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14 箱庭の子供達 3



「今日は、余がツカサにいい物を見せてやるぞ!」
と、ご機嫌なネヴィル君に意気揚々と連れて来られたのは――
「……」
兎に角、異様な部屋だった。
 絶句したまま辺りを見回す俺をどう思ったのか、ネヴィル君は仰け反らんばかりに胸を張る。
「どうだ! すごいだろう!?」
「………そう、ですね」
 他に何て言えただろう。
 スプラッタ。ホラー映画。お化け屋敷。
 黴臭さとすえたような匂い。どんよりと重苦しい、湿った空気。
 窓らしきものはあるものの、格子の向こうを外から塞がれているらしく太陽光は差し込まない。
 壁や床、机や良く分からない――と言うか理解したくない器具などなどに、飛び散った赤黒い染みがある。
 壁に立てかけられた斧や、鋭いギザ歯ののこぎり。天井から吊り輪のように下がった鎖や、針山の床。その他もろもろ。
 おどろおどろしさは、夜中の墓場などの比では無い。
 俺が我知らず後退ったにも関わらず、ネヴィル君はスキップでもしそうな軽やかさで部屋の中へ進んで行く。
 背後に控える兵士の無言の圧力が、俺を逃走させてくれそうにない。小さな一歩を辛うじて前へ出す。
「この新城はな、父上が造った地下牢やこの拷問部屋を活用して建てたのだ!」
 ――拷問部屋。
 さらりと、満面の笑顔で言うネヴィル君。
 赤黒い木の机の上に無造作に放られていた、でかい釘のようなものを右手に、波打つ歯のはさみを左手に。
「こんなに素晴らしい部屋を壊すのは勿体無いだろう? ここには歴史があるのだ。愚かしいサンジャリアン共の見苦しい悲鳴すら染み込んでいる気がする。想像しただけで血が滾る!」
 手に持った拷問具で壁や器具を叩く様は、まるでリズムを取って音楽を奏でるようにさえ見える。
 ネヴィル君が楽しそうに囀るほど、心が重くなってしまう。
 俺もその様子を想像しか出来ない。と言うか、想像が追い付かない。
 ネヴィル君はこの部屋に来る道すがら、おもちゃを見せてくれると言った。自分の遊び場に連れて行くと言った。
「楽しみだ」なんて答えた自分を殴ってやりたい。
「ツカサも気になる物があれば使ってみろ。お前になら許すぞ」
 ネヴィル君の無邪気さに、涙が出そうになってしまう。
 拷問が、どんなものかは想像しか出来ない。その痛みや、苦しみや、恐怖も。
 自分の今の感情も上手く言葉に出来ない。
 ただ複雑で、ただ泣きたい。
 この少年を可愛いと思う。子供らしい明るさと、甘やかされたゆえの我儘と、無知ゆえの愚かな発言も。
 彼等には、こうした恐ろしい反面がある事を、だから時々忘れてしまう。

 陰鬱な気持ちのまま拷問部屋でネヴィル君の説明を聞き終えても、彼の遊び場ツアーはまだ続いた。
 重い足を引き摺って、ネヴィル君の話を聞き流そうと頭の中で別の事を考えながらも笑顔を浮かべて耐える。
 ――リカルド二世を、想う。
誰よりもあの人が、恋しい。隣に居てくれるだけでいい。目なんて合わなくていい。作った笑顔のない、あの無表情でいい。
短い悪態が、馬鹿にした失笑が。こんなにも、恋しい――。

 続いて連れて行かれたのは、だだっぴろい部屋だった。
 壁際にはずらっと、絵画や銅像などの芸術品が綺麗に並べられ、中央には赤い絨毯が引かれ、それが最奥の五段の階段の上の、椅子にまで続いている。
 グランディア城でリカルド二世が座るのよりは小振りな印象の、いかにも玉座と言った風体のそれ。
 しかし緋色の布張りに、金の刺繍が入っている程度の、ネヴィル君の趣味にしては随分質素な椅子だった。
 そこまでの距離をスキップしながら進み、ネヴィル君は椅子に飛び乗った。
 やはり小柄な彼には大きいようで、足先をぶらつかせている。
 俺は階段の下で、手持無沙汰にネヴィル君の言葉を待つ事にする。
 ここもネヴィル君の遊び場の一つ――と思えば、何かしら嫌な曰くがありそうだ。
 等間隔に並んだ燭台の炎がゆらゆらと揺れ、何がしかの儀式でも行われそうな雰囲気がある。
 ネヴィル君は椅子の手摺を何故かうっとりした顔で撫でていて、気味が悪いことこの上無い。俺の存在も忘れてそうな勢いだ。
 と思った矢先。
「これはな」
 恍惚とした表情を俺に向けて、やはり手は手摺を撫でたままネヴィル君が歌うように紡ぐ。
「余の為の、余だけの唯一の、緋色なのだ」
 ――色?
 とっても変わった自慢の仕方である。
 しげしげと観察してみるが、特になんとも言えない、緋色である。赤と言う程派手ではなく、火炎に例える程力強さも無く、宝石に例える程の高貴さも無い。鮮やかさにも欠け、けれどどこか目を引く、緋色。
「この色は、誰にでも出せるものではない。余が大切に慈しみ、育て、虐げた末に、生まれた色なのだ」
 なぞなぞだろうか?
 ネヴィル君は椅子から立ち上がりその背に回ると、俺を手招いた。
 ゆっくりと階段を上がって行けば、ネヴィル君が俺の手を取って椅子の背面に触れさせる。
「正妻であった、サンジャルマ皇族の娘は生意気でな。余に逆らう鼻持ちならぬ女だった。だからこそ張り合いがあったのに――その内哭きもしなくなった。だから余の成人の祝いに、こうなった」
 たん、と再び、手摺にネヴィル君の手が乗る。
「ここは彼女の美しかった腕だ。頭蓋は……この辺りだな」
 ネヴィル君の腕が手摺を撫でながら移動し、調度尻が収まる位置へ。
 その瞬間、何が何を指すのかを理解して全身に鳥肌が立った。
 体温が、急激に下がる気さえする。
 ガツン、と頭を殴られたような衝撃と、騒ぐ鼓動の音までが鼓膜を刺激する。
 椅子に触れていた右手を勢い良く放し、そして仰け反った勢いのまま後退し――俺はそのまま体勢を崩し、階段を踏み外した。
 何を考える間もないまま身体を捻ったお陰で背中から落ちずには済むものの、最下階まで転げ落ちる。打ち付けた腕の痛みに涙が浮かぶ。
「っ……」
 そのまま、気持ちのままに涙が流れ出た。
 痛い。
 痛い。
 ――胸が、痛い。
呆気に取られたネヴィル君が、しばらくして覚醒すると俺の元まで下りて来る。
「何をしてるんだ、ツカサ」
「――す、すみません……」
とてもネヴィル君の目を見る気にはなれない。
 涙を拭う仕草で誤魔化しながら俯く。
 早鐘を打つ心臓が声を震わせて、そして恐怖心が身体を震わせている。
「ツカサは案外鈍いのだなあ」
 軽やかに笑うネヴィル君の言い草は、リカルド二世のそれと同じだ。愚鈍だ、と失笑する彼と。馬鹿だなあと爆笑するライドとも。
 なのにネヴィル君の落胆は、恐ろしさにしか続かない。
 ネヴィル君の飽きる、という事は――いい事ではないんじゃないだろうか。
 ぎゅっと閉じた目の裏に、緋色の椅子の映像がこびりついて離れない。ただそこにあるだけの、椅子が。
 生前の、その彼女は知らない。正妻だったと言うサンジャリアンの女性の情報は何も無い。ただ想像の上でそれは、何時か雪の上を引き摺られていた少女だった。あの哀れな少女が、それよりも恐ろしい死を経験して、そしてその椅子に――?
 いや、少女とは別の、でもやはり同じサンジャリアンの女性が。
 思考を騒がせる事実の断片を、考えたくも無いのに考えてしまう。
 ネヴィル君の不興を買ったのか、それとも、ただ単に成人の祝いにタイミングが良かっただけなのか――兎に角、正妻だったその女性は、多分、絶対、恐らく、ネヴィル君に殺された。
 殺されて――その体が、緋色の椅子に組み込まれた、のだ、ろう。きっと。
 理解が出来ない。
 意味が分からない。
 それでも何時までもその場に蹲っているわけにもいかず、俯いているわけにもいかず、気力を振り絞って顔を上げる。
 そこには、俺を見下ろすネヴィル君の姿。
 面白そうに口角を上げている少年に、ほっとしてしまう。
「ちょっと、驚いてしまって」
 差し出してくれる手に竦む心を無視して、手を重ねた。
「有難うございます、ネヴィル様」
上手く笑え。笑え。笑え。

 ――助けて、陛下!!!




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