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12 獣の住む城 8



 ――リカルド二世は、ずるい。
 国王という絶対の身分を持って、信頼出来る臣下を侍って、恐らくとても頭が良くて、追随を許さぬ美貌の主で、その上で神様にまで愛されている。
 そんな風に沢山の奇跡を手にしているから、俺の必死さが滑稽に思えるのか。
 俺がこの世界で、日本で、唯一と縋りついている物を、陛下は何時だって一蹴する。
 俺の存在を、石ころ程度のちっぽけなものと認識する。
 それだけの物を持って生きてきたリカルド二世に、『エスカーニャの恩恵』なんて、もう必要無いのだろう。
 『俺』という異世界人が齎す恩寵なんて、無くてもきっと困りはしない。
 見つめるリカルド二世の瞳は、憎たらしい程に綺麗。
 淀んだ暗い感情が、胸を刺す。

 ――結局、彼は、『俺』を必要としないのだ。

「……下らぬ」
 陛下は俺の手を退けて、立ち上がる。
 床に膝をついたまま、何とはなしに見上げれば冷えた双眸とかち合う。
「貴様も、『奇跡』が欲しいか?」
 リカルド二世の口角が、静かに歪んだ。
「それならば必要あるまい? 貴様は既に、『異世界人』という唯一の奇跡だ」
 ――認めても無いのに?
 答えずに、自嘲気味に微笑んで見せれば、リカルド二世は小馬鹿にするように鼻を鳴らす。
「興が削がれた」
 反転して寝台に移動していくリカルド二世を見送っていると、背後で大きな溜息が聞こえてきた。
「そんなら、部屋で飲み直すわ」
 大柄な陰が、明かりを遮る。
「気にすんな」
 最後に俺の肩を叩いて去って行くライドの言葉に、一体何を気にするなというのか、と、頭の隅で考えた。



 次の日、『グランディア王妃』は体調を崩し、自室で寝込んでいる――事になっていた。
 本人は至って健康そのものだったが、他人事のようにそれを受け入れた。
 まあ実際、他人事だ。
 本日、グランディア王妃の演じるのはヤコブで、俺は『狼』に扮したブラッドとしてリカルド二世について行く事になったのだ。
 正直昨日の今日で何となくリカルド二世には会い辛かったけれど、顔全体を覆う狼を模した兜と、『狼』という役分のお陰で、気まずさはそれ程感じなかった。
 自分が勝手に卑屈になっているだけなのは分かっているけど、リカルド二世と相対するのが憂鬱だったのだ。
 兵の一人として、城を出て行く一行に混じる。
 今日の行き先は、ドラグマという山頂の見張り台らしい。南は渡ってきた雪原、北にはダガートの中央へと続く景色が見渡せる、そうな。
 どうしてそんな所に行くのかは分からないが、それは俺の知る所では無い。
 そうしろ、と言われるから、そうする。
 グランディアのたった10名の兵士の中腹、連れ立ったネロに跨って均された雪道を行く。
 兜とチラつく雪に遮られて、視界は酷く狭い。
 けれど、俺は白銀の美しい世界をそれとも認識する事無く、ただ何と無く、山を登っているだけだ。
 考えるのは、昨夜の事。
 どんなに頭を振って思考を払おうとしても、鬱々とただ繰り返してしまう。
 どうしてだろう。
 どうしてこんなにも――惨めに思えてしまうのだろう。
 どうして、リカルド二世の言葉が、視線が、こんなにも胸に痛いのだろう。



 ドラグマは、三階建て程度の円塔だった。
 狭い山頂の面積は、建物が建つだけでやっと。
 しかもそこから何が見えるかと言えば、遠く微かに山々の稜線が見えるような見えないような――後は全て、降り続ける雪の所為で白く染まっているのだ。
 左右前後何所を見ても真っ白。見上げてみても、重い雲が空を覆っているだけ。
 一体何が楽しくて、険しい登山までして、やって来たのか。その意味は全く窺い知れない。
 ドラグマの塔は、天辺だけが四方を臨める作りになっていて、階下はただの螺旋の階段だけ、部屋は一つも無い。
 天辺の部屋も、人が十人入れば一杯という狭さだ。
 ゼラヒア大公殿下、リカルド二世にライド、それからルカナートの兵士三人と、俺。
 それだけの人数でもかなり息苦しく感じられた。
 兵士が窓板を外しても、見えるのは塔の外と同じような真っ白い風景だけ。
「……と、このようにな」
 ゼラヒア大公殿下が、何が面白いのかくつくつと声を漏らして笑う。
「今となっては、全く用を成さぬ」
「……そのようだな」
 リカルド二世は何の感慨も無さそうに相槌を打った。
 何かを見張る為の塔だとしても、見晴らしが余りにも悪過ぎて、何の役にも立っていない。だからこそドラクマの塔は、打ち捨てられたも当然なのだ、とゼラヒア大公殿下が笑う。
「それでも時々、雪が止むほんの一時、見える物もある。最北のカナヴィノ山脈、近い所ではケネスの街――時折、王都に続く道が、見える」
 微かに滲んだのは、憧憬だろうか。
 外界を覗くゼラヒア大公殿下の瞳は、遠く遠くの、何所か彼方を見つめている。
「これが余の、立ち位置ぞ」
 暫くそうして遠くを見つめていたゼラヒア大公殿下が、ふいにリカルド二世を振り向いた。
 言葉の真意をどう受け止めたのか、リカルド二世は無言だ。
 本当に一体、この人達は何がしたいんだろう。
 そんな思いで、リカルド二世の背中とゼラヒア大公殿下を交互に眺める。けれど、そこには何の答えも無いのだ。
「餓えた狼は、果たしてここに何を見る?」
 続いての言葉は、何故だか俺に向けられた。けれど、問われた意味はさっぱり分からない。向けられたゼラヒア大公殿下の視線に、兜の中で眉根を寄せた。
 中身を知らないゼラヒア大公殿下は、ブラッドに対して問い掛けた筈だ。ツカサに対してでは無い。
 けれどだからと言って、ブラッドを餓えた狼と表現したのは何故だろう。
 そもそも、口を利かない『狼』である以上、黙っていた方が無難なのだろうか。
 そんな事をつらつらと考えていたが、次の瞬間にはゼラヒア大公殿下の視線は、また外に向かっていた。
 ――ほんとに、一体全体何がどうなってんの?
 大体ブラッドは、どうしてこんな格好で、連れて来られたのか。
 旅立つ前、グランディアでシリウスさんに、王妃とブラッドとしてルカナートに入る事を命じられた時は、一人二役をこなすというより、王妃として振舞う他に、狼として諜報活動を行えという意味だと理解していた。本当にブラッド自身をルカナートに送り込む、とは思ってなかった。
 けれどその為に、ヤコブを雇ったのだ。俺がどちらかの役割を行う際に、片方が不在にならないように。
 今こうして、ブラッドとしてリカルド二世に付き従っている間、ヤコブが王妃として俺の不在を取り繕っている。
 そうまでして、ブラッドとして俺が、ドラグマに連れられた【ワケ】。
 そんなものが、あるというのだろうか。
 ブラッドは、俺が女であると知れる前に、異世界人という素性を隠す為だけに作られた仮初の存在。
 俺の素性が知れ、王妃の役割を与えられてからも、俺の息抜きの為だけに存在を許された。
 けれど――本当に、その為【だけ】なのか。
 瞬間的に浮かんだ疑問だったけれど、その小さな種が、どうしてかとても大きな不安を孕んでいるような気がする。
「そろそろ降りるとしよう。幾ら待てど、空は晴れぬ」
「余は、もう少し」
「好きにすると良い」
 沈黙を破る会話が、耳に届く。
 はっと顔を上げれば、ゼラヒア大公殿下が三人の兵士と共に出て行くのが見えた。
 足音が遠ざかり、微かにこだまして響く。
 その音までが止んでから、リカルド二世が顎をしゃくった。
「何が見える」
 窓の外を示すように動いた顔が、舞い戻って俺を見据える。
 言われて、窓に寄って見るが――何所から見ても、景色は変わり映えしない。
「……何も」
 首を振ってから、この場で『狼』に徹する理由が見付からずに、言葉を返した。
「あの辺りに、波のような線と影が見えます。手前と奥では少し濃さが違うかもしれません。でも、それ以外には何も」
「何も?」
「はい」
 三度答えると、リカルド二世は大きく舌打ちをした。
「……無駄骨か」
 溜息をつくのはライドだ。
 そんな風に、不機嫌と落胆を表されても困る。こちらだって同じ位、何も見えない事に落ち込んでいるのだ。
 さぞ綺麗な風景が臨めると思って黙って着いて来たのに、この仕打ち。
 天候ばかりはどうにもならないが、年中雪が降り止む事の無い土地なのは、はなから分かっていた筈だ。ゼラヒア大公殿下が言っていたように、全く見張り台の用を成していない。
 窓から吹き込む風が、余計に空気を寒々しくした。




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