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11 旅路 7



 それは例えば、頭上から怒鳴りつけられる感覚に近かった。
 実際には声を荒げた者など居なかったし、居るとすれば自分自身だ。
 けれど奇声を上げた俺に向けられる数多の視線に、俺は気付く事も出来なかった。
 陛下の腕を力一杯掴んだまま、恐る恐る視線を彷徨わせる。崖の上の木々を一つ一つ確かめるように、『目』の存在を探して、またしてもそれが暗闇に濃い陰を落とすただの山の輪郭でしかないと分かって。
 ほっと胸を撫で下ろしながら、自分を笑う。
 全く、何だと言うのだ。幽霊とか、の類は信じちゃいないし、お化け屋敷も肝試しにも驚く事はあったとしても怖いと思った事は無い。
 暗い夜道に、あの角を曲がったらもしかしたら何か異形の存在が潜んでいるかもしれない、なんて妄想とも縁が無い。
 それなのに、脳に浮かんだ良く分からないイメージ如きに怯むなんて。
 ナガセツカサの名が泣くわっ!!
 つい数時間前、得体の知れない【何か】の存在に怯えていた自分を棚に上げて、そんな事を思ってみる。
 怖さで言ったら、陛下の冷えた双眸以上に怖いものなんて無いんじゃないか。
 そんな自嘲さえ浮かんだ唇で、溜息を吐き出す。
「……お前、大丈夫か?」
 それは恐らく、そこに居た全員の総意だった事だろう。
 完全に周りの人間の存在を忘れ切っていた俺に、呆れも心配も通り越して、何だか嫌々問い掛けたといった気配が如実に分かる声が掛かった。
 顔を向けた先、印象通り得体の知れないものを見つめるような、分かり易く言えばドン引きしたような引き攣った表情をしたライドが居た。
「挙動不審にも程があるぞ」
 っていうか実際、ライドの体は先程居た場所よりも一歩後ろにあった。
 その反応には流石の俺もちょっと傷付くぞ、と思いながらも、ライドが同じ行動を取ったら俺は走って逃げただろうから何も言えない。
 にへらと笑う事で誤魔化そうとしたけど、それは事態を悪化させるだけのようだ。更に一歩、ライドの足が退いた。
 それと同時に、舌打ちと共に俺の手が振り払われた。
 陛下の腕を掴んだままだった指先が、強引な手に引き剥がされたのだ。
 ああ、お帰り、俺の腕!!
 視界の隅で陛下が俺が掴んでいた肘の辺りを払っていたが、俺は妙な開放感に感動していたので、そんな事はどうでも良かった。
「それで、一体何がしたかったんだ?」
「何がって言われても」
 不信感そのままに、いまだ離れた位置からライドが気味悪そうにこちらを見ている。
「俺にも良く分かんないんだけど、何か、こう――誰かに見られてる、みたいな?」
 言いながらもう一度、土砂の塊と頭上を観察してみる。
 ライドも俺の視線を辿って、
「誰か?」
 陛下と顔を見合わせた後、辺りの気配を探るように視線を彷徨わせた。
「ふうん?」
 興味が無さそうではあるが、その眼差しは鋭かった。ぐるりと体ごと一周し、
「気のせいだろうな」
確信を持って言われてしまう。
 まあ、そうだろう。
 実際に脳に浮かんだのはあくまでもイメージで、自分でも何故それを目と感じたのかは疑問なのだ。
 土砂の上に見えたものも、ただ目のように感じた、というだけ。
 でも象形文字のようなもので【目】を形にしたら、恐らくは通じるんじゃないかと思う。
「何だったのかなぁ」
 呟きながら、足元に落ちていた小枝を拾い上げる。何と無く、頭に浮かんでいたイメージを足元に描いた。
「こんな感じの」
 横長のダイヤの中央に、小さな縦長のダイヤ。
 描いてみると真実、目のような形だ。
 五秒とかからず描ききってしまえる、簡単な絵。
 “目みたいだろう?”
 満足を感じて頷きながら、そう尋ねようとライドに視線を投げようとした矢先、言葉をかけるよりも早く辺りの空気が一変した。
「ライディティル!!」
 鋭く陛下が叫ぶやいなや、ライドが身を翻す。
 呆気に取られた俺の前で、陛下も動く。長い脚が素早く、地面に描いた俺の絵を消し去った。
 別に消されて困る事も無いが、その行動は鼻持ちならない。
 けれど不満の声を上げかけた俺の視界を、何故だか陛下の背中が遮った。
 白い色より、黒い色の方が陛下には映える。そんな感想を持った、陛下が着ている毛皮の色。他の色の一切混じらない、艶やかな毛皮。
 状況判断が追いつかない。
 ただ分かるのは、殺気さえ感じる広い背中に、庇われている事だけ。
 庇われている、その感覚が、ただ不思議に思われるだけ。
 陛下の片腕が俺の存在を確かめるように、一瞬だけ体に触れた。
 動くな、と言われているように感じて、陛下の背中から前方を覗き込もうとしていた動作を止める。
 何時の間にか俺と陛下の周りを、近衛兵が囲んでいた。腰に帯びた剣の柄に手を置いて、俺と陛下の盾にでもなるように、円の中心に俺達を置いて。
 敵と思しきものの気配は何一つ感じないのに、俺一人を置き去りに、臨戦態勢が整えられている。
 走る緊張感に、我知らず息を殺した。
 耳に葉擦れの音が届く。息遣いは潜んだままだ。凝らした耳に聞こえるのは、それだけ。
 沈黙が長く続く。
 誰も、何も、動かない。
 ゆっくりと顔を巡らせる。代わり映えの無い、暗闇の山影。枝葉だけが、その中を我関せず揺らいでいる。
 どれだけ意識を集中してみても、何も感じない。
 俺だけが異変を察知出来ないのだとしたら、これ程悔しい事は無い。
 けれどやがて、足音が一つ、近づいて来た。
 何所かに走り去ったライドが、残りの兵士を連れて駆け戻って来たようだった。
 報告は簡潔。
「分からん」
 と短く告げて、右手で乱れた前髪を掻き揚げる。
 陛下の纏う冷気が、若干度下がった。
「俺には、分からん」
 それに答えるようにして、ライドが何故か言い直す。
「分かるとすれば、」
 途中でライドが言葉を切れば、目の前の黒い背がゆっくりと動いた。

 何故、とは聞けなかった。
 ただ促されて近付いた、低い崖の上から崩れた“あの”土の塊から、俺は戸惑ったように陛下に視線を戻した。
 遠目に眺めていた時には気がつかなかったが、盛り上がった土の塊には、不自然な一点があったのだ。
 聖域にあったという祠。それが崩れた土砂に埋もれる事は有り得るだろう。頭上では今にも倒れそうな程に傾いだ木々が、辛うじて地面と繋がっているような印象だし、少しの衝撃でまだまだ崩落は有り得そうだ。
 ただそこに刻まれた【目】は、どう考えても普通じゃ無い。
 それは先程、俺が地面に書いたのと同じ【目】だ。俺が脳内に浮かべた、イメージそのものの絵が、そこに刻まれている。
 なのにどうしてそれが、俺の他の誰にも“見えない”のか。
「……目がある」
他にどうとも言いようが無い。
 確かにあるのだ、そこに。草木の芽じゃない、目としか表現出来ない、マークが。
 どうして、とは聞けなかった。
 いよいよ頭がおかしくなったのかもしれない、という戸惑いも。
 ただ陛下が、小さく頷いた。
 その事に、安堵が過ぎる。
「貴様が“ソレ”を見たのは、ここの他にどこだ」
「……あそこら辺」
 指差したのは、二十メートル程上方。その辺り、としか言いようが無い。何か目印があるわけでも無いのだ。

 それでも充分だったのだろう。

 俺以外の誰にも見えない【目】は、その後も、まるで目印の如く、幾つも出現した。二つ目の【目】は、木の幹にナイフで削ったかのように現れていた。
 その場所で、俺はまたしても誰かの視線のようなものを感じ、その方角を目指せば【目】があった。
 【目】を辿って更に頂上を目指し、山に分け入る。
 奇妙の一言に尽きた。
 けれど、陛下には一つの躊躇いも無かった。
 俺が示した方角を、疑いも無いような足取りで進んで行く。
 だから俺にも、誰にも、迷いは無かった。
「……」
 その、奇怪な対峙も、俺は静かに受け止める事が出来た。

 不思議な力に誘われた先、恐らく終着点には――数え切れない【目】が、四方八方から俺達に注がれていた。




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