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02 アレクセス城の魔王 4



 あまりに長い間自分以外の姿が無かったものだから、俺にとってここはだだっ広い自分専用の道場のようになってしまっていた。
 だから重々しい音を立てて外開きのその扉が開いたとき、俺はちっとも意識なんてしていなかった。
 俺がこうやって朝練に励む時、やってくるのはライドぐらいのものだ。ライドは朝から無駄に元気で「おーやってるかぁ」なんて軽口を叩きながら現れる。
 だからライドだと疑っていなかったのだ。
 ただちらり、と視線を向けただけ。
 それなのに入って来たのは、外の衛兵と同じく甲冑を来た兵士だったけれど、見た事も無い男だった。それも二人。よくよく見れば甲冑の胸の所に、金色の縦線が四本入っていた。外の衛兵は一本だったな、と考える。
 俺に頭を下げた後、その内の一人が声を張り上げる。
「リカルド二世陛下のおなりです」
 扉を押さえたままの彼らを見ながら、俺は目を見開いた。
 一瞬言われた事が分からずに竹刀を振り下ろした状態で固まっていると、また一人、見た事も無い青年が入って来た。
 アッシュグレーの髪を真ん中分けして、それが頬辺りまである。背の高さは170cmあるかないかで、今まで見た男性の中では低い部類に入るのだろう。チュニックシャツにブーツインしたズボン、という姿は俺と同じ。今から鍛錬をしますよ、という様な格好だった。
 俺と目が合うと、華やかな笑顔を浮かべる。何というか、こういうのをプレイボーイとでもいうのだろうか。
 数秒遅れて、丈の長いガウンのようなものを着た国王陛下がやってきた。
 太陽の光りに負けず劣らず輝いた容姿が、朝から眩しい。プレイボーイ風の青年の手を借りてガウンを脱ぐと、国王陛下も俺と同じ様な格好だった。ただ二の腕辺りで窄まっていたり、ハイネックの襟元に金色の刺繍がされていたり、洗練されたデザインといいと何処と無く高級感がある。
 無造作に整えられた髪は襟足だけ胸辺りまであるようだ。
 何て事を観察していたら、国王陛下の冷ややかな視線が俺に向けられた。
 睨む、という風でもない。ただそこに在ったものを見た、というだけの風情なのに、俺は思わず竹刀を取り落とししゃきっと背筋を伸ばしていた。それから思い出したように、教わった礼をする。左手を右肩に当てて、足を交差させて頭を提げる、というやつだ。
 なのに顔を上げた時にはもうこちらを見ていないから、本来ならしなければいけない筈の挨拶をするタイミングを逸してしまった。
 無駄にひらひらした袖口を、邪魔にならないようにだろうか、青年が紐か何かで縛っているのを遠目に見る。
 こういう場合俺はどうしたらいいのだろう、と手持ち無沙汰に両手を擦り合わせていると、そんな俺の様子に気付いたのか、青年が顔を上げた。
 にこり、と口角を上げて言う。
「シゼ・ブラッド、どうぞお気遣い無きよう」
 透き通った声が、朗らかに響いた。どうやら俺に、そのまま続けろ、と促しているようだが。
 ちなみに、【シゼ】というのは尊称だ。騎士の場合は【サー】、爵位を持たない貴族の男性は【ロード】、女性は【レディ】がそれに当たる。神官が【エスカ】だと習った。細分化すると色々あるようだが、一先ずはこれだけ覚えれば問題ないとの事。
 青年が国王陛下の準備を終えると、兵士の一人が片膝をついて、恭しく二つの刀剣を掲げた。白い布の上のそれを両手で頭上に持ち上げ、青年が一つを取って国王陛下に差し出す。国王陛下が受け取ってから、もう一つを自分で抱えた。
 兵士が布を畳んで外に出て行くとやっとで扉が閉まる。そうして残りの一人は、そのまま扉の端に寄って待機――しようとして、青年が何事かを囁くと一礼して出て行った。
 その一連の様子を、俺は固まったまま見送る。
 これはどう見ても、国王陛下が修練場を使う、という事なのだろう。
 気遣うな、と言われたが、とても国王陛下と同時に鍛錬に勤しむ気にはなれない。というかもう国王陛下が居る、というだけで、奇妙な緊張感が走る。清々しい空気が強張る。
 これはもう、退出した方が身の為だろう、と考えて、慌てて床に放り出した竹刀と、立てかけていた西洋剣を手に取った。
「気遣うな、と言った」
 けれど背後から淡々を通り越して機械のような声がかかった瞬間、ぎしりと音のしそうな挙動で俺の動きが止まった。
 この人の声を聞くのは、これで二度目。姿を見たのもそう。記憶の中のそれは幾分人間味に溢れていたと思ったが、それは恐らく俺の脳が都合のよいように改竄していたのだろうと思う。
 ゆっくりと振り返れば、氷のような冷ややかな視線がこちらに注がれていた。否、そんな表現じゃ言い表しきれない。威圧感、とも違う。攻撃的なわけでも無い。責めるだとか、呆れる、だとかそういう感情が含まれるわけでも無い。ただ息を吸う事すら憚られるよう。
 それでも数秒の後、国王陛下の視線はすぐに逸れる。
 隣で苦笑した青年が、陛下、と小さく諫めるように囁いた。
「もう少し言い方がこざいましょうに」
「お前も同じ事を言った」
「貴方とオレでは、与える印象が違います」
 きっぱりと言い切る青年の口調に、こちらが冷や冷やしてしまったが、別段国王陛下は気にした風も無い。
 鞘から剣を抜き放つと、それを片手で何度か振り、鼻を鳴らしたようだった。
「失礼を、ツカサ様」
 変わり、とばかりに頭を下げる青年に、おや、と思う。今この人は、俺をツカサと呼ばなかっただろうか。
 国王陛下から離れてこちらに歩み寄ってくる青年は、また爽やかに微笑んだ。顔形も艶やかで人目を引くが、この人の笑い方は自分の魅力を知った上で最大限に活かしているように感じた。
「初めまして、ですね。……と言ってもライドから色々聞いているので、初めてという気がしないのですが」
 右手を差し出してくる青年に、思わず自分も右手を伸ばした。触れ合った瞬間に、両手で握手される。
「オレはウィリアム・アンサと申します。ライドと立場を同じとする者――と申し上げれば、お分かり頂けますか」
 耳に心地よい声で名乗られる。両手を握りこまれたまま、俺はこくこくと頷いた。
 ライドと同じ、という事は恐らく騎士で、国王陛下のもう一人の護衛という人だ。俺の氏素性を知っている人だから、成程俺をツカサと呼んだのも頷ける。
「ウィル、とお呼び下さい」
「……はぁ、じゃあ……おいおい」
 何故この世界の人は簡単に愛称で呼ぶように勧めるのだろう、と思いながらも、断るのも面倒でそう応えると、ウィリアムさんは一瞬瞠目した後声を上げて笑い出した。
「これはこれは。話に聞いていたより、面白いお方だ」
 一体何を聞いているのだと疑問に思いつつも、言及しない事に決めた。
 ただ「はあ」と相槌を打っただけの俺の何が楽しかったのか、ウィリアムさんは更に声高く笑い出す。
 その度に右耳に下がった宝石のついた長いピアスが揺れる。上からダイヤ、ガーネット、エメラルド、サファイア、みたいな宝石が四つ。何だかお洒落な男性だ。控えめに薫ってくるのは香水だろうか。風に匂いがあるのなら、こういう匂いなのだろう。何処と無く掴み所の無いウィリアムさんに似合った香り。
「陛下、聞きましたか」
 くつくつと嗤いながら、ウィリアムさんは何故か国王陛下に話を振る。存在を抹消していたのに思い出させられて、身体が強張った。またもや姿勢を直す。
「聞いてない」
 けれど俺の杞憂は無駄に終わる。陛下はこちらをちらとも見ず、素振りに近い動作をしながらただウィリアムさんの言葉に答えただけ。
「陛下も異世界の方を奥方にしたら如何です?」
「断る」
「面白いと思いますよ?」
「妻が面白くてどうする」
 うん、それは正論だ。思わず心中で突っ込む。
 顔も見ず背中で会話をする奇妙な二人。
 この国の人たちは俺の中の王族と臣下という人達の人物像を悉く覆す。礼儀があるんだか無いんだか、王様のプライドがあるんだか無いんだか、良く分からない。
 何だか緊張している自分が馬鹿みたいで、力が抜ける。
「大体陛下は選り好みし過ぎですよ」
 ため息交じりのウィリアムさんの言葉は、どうやら国王陛下は無視する体勢に入ったらしい。
「聞いてくださいます、ツカサ様? この方が未だにお独りでいらっしゃる理由を」
「……はぁ」
「世界に誇るグランディア国王ですから、これまでご結婚の話が無かったわけでも無いんですよ? 現に離縁されましたが、ご側室がお二人いらっしゃったし」
 あまりにあっさり言うものだから、思わず見逃しそうになったけど、離縁!? とか、口を挟む間もなくウィリアムさんの言葉が続いていく。
「幼少の頃からご婚約されていたリオネル国の姫君は、まあ弱体化したお国ですから破棄してしかるべき相手でしたけどもね。
側室として召したお二人はそれはもう、言うこと無しの美女でした。
お一人は年上でいらしゃいましたが、才色兼備と誉れ高い侯爵家のご令嬢で、清らかな歌声は後宮の美しい鳥、とあだなされる様な方。
もうお一人は南国の艶やかな美姫でいらっしゃいました。少々傲慢で勝気でいらっしゃったが、それもまた魅力のお一つでした。そ
れなのに陛下が素っ気無くいらっしゃるから南国の姫君はお国にお帰りになってしまうし、令嬢は病に臥した事を理由に離縁を申し出られたのです」
 と、息吐く暇も無いウィリアムさんの話はまるでライドのそれのよう。ただでさえ心地よい声音なのに緩急をつけてのそれは人の心を掴む。ただ、軽々しく紡いでいいような内容だとは思わない。
 二回の離婚歴は、果たして国王陛下の魅力を損なうものなのか、そうでないのか。
「その他にも他国は勿論、国内からも名だたる家からご結婚の申し出はありました。どなたも家柄も器量も素晴らしい方々ばかりなのですよ。何よりも王族に嫁ぐ、という重責を良く理解されている。
なのに陛下は首を縦にお振りにならない。一体どれだけのご令嬢が涙を飲んだのか。どれだけ理想が高いのか、というお話です」
 ティシアさんもそうだけれど、国王陛下もまだ若いのだから、そう結婚を急がなくてもいいと思ってしまうのは、平和大国日本の庶民の生まれの俺だからだろうか。
「女性はただ存在するだけでも素晴らしいのに、全く陛下という人は……」
 最後はもう、ウィリアムさんの愚痴だった。
 ――やっぱりこの国の王族の立場というのを、つくづく疑問に思ってしまう。
 ただ流石におおっぴらに自分が非難される状況は面白くないのか、平坦な声で国王陛下が口を開いた。
「お前の一族のような、女好きと一緒にするな」
「博愛主義と仰って下さい」
「余の話は良い。……貴様も、何を呆けた顔をしている」
 二人の口喧嘩を適当に聞き流そうとしていたのがバレたのか、国王陛下の矛先が俺に変わったようだった。
「へ!?」
 素っ頓狂な声を上げれば、睨まれる。これも睨むというのか、ただ見ただけなのかもしれないと思う。あまりに声音にも表情にも機微が無い。
「人事のような顔をしているが、貴様も同じ立場だろう」
 言われている意味が分からず俺は何度も瞬いてしまう。しばしの沈黙の後、国王陛下が淡々と続ける。
「王族の結婚相手に求められるものは際限ない。お前のようなそこそこの器量でも異世界人だと大目には見られようが――余は、ティシアの相手に相応しくないと思えば、貴様を切って捨てる」
 離縁など生温い、と平坦な口調で呟かれて怖気だった。
 脅しでもなんでもない、ただ当然の事を口にしたまでという態度の国王陛下には、だからこその恐ろしさがある。
 そうだ。ウィリアムさんとの会話が何だか馬鹿っぽくて、最早懐かしくもある俺の高校生活に見たようなものだったから、ちょっと身近に感じつつあったが、最初に抱いた感想を忘れてはいけない。
 切って捨てる、というのがちっとも誇張に感じない。自分の胴と頭が二分にされる想像が、容易に出来る。もしくはその煌びやかな刀剣で串ざされでもするのか。
「ライドやウィルが如何に貴様を気に入ろうが――エスカ・ジャスティンが後見していようが、だ」
 かたかた、と響く音がある。何か、と確かめなくても分かっていた。震える自分の足元でブーツの飾りがぶつかり合う音だ。
 静かに、冷たく響く国王陛下の言葉が耳朶から脳に浸透する。
「貴様を屠る時は、せめて余の手でそうしてやろうな」
 慈悲のつもりなら大間違いな申し出である。というか願い下げだ。
 国王陛下の瞳は絶えず前方を見据えている。準備運動の筈の動作は舞うように軽やかで、神々しい。ただ、美しいのは外側だけだった。
「……言い過ぎてはおりませんか、陛下」
 身近で俺の震えを感じ取っているのだろうウィリアムさんは、同情交じりのため息を吐いて、国王陛下を振り返った。
 けれど返事は返ってこない。
 全く、と苦笑いするウィリアムさんに、俺も応じる事が出来ない。
 こちらが不思議でならない。ライドもウィリアムさんも、何故この国王陛下を前にして軽口が叩けるのだろう。久しい仲の相手だといって、この人を相手に。
 俺にとっては国王陛下の言葉は毒だった。呪いでもあった。真意など、あってもなくても同じ。凶器以外の何物でも無い。
 そしてその美しさも、今となっては悪魔のように見えてしまう。
 容姿だけでなく、存在全てがあまりに人間離れしている。

 こんなにも恐ろしい人を、俺は他に知らない。




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