template by AAA -- material by NEO HIMEISM







BACK  TOP  NEXT



11 旅路 6


 今後の物語の進行上、大幅に話を修正しました。ご了承下さい。(2012/08/30)


 それ、は俺の持つ登山のイメージをはるかに超えていた。
 先頭は見えない。随分遠くにちらちらと松明の灯りが消えたり現れたりしている。先を行く騎士達が土を均したり、枝を切っておいたりしてくれるものの、足元も視界も覚束ない。
 クリフの差し出してくれた手を借りて、斜面を登りきる。
 全く、夜に山になんて登るものでは無い。
 頭上に広がる枝葉は、暗闇の中でまるで大きな傘のような印象だ。節くれだった木々に監視でもされているように囲まれて、それもまた、酷く閉塞感と陰鬱さを感じてしまう。
 景色や会話を楽しむようなハイキングにしか縁が無い俺は、二時間程山を登り続けた所で辟易していた。
 目的地は何所なのか。頂上は何所なのか。
 ともすれば同じ場所をぐるぐる回っているような気さえするが、斜面を登り続けて下る気配が無いのだから、随分上まで来たのではないだろうか。
 時刻は、すっかり深夜だ。あと一時間もすれば、日を跨ぐ。
 そんな時間に総勢十八人が、無言で山を登っている――何の罰ゲームか。
 体力に自信があった筈だが、そこは性別の差なのか、それとも鍛え方が違い過ぎるというのか、険しい山道に息が上がりっ放しだった。
 陛下は、と言えば、クリフを挟んだ前で、何時もの無表情。息が弾むような様子は無いのが癪に障る。
 陛下を背にしたライドは、更に異様。その動きはまるで猿か何かのようで、跳ねるような軽い足取りは大柄な図体に不釣合いだった。
 ライドは時々振り返って、俺や陛下の様子を伺いながら前方に指示を出している。燃える松明で更に赤々しい髪と瞳の色が、とても強く脳内に刻み込まれた。
 その生命力漲る眼差しは、獰猛な獣のようだ。
 ……ああそういえば。
 登山を開始してからの間、聞こえるのは風が木々を揺らしていく葉擦れの音だけだった。夜、とはいえ、鳥も獣も、虫の鳴き声さえ聞こえない。命の気配というものがとんでもなく希薄だった。
 夜に山に登った事なんて無いから、もしかしたらこんなものなのかもしれないけど、何となく違和感だ。
 ああ、それにしてもしんどい。
 右手はクリフの手を掴み、左手は大木の幹に置いて、えいやっと段差のように盛り上がった根っこを踏み越える。
 俯けていた視線を前へ。
 先を行く松明を見る限り、まだ道は長そうだ。
 ふ、と気だるい溜息が口をつく。白い影がもわりと浮かんで消える。
 夜になって気温は下がった筈だが、それと感じない程に身体は火照っている。酷く体力を使う登山の為か、汗ばんですらいた。
 馬車の御者であった兵士から借りた手袋の中が、少し湿って気になってくる。
 ぶかぶかのブーツは紐で引き締めていて歩くのに支障無いが具合が悪い気がするし、足に纏わりつくワンピースの寝巻きも、何がとは言えないが気に掛かる。
 項に張り付く髪の毛の感触や、肌を撫でる風や緑の匂い――些細な事が、憂鬱を呼び起こす。
 何で俺、こんな事してるんだろう。
 疑問は最だ。そもそもがルカナートを目指す理由から、今に至るまで。ブラッドと王妃の二役を演じるわけも。
 ダガートの遠い、山々、その白い姿を目にするだけで、恐怖に慄く身体も。
 全てが、謎だ。
 三年の契約があるのだから、その内である務めは果たす。でも、疑問を持つくらい、それを尋ねるくらい、してもいいだろう。
 水の入った皮袋が眼前に差し出される。
 気がつくと道は幾分なだらかに、広くなっているようだった。横に並んだクリフが気遣わしげに俺を見下ろしている。
 礼を言って皮袋を受け取る。ご丁寧に縛られていた口を解いたそれから、水を喉に流し込んだ。
 「ね、聖域って、まだ、遠いの」
 途切れ途切れに尋ねると、クリフは困った様に唇を引き締めた。
 ハッティヌバを初めて訪れたクリフにそれを聞くのは酷というものだろう、とは訊いてから気付いた。
 それでも生真面目な従者は「恐らく」と続けた。
「だから朽ちたのでしょう」
 曰く、聖域や神域は神々の恩恵を賜り、祈りや願いを結ぶ為の場所なのだという。温泉の効能のようだが、病や怪我に効くだとか、美肌効果を齎す泉がそれであったり、教会のように教えや導きを求めたり、人が訪なう事で成り立つと言って過言で無い。
 けれどこんなに大変な労力を伴って、この山にある筈の聖域を訪れる者は滅多に無いのではないか、とクリフは言う。
 怪我人や病人は言わずもがなだろう。
 はてさてそれならば、そんな聖域を目指す、怪我人でも病人でもないこの一行は、一体何がしたいというのか。
 しかも最初の目的には無かっただろう、その聖域を目指す意味は。突然に、連れ出された意味は。
 ふいに、ライドが陛下を呼ばわる声が聞こえて、思考を閉じる。
 上向く周りの視線を追うと、何故か松明が一つ、道を戻ってくるのが見えた。
 それはすぐに陛下の眼前で、困惑気味の青年騎士の姿となった。
 躊躇う素振りを一つして、騎士が何事かを陛下に話す。
 一行の足は完全に止まっていた。
 剣呑な空気に、ライドが動く。鹿や何かの様にしなやかに跳ねた足が、駆け上がっていった。
「……何?」
 呟きに、クリフが首を振る。
 陛下が足を速めたせいで、その後の登山は地獄のようだった。

 俺がそこに辿りついたのは、陛下からは暫く遅れての事だっただろう。急いた陛下に置いていかれて、完全に一行は分断されてしまっていた。
 最後の一歩は、追いついたという安堵より、開けた視界に止まった。
 今まで左右にあった木々が途切れ、何だか解放された気分だった。頭上には近くなった夜空。息を整える合間、空気を吸い込む。
 やっと頂上か、と思ったが、そうでは無いらしい。
だが、屯している陛下とその一行の姿を見る限り、ここが目的地なのかもしれない。もしくは休憩か。
 土砂が崩れたような有様の一角を、騎士達が探る様に動いているのが目に映る。崩れた土壌に紛れて、腐った木々も見える。
 その様子を遠巻きに眺めていた陛下とライドに近付いてみる。渦巻く不機嫌オーラは無視だ。
「……あのー、陛下?」
 一体何事ですか?と言外に込めて秀麗な横顔を見つめると、億劫そうにではあるが、ゆっくりとこちらを向いた。
 その眉間に、皺が一つ刻まれる。
 陛下は何も言わず、さっと俺の頭を一撫でした。
 ――ああ、また髪の毛が乱れていましたか。すみませんね。
 こんな状況にあっても陛下の身形は何時もと変わらない。乱れた様子も疲れた様子も無い。
 再び視線を戻した陛下の代わりに、疑問に答えてくれたのはライドだった。
「ここが聖域だ」
 ここ、と見つめるのは、無残に崩れた一角だ。
「あそこに、小さな祠があった筈なんだが、まあこの有様だ」
 完全に土砂に押し潰されてしまったという事なのだろう。
 舌打ちしたライドが、足元の小石を蹴った。
「どうなってやがる」
 忌々しげな口調が何を指しているのかは分からない。
 ただ予想外の事なのだという事実は、少なくとも分かった。聖域が失われてしまっては、ここに来た目的が達成できないのか。では、辛く苦しかった山登りは無駄足か。そしてまた、下るのか?
 うわあ、勘弁してくれよ。
 そう思って、盛り上がった土の塊にもう一度視線を投げた時だった。
 ぞわり、と全身の気が逆立つような気がした。
 それはまるで殺気。試合中の相手の剣士が、一撃を見舞おうとして踏み込むその一瞬、研ぎ澄まされた集中力が爆ぜるその瞬間。
 これが試合中であれば、己の身体は瞬時に軌道を交わそうと動いただろうし、一手を先んじようと腕を振るっただろう。
 けれど一瞬で凍った身体は、瞬きすら忘れた。
 そこには誰も居ない。対峙する敵など居ない。
 ただそこには、自分を射竦める“目”だけがあった。
 俺はその“視線”から逃れようと、無意識に陛下の背後に逃走を図る。
「ツカサ?」
 ライドが訝しげに口を開いたが、俺は陛下を盾にした。
 どうした?と聞かれても、何とも答えにくい。
 振り返ろうとする陛下の腕を取ってそれを引き止め、縋るように腕を握ったまま、目線だけを前に。
 ――気のせいだった。
 そこには先程見た、何の変哲も無い――といったらおかしいが、崩れ落ちた土木があるだけだった。
「……」
 陛下の胡乱な瞳が、異生物でも見るかのようだ。何をしているのだ、と声無き声が言う。
 うん、俺も同感。
 土砂に睨まれているようだ、なんて、一体なんの錯覚だ。
 取り繕うように渇いた笑いを漏らして陛下から離れようとしたものの、今度は脳内にその“目”の形が閃いて、俺は陛下の腕を掴んだまま、首を竦めた。
「ひゃいっ!!」
 間抜けな悲鳴は、思いの他辺りに響いた。




BACK  TOP  NEXT


Copyright(c)2012/09/08 nachi All Rights Reserved.