のディスプレイで、最終的に俺は、そこに映る自分の顔を認識してそれをまた引き出しに戻す。
 黒い鏡の中、暗い表情の俺の瞳は何時だって、泣きそう。
  舌打を誤魔化すように息を飲み込んで、無かった事にしようとしても、毎日気が付けば携帯を手にしているんだけど。
 引き出しの取っ手から手を離した所で、計ったようにノックの音が鳴り響く。扉に付いた丸い輪っかを打ち付けるそれは、以外に大きな音として部屋に響くのだ。大音量でテレビを見ていても気付くんじゃないか、と思う、独特の重低音。
 それに対応するのは、クリフだ。誰も居なければ自分でそうするが、大抵はクリフか、教育係の誰かしらがそうする。だから、自分一人でどうにか、という事態にはほとんどならない。
 この忙しい時期に、部屋を訪れてくる人は限られている。
 恐らく昨日同様、ラシーク王子付きのメイドさんが、一緒に朝食をと伝言を持ってきた事だろう。
 寝室から移動していくと、メイドさんが「おはようございます、シゼル」と言いながら頭を下げてくる。もう見慣れた、若いメイドさんだ。
 予想通りラシーク王子の使いであったその人は、すぐに部屋を辞す。
 そうして残されたクリフが、告げてくるのだ。
「ご用意を」
 それは、拒否権の無い話。どうしますか、などと聞いて来ないのは、クリフも俺同様、国王陛下から言い含められているから。
 ライドを通して「ラシーク王子の相手は、任せる。くれぐれも粗相の無いよう」と、たったそれだけ。
 ラシーク王子と余り関わりたくない、というのは俺サイドの理由。事情を知らない国王陛下が、暇人の俺の使い所と定めても、それはしょうがない――のかもしれない。ハンナさん曰く。
 ラシーク王子は、俺が始めてにして最後(だと思いたい)に出席した夜会の際、国王陛下にぜひ俺と仲良くしたい、などという事を言ったのだそうだ。そこには齢が近い、という理由も付随した。
 そう言われて何故俺の了解も無く話が進むのか。
 何時もの無関心さで、ラシーク王子が俺を遊びに誘うのを許可した、らしい。
 ボロが出て困るのは、俺だ。陛下じゃない。
 むしろ国王陛下にとっては、キルクス出身のダ・ブラッドなどという面倒な素性は、本意でないのだ。臣下に全て任せた手前何も言わないが、彼は俺が異世界人であるという事実を隠す気は全くないのだ。
 それを隠すのは、国の為だとシリウスさんは言う。王族と結婚しない異世界人の存在に、リスクがあるから。ダ・ブラッドのままであった方が、都合が良いから。
 でも陛下にとっては都合もリスクも関係ない。
 だって何か問題があれば、陛下は俺を『無かった事』にすればいいだけだから。
 必死になる俺をせせら笑うように、陛下は俺とラシーク王子との間にあった溝を、埋めてしまった。
「齢も近いし、共に我らの大切な客人だ。仲良くなるに異存はあるまい?」
なんて事をお互いを目の前にして言われて、断われるか。
 夜会の翌日、何故か大広間で皆で朝食を取るに当って、国王陛下は平坦な口調で言った。
 言うだけ言って、すぐに食事を終えた陛下の真意なんて知るわけもない。
 ――真意があるとも思えないけどな!
 本当に、本当に、本当に。
 あの人のやる事、言う事、全て。腹が立つったら、無いのだ。




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